熟年ドラキチ  さぁ人生はこれからだぁ^^ 

ドラキチ歴50年、 熟年・「オレ竜」の今日の”脳ミソの中身”

中国人が日本に行くと、日本に対する見方が変わるは本当か?  (1)

2021-04-19 | 亀君の”人間学”

gooニュースを見ていたら、こんな見出しが私の目に入ってきて、
読んでみた。

  (記事引用 gooニュース ー オリジナルは中国ポータルサイト・網易)
 

  中国のポータルサイト・網易に16日、「日本に行った後、日本に対する
  見方にどんな変化が起こったか」とする記事が掲載された。
 
  記事は、日本に行く前は歴史的なわだかまりや政治的な問題の影響により
  「実のところ、日本人は中国人を差別しているのではないかと心配していた」
  とした上で、実際に日本に行ってみると「差別を受けていると明らかに
  感じたことはなかった」と紹介した。

  記事全文は  下をクリックしてください

   👉 👉  日本に行くと、日本に対する見方は本当に変わるのか?

  (記事引用終わり)

 

この記事全文で言っている事は、どうも私の今までの経験とは
違うところもある。


それはどういう点かと言うと、
全ての日本人がモラルを守っている訳でなく、守らない人も
見受けられる。
と、このように記事を纏めて全体の論点をぼかしている点である。

もともと、このような事を論じる場合は、
中国の大まかな実態と日本の大まかな実態を論じるのが妥当であろう。
だから常に存在する、一部の事や例外事項は最初から
除いて論じるべきだと思う。

例を挙げてみると、例えば、
私が住む名古屋という土地柄を、私の若い頃は仕事上、
他の地域から来た人から、よく言われていた事である。

 ’’東京とか大阪、またはほかの日本の地域に比べ、
 名古屋(もしくは愛知県)人は保守的で、他の地域から
 来た人に閉鎖的だ。’’

私は名古屋に生まれ育ったので、あまりピンと来なかったが。
学校を卒業して、就職して関東、関西、九州、そして海外で
仕事をして、その後に名古屋に帰って仕事をし始めた時、
私も思った。 

’’確かに名古屋は少し閉鎖的な傾向があるかもしれない。’’

名古屋を離れて10年位私の体に封じ込めていた `’名古屋弁”も、
10年間のブランクも全く感じさせず、3か月後には
正真正銘の名古屋弁で喋るビジネスマンに私は成っていた。

今まで見たくても見ることが出来なかった我が中日ドラゴンズの
野球の試合もテレビや、ラジオでは絶対欠かさず名古屋では、
東海ラジオやCBCで放送される喜びもあり、
私の場合は名古屋での仕事は、全然閉鎖感すら感じない状態に見えたが、
やはり、私が経験してきた関東、関西、九州とはやはり違う。

といっても、これは大まかな実態の事である。
名古屋の人は全員が閉鎖的で、開放的な人は一人もいないと言う認識で
論じる人は誰も居ない。

大まかな大多数の傾向の話である。




で、本題に戻ります。
標題にある、中国人が日本に行くと、日本対する見方は変わるのか?

もちろん、私の今までの中国を含めた海外経験から  ’’Yes’’ 

解りやすい例から、言いますと。
私は中国上海と名古屋を飛行機で年間最低でも5回往復してました。
(当然 コロナ禍の現在は日本中に閉じ込められていますが)

(上の写真は、今から9年ほど前に上海浦東国際空港で撮影。午後3時くらいなのに、
 このように酷い大気汚染で視界も相当悪い。 当時PM2.5も相当騒がれていた。)



そこでいつも感じた事。
上海から名古屋に飛行機で移動する時の、飛行場でのチェックイン時、
飛行機の待合室や、飛行機に乗るためのバスの中、そして飛行機の中での
座席に座るまで、座ってからの中国人の振る舞いは、

  全く中国に住んでいる中国人の標準的な振る舞い。

即ち、人に譲る姿勢がまるでなし。’’我、先に’’、’’我、先に’’の自分中心、
チェックインカウンターでも、バスの中でも、
そして飛行機へ乗り込む時も。

そして人の迷惑も考えずに、勝手に自分が座りたい席に座ったり。
中にはCAに注意されても、なかなか自分のチケットの座席No.に
移動しようとしない中国人も。

     
(写真は中国の新幹線、 ’’ 高鉄 ’’。)



これは中国の新幹線 ’’高鉄’’ 内でも、見られる光景。
そして中国の新幹線 ’’高鉄’’ 内では、中国人が自分の携帯電話で
大きな声で喋っている。
私は何度もこの中国の新幹線に乗ったが、とても日本の新幹線の
快適性とは比較にならない。 とにかく 煩くて騒がしい。
とても落着いて読書もできるような社内ではない。

 

話が長くなりそうなので、続きは
 
中国人が日本行くと、日本に対する見方が変わるは本当か? (2)

で書きます。  

 

 

 


歴史は繰り返す。 愚かな国のリーダー(指導者)を持つ国民は不幸だ。

2009-07-23 | 亀君の”人間学”
国のリーダー(指導者)たる者は、本来、国民の幸せを常に考える人で
ある筈だが。
権力を持って、国の中で色々な特権や、特別意識に包まれてしまうと、
どうも人間は同じような行動するみたいだ。

「1人1発の銃弾を」…北朝鮮、国民に呼びかけ(読売新聞) - goo ニュース 
(記事引用)
【瀋陽=牧野田亨】北朝鮮が7月に入り、米国などとの「死闘」を強調し、「1人が銃弾1発を寄付しよう」とのスローガンを掲げ、全国民に鉄製品などの供出を求める国民運動を展開していることが22日、中朝関係者の話でわかった。

 この関係者によると、運動は 金日成主席の死去から15年にあたる8日から開始。「各人が肉弾となり、米国を筆頭とするすべての反動派との死闘を決意しよう」と訴え、「銃弾」の呼びかけに加えて「10人で砲弾1発を、1000人でミサイル1発を」と続くという。

 住民たちはくず鉄などを供出。食事に使うスプーンを出す小学生もいる。住民の間では、「銃弾何発」を提供したかが話題になっているという。


金総書記の豪華ヨット?伊当局が差し押さえ 英紙報道(朝日新聞) - goo ニュース 
(記事引用)
ロンドン=土佐茂生】英フィナンシャル・タイムズ紙は23日、イタリア政府が今月、北朝鮮に納入される豪華ヨット2隻を差し押さえた、と報じた。国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁決議で禁じられた、ぜいたく品の輸出にあたるためだ。イタリア経済発展省は、証拠はないとしながら「この種のぜいたく品や北朝鮮の国内状況からみて、納入先は金正日(キム・ジョンイル)総書記ではないかと考えている」と同紙に語っている。

 同紙によると、摘発されたのは伊アジムット社製の全長約29メートルと約32メートルの2隻のヨット。価格は合わせて約1250万ユーロ(約16億8千万円)相当。すでに手付金が支払われ、伊中部ビアレッジョの造船所で造られていた。

 注文は今年2月、オーストリアの企業からあったが、契約者が中国企業に代わるなど不審な点があり、経済発展省と財務警察が調べたところ、最終納入先が北朝鮮であることを突き止めた。




【熟年ドラキチ】
「1人が銃弾1発を寄付しよう」とのスローガンを掲げ、全国民に鉄製品などの供出を求める国民運動を展開。

これは今、北朝鮮で行われ始めた事だが、日本も第二次世界大戦中に、
似たような事があったと聞く。
石油や鉄の資源の調達をアメリカの戦略により、完全に止められてしまった
日本が、戦争を続けるために日本の国民に強要したのが、
今の北朝鮮と同じように国民に「鉄の拠出」を求めるものだった。

庶民の家庭の鍋や包丁、そしてお寺の鐘も、船を作るための鉄の材料に
回されたと聞く。

冷静にこの様な事態を眺めるてみると、直ぐに解る事であるが。
この様な事が行われ始めている事自体が、もうその国の滅亡・崩壊の
末期的現象であると。
日本もそうだった。 多分、北朝鮮も崩壊への道をまっしぐらに進んでいると
見える。

