どうかしてない?

今日は朝から多くのテレビ局がいじめの問題が取り上げていた。特に福岡の中学の担任がいじめのきっかけになったことや、学校や教育委員会の隠蔽体質のことで、教育者のモラルがこんなに地に落ちたかと驚き嘆くものだった。私は妻〈元中学教師)と驚き嘆く人たちの鈍感さを嘆いた。今のいじめは昔と異なり構造的であることがさっぱり分っていない。文科省は教師や子どものモラルの問題としてさらに指導を強めるとのこと。対応が全く逆であることに気が付かないのか、そうでなければ今国会で教育基本法を変える世論作りと勘ぐりたくなるほどだ。今の形のいじめは実践家の中では40年近く前から予想されていたし、我々が実際に学校で目にするようになってから少なくても20年以上たつ。隠蔽体質と言われるようなのは私が教員になったときから地域や学校に関係なく普通にあった。ただいじめにしろ隠蔽体質にしろ年々ひどくなっていた。同時に子どもの問題はいじめだけでなく不登校・発達障害・体力学力の低下・欝的症状・学級崩壊等など問題は深刻化するばかりだった。また教師の精神疾患も同時に増えた。そんなことは殆どの現場教師が経験しているはず。そして原因もどれだけ整理して言語化できるか分らないが殆どの教師は感じているのではないか。ただ今は既に物言わぬ教師になっている。組合も含め物言わなく【言えなく】なった。今言われている対応は55年ぐらい前、私の小学校時代だったらまだよかったかもしれない。しかし教育は医療と似ているところがあって、状態によって逆の対応が必要。そこが分っていない。大人は落ち着いて人について考えるといい。難しい教育論や方法は必要ない。常識で十分だ。

教えることは学ぶことが前提。教育官僚は上部が下部を指導し教えることばかり考えている。行政の他の役所は分らないが、こと教育関係の役人は現場の教師同様まず学ぶ姿勢が無くてはならない。対策【指導】もそこからしか見えてこない。現場の教師ならまず子どもから学ぶ姿勢が資質として求められる。政治家は勿論文科省をはじめ教育行政に携わる人たちにそれが殆ど感じられない。上から人を見ては人の本当のところは見えない。それでは対策など出てくるはずは無い。内閣が組織した教育再生の委員の顔ぶれを見るとどれだけその資質を持っているだろうか。組織した人の目がこどの方には向いていないしまして学ぶ資質を持ち合わせていないのではないかと思う。こと子どものことだから、他に利用するようなことは許されないのではないか。まずは時間をかけこどもをよくみてほしい。それでも間に合わないだろうからせめてげんばのはなしに直接耳を傾けたらいい。対策を考える最低限の手続きだろう。

教室の子どももそうだが、間違った指導はやればやるほど

子どもはだめになる。今日の子どもや学校はそのことを物語ってはいないだろうか。大人が腹を据えて考える時だ。

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