滅多にはないけれど

教員生活の前半は普通学級、後半は障害児学級だった。前者は集団指導が主になり後者は個別指導が主になることが多かった。授業をしていて(いい感じだな)と感じることが時にはある。それは何がどうだったからと言うより、身体全体で感じるものだ。 少々きざっぽい言い方だが、でも。
若い頃剣道をしていた。打ち込む前、剣先で間合いを取る。やってる方は、あれが面白く、打ち込みはある意味で結果だ。剣道の魅力は間合いの取り方にあるように感じていた。集団指導のおもしろさは子どもとの間合いにあるようで剣道の時のことをよく思い出した。そして、頭の中は最大公約数を求めているようだった。児童の数だけ、性格や能力は違う。一斉の集団指導だから、全員に通ずる言葉が必要だ。それを求め続けている感じだった。
後者の個人指導は、顕微鏡を覗いてる世界の感じだった。子どもの表情や動きから、その子の心を想像し続ける仕事だ。想像があまりにも的はずれだと、子どもは相手にしてくれない。指導どころではない。
思い出は色々あるが、(授業)のおもしろさの1つだった気がする。
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