みんな笑ってる

「地球が異変」「世界経済の減速」だと言いながら、街は賑やかで人々は買い物に励み暗さは無い。

誰彼とおしゃべりをしても、帰って新聞やテレビを見ても、いつもみんな笑ってる。

アメリカの大統領選挙を見ていると現状や背景をつい忘れてしまう。

確かにカラ元気であっても、笑っているより仕方無いのかもしれないな…

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まだ、やっている

総選挙をまじかに控えているせいか政局が取りざたされ、政治経済のリーダー格の人やそれを解説し政局に影響を与える人たちがマスコミに連日登場する。

ところが、一人一人の立場や違いを強調するものの、何れにも現状に合わない古い時代感覚を感じて仕方ない。

1、経済成長路線を当然としたベースで語る。

2、「グローバル化」の知識を持ち口にはするが、論理や政策はグローバルどころか国益にも反する

      一部の狭い範囲の利益を対象に論じる。

3、新しい理念や方向を探る時代にあって、権威ぶった聞く耳を持たない時代かかった決めつけや二者択一を一方的に求める高飛車な物言い。

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夢から醒めぬリーダー

アメリカは(アメリカンドリーム)、日本は(高度経済成長)の夢から醒めないでいるようだ。

特に、権力に繋がる影響力を持った各界のリーダーたちに多い。

利潤追求を目的とした企業集団である財界が(在りし良き日)を願うのは仕方ないかもしれないが、

国を統治すべき政治家たちがそれらの下で仕事をする立場にいるからなのか、ベテラン議員は勿論、新しい看板で立つ人も(いまのところ)何を学んだのか、揃って時代遅れの頭で登場する。

アメリカも日本もこんなに大きな借金を抱え込んだ経過1つ取って見ても、夢見てる時でないことは分かるはず。

 

 

 

 

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「自然へ帰れの」の2つの意味

世界経済が行きづまり、日本でも3・11後の新しい国の形が見えず、新しい国の理念を問う論調をしばしば見る。

自分は世界も日本も「自然へ帰れ」の1語に尽きると考えている。
近代思想家であるルソーの「自然へ帰れ」と(自分が考えている)新しい時代に求められる「自然へ帰れ」との理念の違い。
ルソーは人間中心主義にあって阻害される人間性を取り戻す意味であり、今後求められるのは自然中心主義と言ってもいいようなその理念は、人間だけでなく、政治・経済・文化・社会等 の全ての分野の、全ての人間活動を国単から地球へと単位を戻し自然を取り戻すこと。

勿論、「いつか来た道」から「いつか来る道」は近くはないが、(時間感覚のすこぶる悪い私ではあるが) 方向を見定めるのはそんなに遠いとも思えない。

    

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望外


地球は悲鳴を上げ大多数の人々は ひたすらコツコツと働いているのに権力はどこも乱暴に振る舞うのを常としているかのようだ。
こんな事がいつまでもも続けられては困るし続くはずもないから、社会がガタガタするのは必要なことかもしれない。

 大きな時代の転換期に居合わせこの目で見られたのは 望外だった。

  

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身軽が1番と思いきや

子供の頃から身の回りの片づけが苦手な自分も暇なせいか 私物が少し気になりだした

遠からず(千の風)のように自然に還れると夢みたいな想像をしていると、何だか幸せな気分になって元気が湧いてきた

エイッ!と 残る本やら手紙から写真までポンポン ゴミ回収の袋にやっと放り込めた

   そうだよ¡     元素や分子になって地球の循環の輪に入って自分が自然の法則そのものになるんだから 何も残したり持って行くことなんかないんだ 

    身軽が1番!   と思いきや、まだ段ボール5~6個分が まだあった。

 

 

 

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地上の世界が一つの学級だとすると、この学級はまとまりが悪くいざこざや争いが絶えず、最近は学習する教室すら壊しかねない有様だ。

それは 担任の先生が不在なのかもしれないが、この集団がまとまりの悪い真の原因は 学級が最も矛盾を持った国や人間に目が届かず放置しているからに他ならない。

先ずは世界中が束になって、餓死する難民や子供たちに手を差し伸べることであって、シリアや、イラン、北朝鮮は そのあとでいい。

本当に世界(学級)の安全を帆書すると言うなら、すでに安全を損なわれているところから順に優先順位を付けて対処したらいい。

(口先ばっかし)の感がしてならない。

 

 

 

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グッドニュース


岩波の雑誌(世界)の11月号は 『共同が社会を変える』と題し
グローバル経済の減速や行きづまりが指摘される中にあって、持続可能な経済の仕組みとして地域の共生経済とでも言えるような地域の仕組みが世界や日本でも模索され始めていることを特集した。

文明の転換にもつながるような新しい経済社会を目指した地道な試みが国の内外に出始めていると言う良いニュースだった。

現実的な方法だと思う。

 

 

 

 

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単位の切り替え

現代は、国を単位に見ると戦国時代、世界を単位にする幕藩体制とにどこか似ていないか?

国同士がて敵対し、おらが国(藩)はお城を中心に守りを固め繁栄を願ってる時代から、

国々を取りまとめた幕府(アメリカ)も世界の流れの中で開国し、一緒になって?新しい統治機関を樹立する。

今日の世界の経済社会の崩れの中で、アメリカンドリームのような楽観論と世紀末的な悲観論が巷に蔓延り、マスコミは揺らぐ成長路線をひたすら鼓舞しながら政治は走り続ける。

現代に於いては成長路線そのものが脳天気だから悲観的な状況が露呈するのは止むを得ないが、だからと言って、極端な悲観論やその裏返しの飛び跳ねた勇ましい主張は時代を錯誤していると思う。
世界の人・物・お金・情報は国の体制や主義主張の如何を問わず国境を越え、その量は増すばかりである。国境の壁は日増しに確実に低くなっている。

これは、新し理念と新し統治機構を生み出した幕末のようにすら見えなくもない。

ただ、古い理念のまま塗り替えたような新しい看板ばかりが賑わい、未だ単位を変えた新しい理念は見当たらない。

こういう時代は 出来るだけ早く新しい時代の単位に切り替えた方が良い。

使う単位で理念が分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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見えないのは政治や経済ばかりでない

「便利だ」「豊かだ」「恵まれている」と言われさらに「恵まれすぎていて我儘だ」とまで言われる日本の子どもたちは、

生まれてさほど年数もしないうちに、学校へ行けなくなったり、落ち着いて座っていられなかったり、仲間と一緒に遊そべなくなったり、時にはいじめで死にまで追い詰めたり、追い詰められたりしている.

 

 



  


 

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