「格差社会の問題」の問題

今日の朝日新聞一面の大見出しは、「再分配 強化の時」だった。日本やアメリカは言うに及ばず、地球全体を100人とすると、一人が99パーセントの富を持ち、99人が1パーセントの富を持っていることになると言う、地球全体が格差社会になっている。

 日本の格差問題の議論を見ると、(大雑把で乱暴かもしれないが))政府や与党は、経済の成長路線(お金の入り)を野党は分配(お金の出)を立場にしているようだ。確かに入り口も出口も大事な切り口ではあるが、どこかおかしい。経済活動としては一体なはず。

 日本のGDP世界第2位は国の大きさからいって、その規模はとてつもなく大きくすごい。ただ社会の現状を見ると、水ぶくれの肥満体のようだ。体力は無くあちこちが病んでいる。

 拡大成長路線を主張する人たちも、格差是正で、こちらにお金を回せという人たちも、水ぶくれや体力,や病みを決して問題にはしない。
  個人でも社会でも見かけや大きさが幸福を保障するとは考えられない。体力が無ければ体力をつけ、病んでいたら治す。謂わば、個人も経済社会も健康体にすることが大事ではないか。

 格差問題を考えるとき、「より大きく」とか「もっとこちらに回せ」を目標にした議論や判断は基本的に間違っていると思う。「健康体にするにはどうするか」の政策論議や行政の施策でなければならないはず。
 当然、資本はもとより環境・資源・労働・社会保障などのバランスがあって始めて健康体を取り戻せる。議論する人たちは物事の調和やバランスには関心が無いようだ。

たとえて言うなら肥満で糖尿病になっているのに、労・使して、甘いものを求めているようなもの。味が忘れられない。

 子供のころ親父がよく言っていた。「1度贅沢を覚えると元に戻すのは大変だよ。」家が貧乏だったこともあるが、その意味は子供心にもよく分った。
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