早速使ってみる

日本の8・30総選挙を歴史的な(政権選択選挙)と意味づけている向きがある。
 そう意味づけしている人たちは選挙の先に政権の担い手を見ている。マニフェスト(政権公約)は誰が見ても変わらない国民の背景に地球や自然を勘案される事なく対地球との不適応状況の改善はどこにも無く何れも内輪の人間が中心で、立場によって異なる政権や自称・国民生活を主張するばかりである。
何故そこまで言うか? 
政治家やメディアだけでなく、今日に至った反省が国民からも聞こえてこない。
 これまでの全体的な状況認識の勘違いに気付かないで、次に何をしようと言うのだろう?
 確かな大元になる状況認識が立場の違いの前に俯瞰されないままにされている。
 論理的に無理がありそうだがとりあえず(ドジ的認識論)を使ってみた。
 
 
 
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