本当に一番可哀相なのは、そのような国の国民である。
国の当局からの指示で、そのような「愚かな施策」にも、従わなければいけないからだ。

と、国民全員に「1人1発の銃弾を」と呼びかけて、アメリカをはじめ日本やその他
ヨーロッパ諸国は敵だと、北朝鮮国民に異常なまでの「戦闘意欲」を高揚させて
北朝鮮という国の国民を一体化しようとしている。

ところがそんな国民への呼びかけの裏では、イタリアに金正日の贅沢生活のための
豪華ヨットが2隻も発注されているのである。
国民には「とことん節約や無理」を強いても、権力を持った指導者である金正日は
今までどおりの贅沢三昧の生活は、止めるどころか継続が当たり前。

こういう事が本当に平気でできてしまうのが、国を誤らせる指導者の典型。

これは国の指導者の振る舞いには、解りやすく現れる。
ただ、これと本質的に似たような事は、私達日本の社会の身近なところでも
よく見られる。
例えば、会社の社員だけには節約を一生懸命に説いたり、薄給で働かせるが、
経営者自身は今までどおりの特権的贅沢は、何ら改める事はしない。
特に同属家族経営の会社には、こんな事がよく起こるように思える。

北朝鮮という国も、指導者自らが今までの「贅沢三昧」の生活に終止符を打ち
自分自ら国民と同じように、ひもじい食糧事情の苦しさを味わうという「勇気」を
もった行動を自分もし始めたら、意外に国全体が良い方向に変わり始める
一番の近道ではと、つい、私は思ったりもしてしまう。

以前の私のブログにも書いたが、食糧事情が極めて悪く、餓死する国民も
いるのに、 金正日がイタリア料理が好きで自分が食べたいから、ピョンヤンに
新しくイタリア料理店を開いた北朝鮮。
イタリアからイタリア人シェフも雇ってである。

今の北朝鮮国民にとっては、本場イタリアの美味しいパスタなんか食べれるわけがなく、 そんなのを国の予算で作るくらいなら、国民に充分に行き届いていない
米を買い付けて、それを北朝鮮国民に行き渡らせる事のほうが、余程大事である
という事すら感じる事ができないくらい、国民の痛みを解っていない北朝鮮の
指導者およびその取り巻き連中。

程度の差こそあれ、これに似たような事が日本でも、天下り官僚への「超高額な
退職金」とか、無駄な地方空港建設、地方港湾設備建設、無駄なリゾート施設
建設というように起こっている。
その一方では、財源が足らないから「消費税」を何とか上げなければいけない
という宣伝も意識的に情報発信されて。



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”世襲”がどこもかしこも大流行。 世襲化=私物化なのにね~

2009-06-03 | 亀君の”人間学”
小泉元首相の次男が世襲で次の衆議院選挙に出ると事については、
あの小泉さんも「普通の親と一緒なんだなぁ~」との失望感を感じて、
以前の私のブログにも書いた。



小泉元首相の次男、自民公認へ…世襲制限の導入先送り方針(読売新聞) - goo ニュース 
(記事引用)
自民党は2日、「世襲」新人候補の立候補制限について、次の衆院選からの導入を見送る方針を固めた。

 次々回からの導入で調整する。これにより、小泉元首相の次男、進次郎氏(神奈川11区)と臼井日出男・元法相の長男、正一氏(千葉1区)は、次の衆院選で公認されることになる。

 同党の党改革実行本部(武部勤本部長)は、世襲制限が必要だとする最終答申を近く麻生首相に提出する予定だが、導入時期は明示しない方向だ。同本部の幹部は2日、「制限がいつからかは答申に書かない。首相を縛る内容にはしない」と語った。

 世襲制限の次回衆院選からの導入には、小泉、臼井両氏の地元などが「一度公認を内定しながら、途中で取り消すのは認められない」と強く反発し、党執行部に

同調する声も出ていた。制限導入の急 先鋒で首相に近い菅義偉選挙対策副委員長も「党は公認を内定した責任がある。次々回からにすべきだ」と主張していた。同本部でも衆院選前の混乱を避けるため、次回からの導入を見送ることにしたものだが、若手議員らから「世襲制限に踏み切る民主党と比較して批判される」と反発が出ることも予想される。

金総書記後継は三男・正雲氏、国家情報院が公式確認(聯合ニュース) - goo ニュース  
(記事引用)
【ソウル2日聯合ニュース】北朝鮮が先月25日の核実験直後に金正日(キム・ジョンイル)総書記の三男・正雲(ジョンウン)氏(25)を後継者に決定したことを国家情報院が公式に確認したという。複数の国会情報委員らが2日に明らかにした。
 国家情報院は1日、情報委員らに対し「北朝鮮当局が正雲氏後継者決定の事実を盛り込んだ外交電文を海外公館に伝達したと承知している」と報告した。正雲氏後継者決定の可能性はこれまでに数度にわたり論じられてきたが、韓国政府当局が公に認めたのはこれが初めてだ。
  金総書記は1月8日の正雲氏の誕生日に、同氏を後継者に内定したと朝鮮労働党組織指導部に秘密裏に下達。先月25日の核実験の直後、労働党、朝鮮人民軍、最高人民会議常任委員会、内閣官庁、海外公館に「正雲氏後継者決定」の事実を通知し、「後継者・金正雲」を事実上、公式化したと伝えられていた。

「三男・正雲氏後継へ急ぐ」 父親似で金総書記の「お気に入り」(産経新聞) - goo ニュース 
(記事引用)
まだ20代にすぎない末っ子を後継者にという“内定説”には疑問の声も残っているが、息子の中で金正雲が注目されるのはその性格が父親似で、金総書記も三男が「一番お気に入り」とする見方が広く流布されてきたからだ。




【熟年ドラキチ】
政治家という職業は、一般の民間企業とは全く違うはずなのにね。
民間企業であれば、創業者が会社を苦労して起こし必死の経営努力もして
会社も繁栄して、それで息子や娘を後継者に指名したいというのは、
まだ解る。

民間企業は全てリスクは自分持ちで、栄える事もあれば逆に倒産してしまう事も
ある。
世の多くの中小零細企業の跡継ぎは、ホンの一部を除いて殆どが世襲で
後継者が会社の跡を継いでいる。
これは創業者が自分で起こした会社=財産という認識に近く、
いわば財産を子供に引き渡すのに等しい。

私たちは世の中の多くの会社で、このような実例を見ているし、当り前だと
思っている。
ただ、規模が一定以上の大きさの会社になると、経営者の世襲は一般的では
なくなっているのも事実。
それは「世襲制が持っている大きな欠点」、即ち、跡を継ぐ世襲の息子や娘が
優秀でなくても、彼ら彼女らが会社のトップになるということが、
必然的に他の社員の「やる気」を削いでしまうという事が、或る一定以上の会社では
会社の存亡に致命的に成る事が、もう常識になっているからである。

特に、よく見られるのが、その世襲の息子や娘はその親の会社に入った時から
「特別扱い」されて、大いなる勘違いを起こしがちである事が、
最大の世襲会社の問題点であるとも言えると思う。

実績も余り残すことなく、当然、実力も余り無いのに会社での「地位」と「権力」
だけは入社した時から約束されている。
いや、彼らは世襲制による被害者でもあるかもしれない。

入社した時から、他の社員と同様な扱いをしていない「親の親子の情による甘え」
の被害者でもあると思う。
若い時から、一から色んな経験をして自分の実力を客観的に高める機会を
社長の息子や娘という事で、会社からも取引先からも自然のうちに
甘やかされてしまっている可能性が大いにある。

世襲制がもっているこのような大きな欠点は、広く社会では当たり前のように
理解されているから、ある一定以上の規模の会社では、このシステムは
取っていないのが普通。
ただ日本の会社の圧倒的多数を占める中小企業では、逆に世襲が当たり前では
あるが。
まぁ~ 会社の存亡=自分の家という意識は解らないでもないし、また、
その世襲によって会社が倒産しても、最終的にはその結果は自分たちが受けるのであるから、民間私企業ではまだ許されるであろう。

しかし、上の新聞記事にある衆議院議員とか、北朝鮮の後継者というのは
民間私企業ではない。
いずれもそれらの職業は、日本国民のため、北朝鮮国民のために働く職業や
地位である。
こんなところにも親が自分の職業を、自分の子供に継がせたいというのは
明らかに、国会議員とか北朝鮮の最高ポストを「私物化」していると言わざるを
得ない。

