(言葉の乱れ)を越えている


   語った人の主観を基準にすると 語られたどんな言葉も間違いは無いと言える。

    ただ 言葉の社会的役割からは それが一般的に通用すかどうかが重要になる。

   売らんがために使われる誇大宣伝文句は 一般的に使われる言語とは異なる。

    原発の安全神話も 事実では無かった。
   
ポピュリズム(大衆受け)が言われてる現在、政策に用いられ表現されてるいる言葉はどうだろう?

      (輝く女性)のように金をまぶした様な政策が立ち並んでいながら 現実はほど遠く 将来の不安は増すばかりになってはいないだろうか。

    多分 一般的には通用しない言葉 (間違った言葉) が社会に蔓延していないか。 これは(言葉の乱れ)を はるかに越えてている。
    
      
          
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視野を広げ 主体的な価値基準を持てるか?



    国の内外は 勢力内の 仲間割れ 内輪もめ バラつきが いっぱい。

       地上における事物や人の動きは拡がっているにもかかわらず 対応できず 内向きな視野狭窄に陥っているからだろう。

   矛盾にぶつかり 勢力は形を変えて やがて修まるのは 発展する一般的な形でもある。

    右往左往したり盲目的に一方に加担するのではなく 今は 視野狭窄から抜け出し視野を広げ 主体的な価値基準を持てるかどうかが問われている。

    
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