天保12(1841)年に、いわきの地に生まれ、
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月6日の項には、
次のような記述がある。
六日 七草ヲ摘採リ、晩ニ盤俎ニノセ、
檑木ニテ敲キ、
なゝくさなづな、にほんのとりと、
とうどのとりの、わたらぬさきに
ト唱フル事、邦俗一般ノ習ナラン。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
陰暦1月6日 明日の七草粥に向け、七草を摘み取る。
夜、摘み取った七草をまな板の上に乗せ、
それを檑木棒でたたきながら、
「七草なずな 日本の鳥と唐土の鳥の渡らぬ先に・・・」
という歌を唱える。
これは日本国内の他の地域と同様である。
大正元(1912)年に没した
大須賀筠軒(おおすが いんけん)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
今回もまた、紐解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦1月6日の項には、
次のような記述がある。
六日 七草ヲ摘採リ、晩ニ盤俎ニノセ、
檑木ニテ敲キ、
なゝくさなづな、にほんのとりと、
とうどのとりの、わたらぬさきに
ト唱フル事、邦俗一般ノ習ナラン。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
陰暦1月6日 明日の七草粥に向け、七草を摘み取る。
夜、摘み取った七草をまな板の上に乗せ、
それを檑木棒でたたきながら、
「七草なずな 日本の鳥と唐土の鳥の渡らぬ先に・・・」
という歌を唱える。
これは日本国内の他の地域と同様である。