特に日本では衆議院議員は、有権者に選ばれて成るものである。
今回の議員の世襲を制限する動きに、自民党のある代議士は、
「これは職業選択の自由」を制限するもので、憲法違反であるとさえ発言する
議員がいた。

何も「世襲制限」が意味しているものは、議員の息子や娘が親と同じ選挙区から
出馬を制限するもので、彼らや彼女らが衆議院議員になることを禁止している訳ではない。
本当にその息子や娘が衆議院議員として、日本のために仕事をしたいという
志や情熱があるのであれば、親が選出された選挙区以外からは、日本全国
どこからでも立候補できるのである。
他の「世襲でない議員」が、地盤、看板、カバンの3要素がない中、苦労して
必死に選挙区を勝ち上がってくるという「苦労」をしてまで、衆議院議員になろうとする志や情熱がないという事を、この「世襲制限」に反対している自民党議員や
その子供はまるで表明しているようなものだ。

一国民の私からすれば、親の地盤でしか当選できないような議員は、
これからの時代は、むしろ国民にとっては迷惑であり、不幸である。
麻生総理の前の2代続いた安部総理、福田総理。 いずれも「世襲議員」。
一年くらいで、いとも簡単に総理大臣という職を「投げ出してしまう」という
誠にひ弱な総理大臣だった。

一般民間企業であれば、迷惑するのは世襲の息子や娘の会社とその周辺
だけであるが、総理大臣や国会議員となると、そんな小さな範囲の迷惑や
不幸にとどまらない。

話の次元はちょっと違うが、プロ野球の世界でも、この「世襲問題」を
考えるのに、よい例があると思う。
長島茂雄の息子の長島一茂と、野村監督の息子の楽天の野村コーチ。
親はプロ野球界を代表する大選手だった。
で、その息子はというと、これはもうご存知の通り、並みの選手。
むしろ、他の選手とは違って、あれだけプロ野球の世界でもチャンスを与えられて
も、大した結果を残せなかった。

さらに、この息子の両選手は、いずれも最後は親が監督をするチームに
移り、そのまま野球界で生きていられる。
息子には実力はないのであるが、親の力や威光で野球界に生き残って
生きていられる。
子供頃から長島の息子、野村の息子ということで「特別扱い」されて、
その恵まれた環境のお陰で、プロ野球に入れるくらいの実力はついたとは思うが
プロの世界に入ってからは、本当の競争の世界で「自分の実力」が試される世界。
この両選手とも「世襲」による良い環境を持ちながらも、他の一般の環境からの
選手には負ける結果に終ってしまった。

まぁ~これは野球というスポーツの世界の例ではあったが、世襲の持っている
悪い面を示している好例でもあると私は思う。

今、日本に横たわる政治・経済の問題は、いずれも過去の前例とかに従って
いては解決策を見つけることは出来ない問題ばかり。
国民のために日本の国益を守る大きな使命のある政治家は、
自分の親の選挙区から出馬はOKという、了見の狭い考え方を
未だにこの場に及んでも選択してしまう自民党というのは、
もう完全に日本の国益を守るという崇高な志は殆ど持ち合わせていないという事を
この「世襲制限」を見送るという事で、世間に臆面も無く晒しているように
私には見えてしまってしょうがない。


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土下座の意味・意義、そして効用は?

2009-03-07 | 亀君の”人間学”
岩手知事が議会で土下座、入院ベッド廃止巡り“強権発動”(読売新聞) - goo ニュース   
(記事引用)
岩手県立医療施設の入院ベッド廃止計画を巡り、岩手県議会が6日紛糾し、達増拓也知事が議場内で4回にわたり土下座する一幕があった。

 同県は医師不足などを理由に4月から県立6医療施設の入院ベッドを廃止する方針を決定。野党などの反発から議会は7日未明までもつれ、結局、関連経費を削除した補正予算案が可決され、廃止問題を先送りした。

 この間、達増知事は議決に対する「拒否権」にあたる「再議」申し立てや休憩を求める際、土下座を繰り返した。特に「再議」は強権発動にあたり、岩手県政史上では初めてとなることなどから、土下座で県議たちに理解を求めたとみられる。

 与党議員は「知事の真剣味の表れ」とかばったが、野党議員は「目立ちたかっただけでは」と冷ややか。達増知事は「礼を尽くさせていただいた。我々も反省するところは反省するので、県議会の皆さんに再考をお願いする」と話した。

 土下座-Wikipedia 
 下座(どげざ)とは、の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式の
 ひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの
 意を表す場合に行われる。

【熟年ドラキチ】
あの岩手県知事の達増知事が議会で土下座?
私はこの記事を読んだ時、少なからず驚いた。
この達増知事は今は岩手県知事だが、知事になる前は衆議院議員だった。
新進党・自由党・民主党の衆議院議員で、岩手県知事にもなっているように
民主党の小沢代表の可愛い教え子みたいな議員だった。
(俗に言う 小沢チルドレン)。

私がこの達増知事の衆議院議員時代の事を覚えているには、
理由がある。
別に私は岩手県に何の縁も有るわけでなく、達増議員の国会での発言を
その当時テレビで見て、私は、
 「この達増衆議院議員というのは、何と言葉が洗練されてなく、
 まるで心が冷え切った人間が言うような事を、よくもまぁ~平気で言えたものだ。」
と、強烈な印象を受けた覚えがある。
その当時の国会の何の問題での追及で、達増議員が私にこんな印象を与えたかは
覚えていないが。

人間の記憶とか印象は恐ろしいものですね。
それ以来、私は達増知事にず~~~と、この印象は持ったままなのである。
そのきっかけになった国会の問題は、綺麗さっぱりに忘れているのにね。(苦笑)

国会議員でこの達増知事と同じような印象を受けたのは、もう一人いた。
残念な事に、去年その一人の方は自殺をしてしまった。
あの偽メール事件で国会議員を辞職した永田元議員である。
偶然の一致かどうか解らないが、このお二人とも東大法学部を卒業した
エリート。

そんな印象を持っている達増知事が土下座?
私は”まさか~” と思ったのだが。
余りにも土下座をするような人間とはかけ離れた人間だと、私には思えていたのだが。
それくらい、達増知事は岩手県議会で窮地に立たされているの?

今の世の中で、土下座は私たちの中では一般的な事ではないと思う。
選挙の時に、候補者が投票日前日の最後の瞬間にするのが、一般的なくらい。
(苦笑)

上のWikipediaの土下座の記事にもあるように、土下座は日本の礼式のひとつで
深い感謝やお願いをする場合にするもの。
そこに一貫して流れているものは、その行為(土下座)を行う底流には、
深い感謝や心からのお願いが無くてはならないと思う。

形だけの土下座であれば、それはかえって土下座をされる人を馬鹿にしているくらい失礼な事でもあると思う。

しかし、この土下座という行為、今は精神的な側面は余り問われず、
土下座と言う行為そのものに、価値が置かれる「道具」になってしまっているのでは?
卑近な例で言えば、
 「土下座してまで、あの人は謝った」とか、
 「土下座して、謝れ!」と要求したりする場面も。

こういう使われ方をする「道具」になった土下座だから、今回、達増知事も
道具として土下座を使ったの?
と私は勝手に思ってしまうくらい、この達増知事と言う人には、精神的な気持ちの
暖かみというものとか、人情の機微というものは無用と考えている人というイメージがある。

まぁ~ 謝る行為、たとえば記者会見で大手企業の社長とか役員、また官庁の
偉い役人さんが一斉に頭を数秒間下げる行為にも、私には同じような事を
感じているが。
「この人たちは、マスコミのカメラの前で「ごめんなさい」と言って
 頭を深々とさげているけど、 本当に申し訳ないことをしたと
 心から謝罪をしているのだろうか?」

こうやってカメラの前で頭を深々と下げれば、パフォーマンスとして謝った事に
なるだろう。 と彼らの腹の中では思っているようにしか見えないんのだが、私には。

何故、私がそう思うのか?
それは彼らが頭を下げるパフォーマンスをした後の行動に、
本当に申し訳ないという気持ちがある人の行動とは思えない行動をするからである。

選挙の時の候補者も同じ。
自分の選挙の当選に関わる時は、土下座でもして必死に有権者にお願いを
するが、選挙で当選したらもうそれは「喉もと過ぎれば、何とやら~」で、
土下座をしながら「有権者のために身を粉にして国政で働きます」と言って約束は
とっくに忘却の彼方、それも遥か遠くの地平線の果てにまで忘れ去っている。

ちょっと話はずれたが、土下座とか謝罪と言う行為は、
行為そのものとともに、その気持ちに偽りがないかどうか、
これが一番大事なような気がする。

そもそも議会と言うところは、土下座とかいうパフォーマンスで議決内容が
変化すると言うところでなく、建設的な議論をして結論を出すところでは?

