なすり合い

日曜日のNHKとTBSの政治討論会を見ていて親によく叱られた『なすり合い』の言葉が浮かんだ。
 社会が崩れ社会機能も麻痺しているような状況の中で、首相の言ってる事がおかしいとか何とか言っている。確かに筋の通らないことばかりである。
しかし、逆に言えば崩れ機能マヒしている中で、機能マヒしたような首相が選ばれ出てくるのは、総理の責任ではない。選んだのは自民党であり、自民党に多数の代表を送った国民であり、広報宣伝してきたのはマスコミではないか。
 総理と無関係でない人たち同士があーだこーだと責任を棚に上げて論ずる。
 何だか、根っこの無い浮き草のような議論や評論に聞こえた。
 政治経済ばかりでなく、教育も然り、事故や犯罪の扱いも同様。
  子供のころニュースで見た戦災後の
 焼け野原とうごめくヒトビトとイメージが重なって仕方ない。
  でもあのころは助け合っていたなー。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

天気予報の続き

社会的に起きてくる現象も天気予報のようにある程度予測して知らせて欲しいものだと前日書いた。
 先日、政府税調は、麻生氏が提起した3年後の消費税増額を経済の「中長期計画」に位置づけるよう答申し、自民党が動き出した。
    ところで日本経済の3年後は「中期(前後の文意から)」である事に驚いた。ならば、3年前、今日の経済状況はどう計画されていたか?計画は間違っていたと言う事か?この間間違った計画で政治をしてきたということか? 
 実際、1年前の政府の日本経済の評価は「底堅く力強い成長をしている。」と言う評価を正式に表明してきた。 
  それどころか、国会審議や、テレビ討論の最中に担当大臣がリアルタイムの株価に右往左往しているのを見せられてきた。
   政策立案者が株価の乱高下で振り回されているのを見て、 経済の計画があるのか無いのかは疑問を持つし、少なくても先の事はあやふやで責任感の無い事だけは感じた。 
   国の政治は先行きへの責任は無いのだろうか? 
     今後の事だけでなく、今日の崩れ機能マヒした現実を見て、誰もその責任をとろうとしないし、問おうともしない。 
   昔は夕焼けを見たり下駄を投げて明日の天気の見当付け間違っていても仕方ないと諦めもついたが、今、津波情報を怠り津波被害が出ると、気象庁の責任は問われず黙って諦めるのだろうか。 

  ことは天気や人知では測れない天変地異ではなく、人間がやって生まれた社会的な出来事である。  
   これほどまで見当がつかないとは思えないし責任が無いとも思えない。

  後追いばかりの政治やマスコミ、こんな感覚では、米も作れなければ、医者も務まらない。学校の教師も、親も何も‥

  庭に来るすずめはどれも猫を恐れて地べたに蒔いたエサをつっつこうとしない。

   

   

  

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )