世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
思い出すこと1
自分はもう年だし時々振り返るのもいいかなと思う。しかし「今」に最もも関心があるので、断片的になるが「今」に繋がることを確認の意味で記してみたい。今日はその1。
私は今生まれて65年になろうとしている。最も小さいときの記憶は3~4歳の頃だと思うが、家族で防空壕に逃げ込んだ時のことだ。(終戦の日や小学校へ入る前のことはいくつかの場面はのこている。)北海道の田舎町の外れに我が家はあった。真夏の天気のいい日だったがなぜか親父も家にいた。昼頃、近所の大橋さんのおじさんがメガホンを持って「警戒警報」と連呼ながら走っていった。親父さんは木札を表札のところにかけた.間もなく、さっきのおじさんが「空襲警報」と連呼しながら走っていった。親父さんは表札をひっくり返してかけなおし、両親と兄弟4人は(その時は弟二人は生まれていなかった)がリュックや水筒を持って、家の前の防空壕に逃げ込んだ。防空壕の中に焼き物のつなぎ煙突1本を空気孔に屋根に挿してあった。私のすぐ上の兄貴が、そこから空を見て、「B29が来るぞ」と格好いい物を見るかのように嬉しそうに言う。私は順番を待って空を見ると、銀色に光った飛行機が2機が青空高く飛んでいるのを見たような気がする。全く怖さはなく兄貴との面白かった思い出として残っている。親父やおふくろ、上の兄貴2人は記憶の中ではサイレントだ。
私は今生まれて65年になろうとしている。最も小さいときの記憶は3~4歳の頃だと思うが、家族で防空壕に逃げ込んだ時のことだ。(終戦の日や小学校へ入る前のことはいくつかの場面はのこている。)北海道の田舎町の外れに我が家はあった。真夏の天気のいい日だったがなぜか親父も家にいた。昼頃、近所の大橋さんのおじさんがメガホンを持って「警戒警報」と連呼ながら走っていった。親父さんは木札を表札のところにかけた.間もなく、さっきのおじさんが「空襲警報」と連呼しながら走っていった。親父さんは表札をひっくり返してかけなおし、両親と兄弟4人は(その時は弟二人は生まれていなかった)がリュックや水筒を持って、家の前の防空壕に逃げ込んだ。防空壕の中に焼き物のつなぎ煙突1本を空気孔に屋根に挿してあった。私のすぐ上の兄貴が、そこから空を見て、「B29が来るぞ」と格好いい物を見るかのように嬉しそうに言う。私は順番を待って空を見ると、銀色に光った飛行機が2機が青空高く飛んでいるのを見たような気がする。全く怖さはなく兄貴との面白かった思い出として残っている。親父やおふくろ、上の兄貴2人は記憶の中ではサイレントだ。
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