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「忙中閑あり」というが、その閑は無かったぁ~(笑)

2009-01-10 | 亀君の”人間学”

年明けから、忙しい一週間の幕開けとなってしまった。
忙しいといっても、まだまだこの世界不況を撥ね退けるような結果・数字が
出たわけでもない。

結果が出ていないのに忙しいのは、世間では「徒労」とでも言うのであろうか。
しかし、この1週間の忙しさ、今日の仕事を終わって今、やっと私もホッとしている
のであるが、「徒労」というより充実感に近いものの方がある。

何故であろう?

数字と言う結果はこれから出てくるための今回のインドの会社との商談だったので、
数字だけで評価する段階でないのが、まず1つ。
次に、相手の強い要求に対し、私が用意した結論で商談は無事に成立した事、
これが2つ目。
そして3つ目、これが一番に私の気持ちを軽くさせているものだろう。
それは、目先や目前の商談の成立・不成立と言う結果よりも、
「この問題は、どう対処すべきだろうか? どうあるべきなのだろうか?」という
根本的なところを大事にしようと決めて、今回の商談はここ数ヶ月のやりとりを経て
臨んだ私。

売上げが去年の夏頃までの好調な時なら、自然に選択できているこの路線だが、
今は私の売上げも酷い時。
なのに、私は商談不成立という大きなリスクも覚悟で、この路線は崩したくなかった。

これは多分に私の性格も影響しているかも。(苦笑)
別に頑固でも融通が利かないと言う事ではなく、 どことなく「仕事へ美学」を追求
するようなところがある私。  ただこの「仕事への美学」は全く本人の自己満足の
域を超える事は無く、多分、周りはそんな事は誰も理解も認識もしていないだろう。
(笑)

今回のインド人の若き経営者との商談は、仕事であるから当然、成立・不成立と
いう結果を最終的に出すのは当たり前だが、私はこのインド人の精力的な今までの
仕事ぶりや、理解力の速さに驚かされた。
兄弟で会社を興したところからの苦労した話も、非常に印象的であった。
今ではインド全土に4箇所も支店を構えるようになったが、創業当時は実績も
信用も金も無く、だから仕事で使う車も無かった。

自分達で機械を作り、それを営業に出て回るのも、なんと「スクーター」。
その移動距離を聞いてビックリ。 片道150キロも離れたターゲットのお客の
ところまで行くのに、いつも「スクーター」だったと。
150キロといったら、名古屋から大阪の手前くらいの距離である。
インドの大学でエンジニアとしての勉強もし、さらにその後経営学を学ぶために
「MBA」も取得したエリート。 そんなエリートの彼も、会社のデスクの前にいるのは
月のうち、ほんの僅かで、いつもインド国内を夜行バスの移動で飛び回って
いたとの事。

「仕事は忙しい人に頼め!」 とは日本でもよく言われること。
彼を見ていると、年齢も若いのもあるが、実に精力的。
事前の段取りが悪くて、無闇に忙しくしている人ではなく、物事や事態の大事なところ
には力を注ぎ、適切に解決して、次から次へと仕事を成し遂げていくタイプである。

こういうタイプの人は、当然、理解力も優れていて、判断も速い。
そうでないと、多くの仕事をやり遂げていく事はできないからである。
だから今回の商談でも、私と彼とのお互いが持っている結論は全く相反していても、
建設的に、そして事実に即して話を進めていくと、お互い相反する事より、
一致していく点が多くなってしまった。

こんな感じだったから、朝から晩まで2日間も英語で喋りっぱなしであったが、
私も疲れを感じなかったのだろう。 (商談中は。)
しかし、人間の体は正直で、彼を名古屋駅まで送り、新幹線に乗せ終わったら、
急に私の体は一気に脱力感でいっぱい。
緊張感が抜けると、もう「グダグダの疲れたおじさん」になっちゃった私だった。(笑)

と書いてくると、2日間仕事の真面目な話ばかりに思われちゃうが。

そんな真面目で仕事も精力的なこのインド人経営者も、やっぱり「男」であった。
顔も言葉も食べ物も宗教も違っても、男がエッチであるのは、このインド人も
例外ではなかった。(笑)

人類を国という分類で分けると200以上にも分かれるが、凸と凹という身体的な
分類でいくと男と女の2つ。
そしてその凸の男は、どうも世界のどこの国の分類に分かれていても、
エッチみたいだ。(笑)

イスラエルのほうでは今、また悲惨な爆撃で多くの死者が出ている。

国とか、民族問題とか、宗教上の争いとかで、人間が人間を傷つける事が
昔から今に至るまで絶える事がない。
少なからず私がこの30年間弱で接した事が有る外国人は40カ国くらいあるが、
皆、男はエッチみたいだ。(笑)
世界平和の実現のためには、ひょっとしたらこの「エッチ心」が有効なのでは。(笑)
どこの国の男の人も「エッチな話題」になると、人種・国境を越えて極めて嬉しそうな
表情になる。 当然、しかめっ面もなくなり、笑顔の占有率がダントツに高くなる。

戦争を起こすのは、殆どが凸の男。

笑顔からは戦争は生まれないであろう。← これは私の仮説。

この仮説が正しいのであれば、「エッチな心」からは戦争は生まれないと言う事に
なるんだがなぁ~~~~。(笑)

うん? 自分のエッチ心を正当化するために、そんな「屁理屈」をこね回すな~~~
という批判がきそうだなぁ~~~~~~(笑)



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「学校の勉強だけではメシは食えない」、確かにねぇ~。

2008-10-13 | 亀君の”人間学”

先週は東京出張だったが、その間に世界も日本も先行きの景気が
非常に暗雲漂う見通しの悪い感じになってきた。
私の仕事柄、海外との貿易が中心なので、今起こっているアメリカ発の
世界金融危機、世界同時株安、世界同時不況、そして円高は、
私の仕事にも大きく影響する。

と言って「ジタバタ」してもしょうがないので、この東京出張に私が手にした本は、
今の世界金融危機とか世界経済とは、まったく対極にあるような話題の本、
 「学校の勉強だけではメシは食えない!」 (著者:岡野雅行)
であった。(苦笑)

この著者、岡野雅行という人は本を書いた当時は74歳の東京・墨田区の
従業員6名の金型製造・プレスという金属加工会社・岡野工業株式会社の
社長さん。 本人は世の中の社長と言われている人達の生き様を見て、
社長と言われるのを嫌い、自ら自分を「代表社員」と言っている人。

この小さな零細企業のお陰で、実は私達も毎日の生活も便利になったのである。
今は殆どの人が持っている携帯電話。 今ではこんな小さく薄い携帯電話が
当たり前になって私達も使っているが、携帯電話の出始めの頃は私も
まるで「爆弾」のような大きなそして重い携帯電話を使ったものだった。
そして携帯の電池切れも早かった~。

今、私達が使っている携帯電話の電池(バッテリー)のように、薄いバッテリーを
(ステンレスのリチウムイオンケースの量産)可能にしたのは、
実はこの6人の会社・岡野工業株式会社の技術力のお陰。
「携帯電話を普及させた」一番の功労者と言っても言い程である。

長年の技術力でアメリカNASAへの部品や、自動車産業にも貢献している。
私達の身近な生活では、「刺しても痛くない注射針」(正式名称:ナノパス)を
テルモ社がインシュリン用注射針として2005年に発売したが、これも岡野さんの
「作品」である。針の外径が0.2ミリ、針の中の液が通る針の内径は、
なんと0.08ミリ。 世界一細いインシュリンの針である。

テルモ社の担当者はこれを作る為に1年間、日本中の金型・プレス・パイプを
扱う会社を100軒以上に頼んでみたが、どこも不可能と言う事で、
最後にこの岡野さんのところに持ち込んだと言う事。

