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ドラキチ歴50年、 熟年・「オレ竜」の今日の”脳ミソの中身”

本当に「不愉快な事件」だ! オーストラリアのインド人バッシング

2009-06-04 | 亀君の”怒っているぞぉ~”
いつの時代でも、また、どこの国でもこの様な不愉快な事件が起こる。
今日、ネットでこの記事に触れ私の持っているオーストラリアのイメージが
頗る悪くなった。


猛威カレー・バッシング 豪で10代がインド人学生襲撃(産経新聞) - goo ニュース 
(記事引用)
【シンガポール=宮野弘之】オーストラリアでインド人学生を狙った襲撃事件が相次いでいる。犯人はほとんどが10代の少年で、「おやじ狩り」ならぬ「カレー・バッシング(たたき)」と称している。メルボルンではインド人学生ら数千人が抗議の座り込みをし、インド政府は早期解決を要求、両国の外交問題にまで発展しつつある。

 襲撃事件は、メルボルンだけで過去1年で70件に上る。先週には続けて5人が襲われ1人は意識不明だ。ある学生は、若い男数人に囲まれ金を奪われ、「インドに帰れ」とののしられたうえ、ドライバーで腹などを刺されたという。

 シドニーで学生の面倒を見るインド人医師が地元紙に語ったところでは、同様の事件はシドニーでも4月だけで約20件。しかし、学生は面倒に巻き込まれ、永住権をとれなくなるのを恐れ、ほとんど警察に届け出ない。犯人は若く、昨年末にインド人男性を殺害し逮捕された少年2人は18歳、先週シドニーで大学生を襲ったのは12歳から16歳の少年6人だった。

 同医師によると、若者の間では「レッツゴー・カレー・バッシング」というのが、インド人襲撃の合言葉になっているという。

 5月31日にはメルボルンで数千人のインド人学生らが抗議デモを行った。今月1日にはインドのシン首相がラッド首相と電話で会談し、事態の速やかな収拾を求めた。ラッド政権は2日、治安担当責任者をトップとする特別調査委員会を設置。メルボルンが州都のビクトリア州政府は人種や宗教、性別などが犯罪の動機の場合、より厳しい罰則を設ける方向で法改正し年内の施行を目指すという。

 現在、オーストラリア国内には約9万3000人のインド人留学生がおり、そのほとんどがメルボルン、シドニーに集中している。




【熟年ドラキチ】
ただ単に国籍が違うという差異だけで、そして国籍が違う中でも「ある国」にだけ
ターゲットを絞って、「カレー・バッシング(たたき)」と称して、まるでゲーム感覚で
インド人の留学生を襲撃するとは、本当に嘆かわしい行為だ。

襲撃をしている加害者は現地の国オーストラリアの12歳~18歳と、
体は大人並みに成長していても、精神的には年齢からもさることながら、
やっている行為自体を見ても、未だ精神的に未熟で幼稚さが残っていると
言わざるを得ない。

日本でも過去には在日韓国人、在日朝鮮人の人に差別的扱いをしていた
過去もあるから、この種の問題は地域、国籍に限定された個別的問題というより
世界のどこにでもありうる、起こりうる問題だと私は思う。

日本に住んでいる限りは、日本人は日本で日本人という理由だけで差別や、
侮辱的扱いを受ける事がないから、今回のインド人留学生が味わった、
また、味わっている誠に不愉快な気持ちや、恐怖心をなかなか実感する事は
難しいかもしれない。

私個人は、誠に自分のささやかな経験ではあるが、ヨーロッパに住んでいた数年間
に、日本人という理由だけで、ちょっと侮蔑的扱いを受けた経験がある。
それはほんの些細な出来事であったし、ヨーロッパにいる間に何回も経験したか
というと、ほんの数回くらいであったから大した事の部類に入るわけでもないが。

ただ、日本人という理由だけで、そのヨーロッパの国のある人のから侮辱的扱いを
受けた事は、私個人にとっては自分の人生において初めてのことであり、
物凄く自分の心や気持ちを傷つけるものだという事が解った。
周りから見れば、左程問題にもならないような小さな事であるようにしか見えなくても
その時の私には、非常に不愉快、なんとも表現しようも無い「嫌な気持ち」にさせられた。

