天保12(1841)年に、
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
冬分ハ農商家トモニ焼火ニ寒氣ヲ防グ。
男女奉公人ニ臥具ヲ持タルモノ少シ。
冬モ着ノマヽニテ爐邉ニ臥ス。
火燵(コタツ)ハ冨家ト雖モ、之ヲ設クルモノ甚少シ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
冬の間は農家でも、商家でも、
薪を燃やして暖をとり、寒さを凌ぐ。
男も女も奉公人で夜具を持っている者は少なく、
着の身着のままで、囲炉裏の近くで横になって寝る。
裕福な家であっても、
炬燵を持っている家はとても少ない。
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
冬分ハ農商家トモニ焼火ニ寒氣ヲ防グ。
男女奉公人ニ臥具ヲ持タルモノ少シ。
冬モ着ノマヽニテ爐邉ニ臥ス。
火燵(コタツ)ハ冨家ト雖モ、之ヲ設クルモノ甚少シ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。
冬の間は農家でも、商家でも、
薪を燃やして暖をとり、寒さを凌ぐ。
男も女も奉公人で夜具を持っている者は少なく、
着の身着のままで、囲炉裏の近くで横になって寝る。
裕福な家であっても、
炬燵を持っている家はとても少ない。