「世界的職人」 「金型の魔術師」と言われている岡野さん、実は学歴は
小学校しか卒業していない「世界一の職人」。
今までテレビなどでも紹介されている有名な職人。
こんな世界経済が先行きどうなるかと言う時に、何故かこの職人さんの本を
手にしてしまった私なのである。 

まぁ~今まででも自分で意識的に、関係ない本や話題に入っていくと言うのは
私の生き方、習性、そして気分転換かもしれないけど。(苦笑)

流石に世界一の職人さんだけあって、話にも説得力もあり面白く、そして
参考になる本だった。 いろいろな話題があったが、私としては、
 ・世渡り力が大事だ。- 義理・人情が大切
                「何かしてもらったら4回お礼を言え」
                「頭のいい人間」と「利口な人間」の2種類がいる。
                「頭のいい人間」は学校の勉強は出来るが世渡りはヘタ
                「利口な人間」は世渡りが巧く、応用が利く。
 ・失敗がないのは経験が無い事と同じ
    仕事をするなら失敗は避けて通れない。成功するまで何回も失敗するのは
    当たり前。 「失敗するのが怖い、嫌だ」なんて言っていたら、その先に
    成功があるわけが無い。
    人間は失敗を人よりたくさんして、初めて成功できる。
    絶対に失敗しない仕事ばかりしていたら、新しい技術が身に付くわけが無い。
    そういう会社は、気がつくと世間の技術の進歩から取り残されてしまう。
    仕事が来なくなって、会社はいつまでたっても伸びなくなる。
 ・常に新しい物を追い求める
    儲かってしょうがないといっても、それにしがみ付いちゃダメ
    技術は水物。 見切りをつけるのも大事。
 ・常識を捨てる
    常識と言われている発想を一度捨てて、まったく違った発想で取り組む。
    「痛くない注射針」をパイプから作ろうという常識的発想では、これは
    出来なかった。 板を丸めようと発想したから出来た。
 ・仕事も遊びも理屈ばかり言ってるのではなく、目の前の事を面白がって
    やればいい。現実社会で役に立つ処世術は、生身の人間関係からしか
    学べない。 ネットから人間関係は学べない。
 ・みんなが行くところは儲からない。みんなが嫌がる所にこそ宝がある。
    人と同じ事をしてちゃダメ。人と違う事をする事。
 ・「利口な人間」とは、世渡り上手な人間で、極端に言うと、
    ”人生、太鼓持ちになれるやつが成功する”。
    技術っていっても、浅く広くだっていい。
    話題を持っていて、情報を持っていて、面白い、そんな人間が人から
    呼ばれ色々な経験が出来、世の中の事をたくさん経験できる。
 ・失敗してはいけないという風潮が人から可能性を奪っている
    先へ進もうと思えば、失敗なんて成功へのひとつの過程。
    失敗する事は悪い事じゃない。
    全て経験として見れば、かけがえのない貴重な事。
    ただひとつ注意する事は、失敗して騙されて世の中に流されちゃダメ。
    流されず自分の決めた道を突き進む事。そうすれば成功が見えてくる。

このブログを書きながら、私はブログの効用を再発見。
ブログって便利だなぁ~。 今回みたいに読んだ本で自分が大事だと思ったことを
こうやって書いておくと、また後で見る事が簡単。
最近は物忘れも酷くなってきたからなぁ~~~~~(苦笑)

それと岡野さんは利口な人間は太鼓持ちになれと言っているが、
太鼓持ち=男芸者?  調べて見たら、

  1. 宴席に出て客の遊びに興を添えることを職業とする男性幇間
  2. 人にへつらって気に入られようとする者。

みんなに呼ばれて面白がられるような人間でないと、いけないということか。

さ~て、明日から経験を積む為にいっぱい失敗をしよう~と (笑)


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先覚者の心技体を備えたイチロー

2008-09-19 | 亀君の”人間学”

またもメジャーリーグの記録に並んだイチロー。
日本でも日本人初の200本安打達成と言う記録も作ったイチローは
アメリカ大リーグでも達成してしまった。

<イチロー>8年連続200安打達成! 107年ぶりメジャータイ記録(毎日新聞) 
<イチロー>8年連続200本安打達成! 1世紀ぶりメジャー記録に並ぶ(スポーツナビ)

(記事引用ー毎日新聞)
米大リーグ、マリナーズのイチローは17日(現地時間)、米ミズーリ州カンザスシティーのカウフマン・スタジアムで行われたロイヤルズ戦の第4打席でショートへの内野安打を放ち、メジャー記録と並ぶ8年連続200安打を達成した。メジャーでの8年連続200安打は、ウィリー・キーラーが1894~1901年に記録して以来107年ぶりの偉業。

(記事引用ースポーツナビ)
「ICHIRO SUZUKI HAS TIED THE MLB RECORD WITH 8 CONSECUTIVE 200 HIT SEASONS」
 バックスクリーンに、イチローの輝かしい記録がこう映し出されると、スタンドのファンは偉業に気付き、拍手が沸き起こった。敵地にも関わらず、スタンディングオベーションで偉業をたたえるファンの姿も数多い。

【熟年ドラキチ】
今回は以前にイチローがメジャーで達成したシーズン最多安打の時ほどは
盛り上がりを見せていなかったとは言え、やはり記録達成時には
球場に詰め掛けたファンの敵も味方もなくイチローにスタンディングオベーション。
「ヒーロー」好きのアメリカらしさと、このフェアーな精神がファンにも見られるのは
日本人の私達も見習いたいものですね。


(記事引用ースポーツナビ)
メジャーで8年もの間、大きなけがをするなくコンスタントに試合に出続け、安打を量産し続けることは並大抵のことではない。高い技術を維持していくことは言うまでもなく、イチローは厳密に時間管理したルーティンの練習メニューから、オフの筋力強化トレーニング、食事の栄養管理、コンディショニング管理など、すべての局面で日々のたゆまぬ努力が欠かせない。プロとして徹底した自己管理を続けてきたイチローの修練が結実した記録といえよう。

【熟年ドラキチ】
愛工大名電の投手として甲子園に出た時のイチローを見て、あの時に後に
このイチローが日本プロ野球の記録を塗り替える大選手に、 更に
アメリカメジャーリーグの100年ぶりに記録にも並ぶ大選手に成るとは
一体どれだけの人が予想しただろうか?
決して甲子園の高校野球でも一際目立ったわけでもなかった。
イチロー本人は子供の時からの大の中日ドラゴンズファン。
その中日ドラゴンズもドラフトで指名することなく、オリックスに4位指名でプロ入り。

大選手になるには、それだけの裏づけが当然ある事がよく解る。
中学校時代も学校の野球部の練習を終えても、なお家に帰ってから
近くのバッティングセンターで毎日と言うほど練習していたという。
そのバッティングセンターは私の家からも近かったので良く知っている。
イチローの活躍のお陰で、この”空港バッティングセンター”もこの東海地区では
有名になってしまった。(苦笑)


イチロー「ずっと恐怖との戦いだった」(スポーツニッポン) 
(記事引用-スポーツニッポン)
◇イチローと一問一答

 ―― 200安打を達成しての率直な気持ちは。

 しんどかった。めちゃくちゃしんどかったです。(内野安打は)とっさにバットが出た

 ―― 一塁ベース上でこみ上げるものは。

 それはないですよ。それがないのが僕ですから。それがあると多分8年続けてやっていないでしょうね

 ―― 8年続いた。

 5年やった時に“8年がいるのかあ”と思ったが、結局そこに来てしまった。結果的に200安打する選手はいるけど、それを(最初から)具体的にイメージして達成できる選手は僕と(5年連続200安打のレンジャーズの)マイケル・ヤングしかいないと思う。

【熟年ドラキチ】
自己に厳しく、ストイックまでに自分を追及していくイチローは、日本のプロ野球の
オリックス時代は、発言も謙虚で優等生的なものが多かったような気がする。
この上のイチローの発言を見ると、随分とオリックス時代とは違い、ハッキリと
そして謙虚と言うより自信満々、悪く言うとちょっと傲慢で”ビッグマウス”気味に
聞こえるが。

これは8年もの間アメリカメジャーを経験しているイチローには当然の事で
あると私は思う。
日本での謙虚さはアメリカにおいては、自信の無さに周りに受取られるし、
ストレートに自分の気持ちを表現するインタビューは、日本のプロ野球では
多くみられず、ともすれば”面白くない”インタビューが多い日本。
アメリカではファンサービスとしても、インタビューは大事な要素。
選手個々の個性が日本に比べたら”雲泥の差”と感じられるくらいに、
インタビューでは現れる。

最初から具体的に200本安打をイメージして達成できるのは、イチローと
マイケル・ヤングしかいないと言い切る小気味いい発言。
日本でこんな発言をしたら、他の選手から総スカンをくらいそうだが。
しかし、イチローにはこれを言えるだけの他の選手への観察・分析というものが
当然あるから言えるのであろう。

8年連続というタイ記録を達成したら、当然、来年の9年連続という新記録達成に
本人も周りのファンも注目がいくと思う。
来年の新記録達成の時には、全米からの注目を浴びる事を今度は期待したい。

それと、これは一ドラゴンズファンの私の拙い希望だが、
引退は日本の中日ドラゴンズでして欲しい~~~~。(苦笑)





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“茹で蛙” より “もがき蛙” の方がいい?