ただ、どこの国でもそうだと思うが、国籍、習慣、言語。思想の違いだけで
他人を差別すると言う行為は社会全体の「マジョリティ」ではなく、少数派「マイノリティ」になりつつある現在の社会だと私は思う。


今回のオーストラリアのインド人留学生への差別的襲撃も、未だ精神的には
未熟な若者によって引き起こされている。
日本でも、オーストラリアでも、この様に「ゲーム感覚」で、他人を襲撃してしまう
ということが起こりやすくなっている現代の特徴と見るべきか。

ニュースによると、法整備による厳罰でこのような襲撃事件をなくすようにしていく
方向性みたいだが、それだけでは不十分なような気がする。

法整備も、もちろん大事であるが、これは人間の精神性の荒廃の表れでもあるから
即効薬はなくとも、「人間」というものに焦点をあてた社会形成の風土を
地道に作っていく事が遠回りでも必要な気がする。
オーストラリアに限らず、日本でも、どこの国でも。

この地球には、肌の色も違えば、言葉も、食習慣も、慣習も、宗教も思想も、
そして国籍も違う人が一緒に住んでいる。
自分の国の中だけで、自分の国の人達だけで生きていくというのは、
現代の社会ではまずありえない。
食べ物、電化製品、原材料、機械製品、雑貨、衣類と様々なものが、
世界中で融通しやって成り立っている。
であるならば、自国以外との国やその国民と接触する事は当たり前のように
日常的に起こっている現代。

そんな国際社会で皆が協調して生きていくには、
「他の国の人達の食生活、習慣、思想というものを、自分が取り入れなくても
 (実践しなくても)、違いは違いとして認め、その異質なものを他人がする事を
 認めるという寛容性が必要。」

これが国際化の基本的姿勢だと私は思う。
自分の国の尺度だけで、他の国を見ない。

インドにはインドの匂い、韓国には韓国の匂いが、私が出張でその地を訪れた時
に、すぐに感じる。
同じように、外国人の人からすれば、この日本にも日本の匂いを感じていると
思う。 私たちはその匂いに昔からなれて当たり前になっており、それを日本の
空気の匂いと思っているだけで。

私がヨーロッパにいる時に、会社の仕事の後に、日本から来た役員が持ってきて
くれた日本の「するめ」を会社で焼いて、ビールを飲みながら食べた事があった。
久しぶりの「日本の味」。 私達日本人駐在員は「日本の味」に郷愁も覚えながら
夜遅くまで会社で飲んだり食べたり。

翌日、会社にヨーロッパの現地人が会社に出勤して、大騒ぎが。
ヨーロッパ人が騒いだ理由は、
「会社の中が、人間の死体を焼いたような匂いで臭い!」
「とてもこの匂いが残っている会社の中では、仕事にならない」

と、日本人の私たちにとっては「郷愁」を起こさせる「するめの匂い」が、
彼らにとっては「人間の死体を焼いた匂い」に感じたのである。

寒い季節ではあったが、窓を一斉に開け、換気を目一杯して、早く匂いが
無くなる処置をすると共に、私達日本人は現地では食べられない「するめ」について
現地従業員に説明をして、なんとか、この匂いは死体を焼く匂いではなく、
日本から遠く離れた地で働いている私達日本人の味覚を、久しぶりに楽しませて
くれたものだ、という事をなんとか「理解」だけはしてもらった。

国が違えば、食べ物も違うし、習慣も違うし、考え方も違うもの。
それを前提にしていかなければ、無用な揉め事しか起きないよね。
同じ日本の中でも、同じ日本人同士で揉め事が起こっているのに。



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1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
差別じゃなくて非常識 (Unknown)
2018-02-05 17:00:18
スルメの話は差別じゃなくてただの非常識な話ですね。そもそも会社で飲むという行為もおかしい。そして日本社会ではスルメの香りが漂うのが一般的だなんて思わないで下さい。全く違うしそんなの日本でも迷惑です。差別や異文化の話ではなく日本のおじさんたちの非常識なはなしになってますよ。
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