2008-07-08 | 亀君の”人間学”

だんだん熱くなっていくお湯にも気がつがずに、そのままお湯に浸かり
最後は死んでしまう“茹で蛙”。 現状に対して何ら問題意識を持たないことへの
恐ろしさを教えている喩え。

今日仕事の調べ事で私の古いノートを見ていたら、同じ蛙でも、別の蛙の喩えの
メモが見つかった。
それは “もがき蛙”。  これまた大きな鍋に今度はお湯ではなく、油(クリーム)を
入れて、そこに 蛙君A と 蛙君Bを入れて結果の喩え。

断っておきますが、いつも蛙をお湯に入れたり、今度は油に入れたりと、
“ちょっと残酷ではないか!!” と批判を受ける前に私の弁明を。 

これはあくまでも人間の喩えで作った話で、実際に行ったわけではないらいしい。
蛙も熱湯になる前に、ピョンッと鍋から飛び出していったらしい。
人間が自分たちの行動の善し悪しを人に伝えたい時に、物や動物等に喩えて、
解りやすいようにする為のひとつのパターンかも。
ただ、愚か者の代表みたいに喩えられた蛙も、堪ったものじゃ
ないかもしれないけど。()      

それで今回の“もがき蛙”の喩えは、油(クリーム)の鍋に入れられた蛙君Aは、
“ここは水じゃなく、油だ。 泳ごうと思ってもベトベトと手や足や体に油が
まとわりつき、
これじゃ~泳げない。 もう~ここでこのままじっとしているしかない”
というふうで、現状を正しく認識し、その認識からの判断で何もせず
結果死んでしまう。

一方の蛙君Bは、
“なんだぁ~この油は~ ベトベトするなぁ~と思いながらも、
いつもの水の中にいる時と
同じように泳ごうとした。しかし水と違って
ベトベトして泳ぐことが出来ない。
それでもなんとか泳ごうと水の中にいる時以上に、一生懸命に手足を動かした。
それはもう泳ぐというより、ただもがいているようにしか見えないくらい。“
そうやってもがいているうちに、油(クリーム)が蛙君の必死の手足動きでよくかき混ぜられ、やがて乳化して固まり始め、ついには蛙君Bは固まった油から逃げ出せた。という喩え話。

蛙君Aは現状の正しい認識を行うが、その認識により何も行動しない。
結果死んでしまう。
蛙君Bは現状の正しい認識ができず、とにかく泳ごうと必死に行動。 
結果生き延びた。  

この喩えは、行動の大切さを訴えたい人が、解りやすくする為に作ったのであろう。私も人生50年も過ぎると、いわゆる分別とか経験により、蛙君Aの部分が若い時に比べ明らかに私の中では大きくなりつつあるような気がする。
あれこれ考えたり判断や認識をして、結局なんら実際の行動を起こせないことが
多くなってきた。 仕事においても仕事以外でも。

これからは意識的にも“もがき蛙”の喩え話を思い出すようにしていかないと、
いけないかなぁ~~~と、私の古いノートのメモを見ながら感じたのでした。

亀君もたまには“もがき蛙”に。 まぁ “もがき亀君”でもいいかぁ~~~~ 



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“思う”と“確信する”では結果は大違い

2008-06-11 | 亀君の”人間学”

海外の新聞に興味深いコラムが。

それはロシアのプーチン前大統領と、
同じくロシアのサッカー代表監督ヒディンクに
について。

プーチンは、ソ連の崩壊以来政治的に混乱に陥り、事実上「破たん国家」と
なっていたロシアを、世界の強大国、また世界10大経済大国にまで躍進させた。
一方、ヒディンクは昨年10月、ユーロ2008の本選進出が絶望視されていた
ロシア代表が、セルビアと「サッカーの本家」イングランドを相次いで破り、
本選進出を実現させる上で立役者である。

この両者に共通しているのが、 本人達の持つカリスマ性もあるが、
それは言動であるという。

プーチンは演説でも“確信する”という言葉を好んで使う。
もし確信出来ない事であれば
発言を慎み、自分が確信できるまで
研究し続けるという。

閣僚たちが「私は~~~~だと思う」と発言したのなら、
プーチンはすぐにその閣僚の
発言を遮り、
「閣僚たるもの~~~~だと思う と発言してはならない。
所轄する業務を
きっちり把握研究し、今後こうしていく。 と発言しなければならない」と閣僚を叱り飛ばしていたらしい。  


一方のヒディング。周囲から圧倒的にロシアのユーロ2008の本選進出が
悲観的に推測されて
いる中、選手の特性を十分に把握して
「ロシアの選手たちは、実力では必ず本選に進出できると確信している」と
自信をもってインタビューに答えている。

自ら確信できるまで研究を重ね、その後は自信を持って取り組んでいく
プーチンやヒディンク
のやり方は、危機に直面した時のリーダーのあり方に
非常に参考になりそうだ。

最近の日本の話題で言えば、後期高齢者医療についての政治家・厚生労働省の
官僚には
いずれもプーチンやヒディンクに見られるような確信満ちた発言はない。
国民にばれないよう制度を法案化し、国会議員もまともな研究もせず、
官僚の意のままに
法案を通し成立させてしまう。
実施して色々な問題を指摘されても、これもまた十分な調査をせず、
いい加減な数字を
発表。  

つい2~3年前には100年間安心と政府与党が宣言した年金制度。
去年からの“年金問題”がなぜ噴出してくるのであろうか?
もしプーチンやヒディンクだったら、こんな事が起こっているであろうかと、
私は考えたくなってしまう。

“思う”と“確信する”-自ら確信できるまで研究を重ね、自信をもって取り組む。

これは何も政治家・官僚だけでなく、私たちの日常生活にとっても
大事なことだと思う。

普段の仕事中でも、

       “大丈夫ですか?    大丈夫です!”
  と
   “大丈夫ですか?    大丈夫だと思います。”

では大きな違いがあると思う。
 “大丈夫だと思います。” という言葉の中の“思う”には
大丈夫でなかった場合の一種の責任逃れが含まれている。
これを謙虚さという人も
いるが、大丈夫と自信を持って言い切るまで
研究・準備等をしていない表れである。

普段から “思う” と “確信する” のどちらを自分が使うかによって、
プーチンやヒディンクみたいな結果を得るか、
日本の政治家・官僚みたいな結果を得るは
決まってしまう。

ちょっとした言葉の違いの中に、結果にいたる原因が潜んでいることを認識し、
私も今後は十分に注意を払い、いい結果に恵まれることを“確信する。” (苦笑)



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”フェアーな精神”-アメリカ大統領選

2008-06-09 | 亀君の”人間学”

アメリカ大統領選に向けて、民主党はオバマが大統領候補へ。
ヒラリー・クリントンが”撤退声明”を発表した。まだ民主党の中の候補選びで
大統領選挙はこれから。

民主党のこの候補者選びに、私は個人的に興味を持っていた。
候補者のキャラクターというかステータスが、極めて”初物”であったからである。

初の”黒人大統領候補”のオバマ。
初の”女性大統領候補”のヒラリー・クリントン。

長期間に渡って接戦を繰り広げてきた両者。
自分の主張あり、相手への攻撃あり、
そして時には多いに話題を呼んだ”女の涙”ありの戦いだった。
それらの裏には当然権力争いでもあるので、影の駆け引きや、
権謀術数にたけた裏の戦いも繰り広げられたであろう。

そして今日のヒラリー・クリントンの”撤退声明”の表明で、
今までの両者の攻撃・争い・戦いは、民主党の候補の1本化で
今日よりはお互いの協力と言う形へ。

日本の言葉で言えば、
 
 ”今までの事は全て水に流して” ということか。 

日本には”水に流して”という言葉があるのだが、
実際の日本の政治の世界では、アメリカ民主党の両者のように
徹底的に戦いをし、決着がついたらその後は気持ちよく全面的に
相手に協力するということは全く見受けられない。

そもそも明快に相手と戦うと言う事自体を避けようとする。
議論・討論の類を、言い争い・喧嘩とはきちがえている
風潮が日本にはあるような気がする。

だから日本では裏で権力者同士が、自分の利益は確保したいが
その為に戦いをして、無用な傷を負いたくないという気持ちも強いため、
どうしても密室の中で謀(はかりごと)をして決めたがる。

アメリカのように、あれだけ徹底的に戦い決着がついた後に、
勝利宣言・撤退声明という儀式を、もし日本で行なったらどうなるであろうか?
負けた候補者が、素直に気持ちよく相手に協力出来るであろうか?  

まず、日本ではありえないだろう。
政治の世界で、トコトン言論をやりつくすと、まずその後に尾を引く。
だからお互いトコトン言論戦を尽くさないという民主主義の未熟さが
日本にはあると思う。

さらに、大きな精神的バックボーンの違い、

 ”フェアーな精神” についての両国の価値観の違い

が大きく作用していると思う。

アメリカでは、 ”フェアーであること” は人間としての基本要件。
    もしフェアーでなければ、相手方だけでなく、自分の味方からも
    支持を失ってしまうほど重要な価値観。

日本はと言えば、”フェアーであること”はそれほどまでの価値観になって
    おらず、むしろ、”フェアー”であるが勝負に負けたら、負けは負け
    というような感じか。

私も仕事を通じて、この”フェアーの精神”について感じた事があった。
ビジネスの中で、アメリカ人が判断をする時に、
  ”それはフェアーでない、だからダメ” とキッパリ言い切ったアメリカ人。
それくらい彼らは”フェアーであるかどうか”といことが大事な価値観みたいだ。
日本人には、そこまで ”フェアーであること” を自分自身の判断に課して
いないよな~ と私は思ったものだった。

アメリカ大リーグの球場で、いいプレーには敵味方関係なく両軍のファンが、
スタンドから全員でスタンディングオベーションの大拍手で讃える光景は、
まさに”フェアーな精神”が彼らの根底に脈々と流れている証拠でもあると
私は思う。

ヒラリー・クリントンの撤退声明のテレビを見て、”フェアーな精神”の
日米での違いを思い出してしまった。

と同時に、”ヒラリー・クリントンって綺麗だな~” と私はいつも思って
いたのだが、”これで彼女がテレビに出る機会が減るのだなぁ~”
と残念な気持ちも。 






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目指せ!”三日坊主” の亀君

2008-06-05 | 亀君の”人間学”

ブログを始めて1ヶ月。
5月のゴールデンウィークに”何とはなしに”始めたのだが。
1ヶ月もよく続けられたものだなぁ~と。

始めたときの私の目標は、目指せ!”三日坊主”。  

このブログは幸いにも”三日坊主” も無事クリアーし、1ヶ月まで最長不倒。
ココ最近の私にとっては快挙に近いかな (笑) 

以前毎晩やっていたウォーキング、これは気温が寒くなるとともに
自然消滅。 

 ・ 風邪を引くといけない、
 ・ 雨が降っている、
 ・ 今日はちょっと疲れ気味だから

ウォーキングをその日にしない理由は、滑らかに私の頭をよぎり、
ウォーキングしない事を自然に正当化出来ちゃうんですね。 

他には、NHKラジオの中国語。
これもかれこれ4年がかりで。 4月の第1週で見事撃沈。
そして10月から再度トライ。 これまた1日ぐらいで、
その後は、仕事で帰りが遅くなったとか、 見たいテレビが
あって、それを見てあえなく撃沈。

若い時はこんななんじゃなかった~ と思うものの、
現実は極めて誘惑に弱い自分になっているなぁと思うこの熟年期。

やっぱり年によるものなのかな?

で、考え結論に至ったのは、

  ” 目指せ! 三日坊主 ”  

であった。

まず三日、なんとか実践できれば続けることが出来る。
いや、三日どころか1日も出来ないことが多いのなんのって。
惰弱な私を、ありのままに見て出した結論がこの”三日坊主”。
”三日坊主”にすらなれない私。

若い時の勢いはなくても、まず三日坊主をクリアーしよう。
亀君のようにゆっくりでいいから、とにかく”三日坊主”完遂をかかげ
歩んでいこうと。

取りあえず三日やれば、それから何かが開けてくる可能性がある。

ということで、私のことを”亀君”と喩えた訳なんですね。
私は男だから、ちょうど”亀君”の喩えもピッタリだし (笑) 



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あの”女社長”が・・・・

2008-05-28 | 亀君の”人間学”
船場吉兆が廃業というニュースが飛び込んできた。

食品偽装で社長も、あの”女社長”湯木佐和子さんに新たに交代し、
世間からバッシングをいくら受けても、なりふり構わず”湯木家の会社”は
生き延びていくのだろうなぁと、私は思っていたのだが。

あの”女社長”という表現に、私の考え・思う事が集約されて、
敢えてこういう表現をした。

世間で男性の社長には 男社長とは言わず、
女性の社長には”女社長”と表現する傾向に
私は常々強い抵抗感すら感じているのであるが。

社長を男・女と区別して考える必要はあるの? と。


私は吉兆のような高級料亭は、今まで仕事の接待でも利用したことが
ないので、この料亭のサービスや運営がどうだったという事はサッパリ
解らない。
だから、経営が今後立ち行かなくなり廃業まで追い込まれた会社の、
その原因を類推するには、私があまりにも情報不足は承知済みである。

この一連の船場吉兆の報道の中で、誰もが大いに疑問や驚きを持ったのは、
やっぱり あの息子と一緒に記者会見した時の、
 
”母親の囁きと、ママの囁く通りに発言する息子の姿” 

であった。

世間で長年一流料亭として認められてきた会社の社長、役員が
振舞うべき姿とは、余りにかけ離れていた。

会社とは従業員も働き、社会において公的に存在しているはずなのに、
この船場吉兆と言う会社は、湯木家を存続させる為だけの単なる
湯木家の下請け金稼ぎ組織に成り下がっているだけ。

謝罪の記者会見であの母親が口にしたことは、
 
 ”こんな食品偽装と言う問題を起こし、先祖に申し訳ない”

私はこれをテレビで見ていて、開いた口が塞がらない程驚きもしたし、
日本にはまだまだこんな経営者がいるんだと。 

 会社が繁栄存続できるのは、先祖のお陰でなく、
 お客が支持していてくれるからだ。
 会社に必要な売上金はお客が払っていてくれると言う事を
 全く解っていない。

 お客の支持を得られない仕事をしていれば、自ずと会社は消滅する。

あの記者会見では、真っ先に”お客様に申し訳ない”と口から出て当たり前。

普段から、お客に目を向けず、自分達”湯木家”にしか目を向けていないことを、
図らずもあの母親も、そしてママの言う通りにしか行動しない息子も
テレビで全国津々浦々まで露呈してしまったのであった。

今回の廃業決定にしても、あの母親”女社長”は湯木家の為に廃業を決定し、
今そこで働いている従業員の今後の生活については”他人事”で、
全く本気では心配していないであろうと、私は推測する。

可哀想なのは、世間のバッシングを受けながらも再建に努力していた
従業員ではなかろうか。

日本の企業数の約90%は、従業員が10名以下の会社であると
聞いたことがある。
それらの殆どが家族・同族経営であろう。

船場吉兆の湯木家ほど酷くないにしても、似たようなことが
見受けられる会社も多いと思う。

今回の船場吉兆の件が、日本の多くの同族家族経営の会社の
経営者の反面教師になってくれればと思う。






 

  

夏は日本人の機嫌が悪い?

2008-05-28 | 亀君の”人間学”
今日シンガポールのお客さんから電話がかかってきた時の話。

いつもの事だが、一旦電話で話を始めると短くて30分、長い時は1時間も
超えることも。
私は電話が彼からとの取次ぎを聞くと、いつも
 “今日も長電話になるだろうな~ ” と、ゆっくりと一呼吸を入れ
自分に気合を入れるのである。

お付合いを始めて6年目。 歳は奇しくも私と一緒であるので、
仕事話のみならずプライベートの事でも話がよく盛り上がるのでもある。
といっても健康の話も多いのだが (汗)

このR社長、頭の痛い事がいっぱいだと言う時に、よく英語での話の中に、
“頭 痛いよ~” を日本語で連発する。
今日も、このフレーズを何回聞いたことやら (笑)
他によく出る日本語のフレーズは、因みに
 
  “背中 痛いよ~”
  “チャーシューメン”
  “さばの塩焼き”
  “ホッケ”
 まぁ~ 食べ物のほうが多いボキャブラリーだが それも彼の好物。 (笑)

今日の50分の電話のうち、仕事の話は約20分。
その少ない仕事の話の中で、今度いつ日本に来てうちの会社に来るかという
話題に。 

私   「 今年の7月くらいでどうですか?」
R社長 「 いや、夏は日本人は非情に機嫌が悪いので、10月くらいに
      日本に行きたい。」
私   「 機嫌が悪いのは季節によるものではなく、人によるのでは?」
R社長 「 いやいや、今まで夏に日本に行った時はいつも、日本人は
      機嫌が悪い。他の季節はそうでないのに。」

話の詳細を聞いたところ、日本に来る時はうちの会社を含め4社くらいを
訪問するのだが、ある会社の社長の話、ある会社の工場の人の話とか。

彼にとっては日本に折角来たのに、なぜ日本人は夏にはこんなに機嫌が
悪いのだろうか。どうせ来るなら機嫌がいいほかの季節のほうが
お互いビジネスも気持ち良く出来るのに。

というような経験を今まで何度も夏にしたらしい。

“日本人は夏は機嫌が悪い” というのは、私にとって彼に初めて
 指摘されたことである。

今まで20年間にどこ国の人にも言われたことが無い事で、
私も少々驚いた彼からの指摘でもあった。

やっぱり、厳しい暑さになると人間は体力的にも消耗し、
知らないうちに、機嫌が悪くなっているのかな? と私は思った。

さすが年がら年中暑い夏ばかりのシンガポール人にとっては、
季節もないから1年中同じ機嫌でいられるのかな?
国の外から見ると日本人の季節の変化と、
機嫌の変化がよく解るみたいだ。

これからは私も “夏にご用心”。 

上海の若きカップル 2

2008-05-25 | 亀君の”人間学”
今回の食事は、L君カップルと私の3人で。
場所は 上海の有名な観光スポット外灘(ワイタン)の近くの日本料理店。
(写真:先回のブログに上海外灘の夜景、今回は外灘の対岸の夜景)

上海郊外で仕事も夕方に終わり、L君に今日の食事は私が、

” あの有名な上海の外灘(ワイタン)で食べよう~” 

と私が提案。 何度も上海に来たことがあるが、
仕事熱心な私?(笑)、 まだこの有名な観光スポットを見たことがなかった。

すると、L君が 

”彼女が近くにいるので、呼んでもいいですか?” と。

既に前回の食事で充分に”免疫”が出来ている私は笑顔で快く。

”いいよ~”

おもわぬ”事件”は、その後起こったのであった。

1920年~1930年にかけて、西欧諸国が上海を統治して居た時に
建てられた西欧建築様式の金融機関等の建物が、そのまま現在も保存され
夜にはライトアップされている上海外灘(ワイタン)地区。

それらをこの目で見れる楽しみで、私もワクワクしながらL君と一緒に
外灘(ワイタン)地区の近くで、L君の彼女の合流を待っていたのであった。
ところが、お互い携帯電話で連絡取り合っているものの、
なかなか我々の待つ場所に彼女は現れない。

待つこと1時間半。

L君に聞くと、彼女もこのすぐ近くにいるのだが、なかなか待合せ場所に
電話でL君が彼女をナビゲートできない とのこと。
私にL君は  ”時間がかかってすみません” と言うが、
私は ”全然気にしなくていいよ~”。

お互いのやっとの思いで、彼女が我々の待合せ場所に現れた途端、
この若きカップルの激しい喧嘩が始まったのである。

まぁ L君としては日本からのお客である私を1時間半を待たせてしまう結果に
なった手前、責任感から彼女を責めたのであろう。
私は何度も何度も、”私は全然気にしていないよ”と カップルさん達に言って
早く楽しい食事、その後の外灘(ワイタン)見学と、と一生懸命にこの喧嘩の
収集に入ったのだが、 全く効果なし。

彼女のほうも、凄い勢いでL君に食って掛かってる様子。
中国語で喧嘩をしてるから、私にはサッパリ解らないけど。

まぁこの喧嘩も、レストランで腰を落ち着ければ、喧嘩の火も
今の物凄い勢いから 中火、弱火 そして消火となるだろうと想い、
喧嘩の状態のままレストランへ。

喧嘩はレストランでもいっこうに収まらず、ますますその火は
燃え盛るばかり。 
食事もさすがに前回とは違って、食べる量も減っている。
喧嘩の形勢としては、3-7で彼女が優勢な感じ。

今の日本でも女性は強くなったが、 ここまで女性は日本では
強くないだろうなぁと。私は思ったのであった。

もし仮に私がこんな状況だったらと考えたら、
多分この場ではお客さんの手前、彼女にはちょっと怒り、
お客さんが居なくなった時に、じっくり喧嘩をするだろうなぁと。

ところが彼らカップルはそこにお客が居ようが居まいが関係ない感じ。
これも国民性の違いなのかなと。

レストランで終わらなかったこの喧嘩は、レストランを出た後の
外灘(ワイタン)見学でも終わることがなく、
その日は私は外灘(ワイタン)見学と若きカップルの喧嘩の
2本立てになってしまった。(苦笑)

むしろ喧嘩しているカップルより私のほうが、今後のカップルの行く末が
心配になり心労は大きかったのでは (苦笑)

中国人が全てこうだとは思わないが、またまた異質の文化・風習に
観光スポットとともに人からも触れられた上海外灘(ワイタン)であった。

私の信条、”異質をそのまま理解することが国際化の第一歩”に
為になる出来事だったかも。(苦笑)

因みに、あれから2年経つが、今でもこのカップルは仲良く?続いている。









上海の若きカップル

2008-05-25 | 亀君の”人間学”
中国の上海に出張した時のこと。

お客の会社の中国人の L君。
2週間の私の中国滞在中、10日以上は行動を共にした20代後半の
中国の好青年。

1週間の上海の滞在中は、毎晩、夜の食事はL君はいつも一緒だが、
その日によって、他のお客やL君の会社の社長だったりで、毎日色々な人と
食事を共にしたのであった。

ちょうど1週間のうち2日間、L君だけと食事になる日があった。
すると L君が私に聞いてきた。

L君  ”今 私の彼女が仕事も終わって近くにいるのですが、
     食事に呼んでいいでしょうか?”

私   ”いいですよ、 是非 来るように~”

L君  ”それと彼女と一緒に今、その彼女の友達カップルもいるんですが
     いいでしょうか?”

私   ”(私は心の中で、日本ではまずありえない事だなぁと 思ったが)
      いいよ~~~ と ” 

で、 上海に来て3日間中国料理が続いていたので、私の胃腸のためにも
日本食レストランで L君カップル、その友達カップル と私の5人で
食事をすることに。


レストランに皆揃い、私がL君に、
 ”皆 若いんだから、どんどん食べたいものをオーダーしていいよ” と。

するとL君が彼女やその友達カップルにも伝えてくれて、和気藹々と
食事が始まったのであった。

食べながら話をしていると、彼ら4人は皆、郷里が同じでその時からの
友達。 郷里から上海に出てきた同じ仲間で、仕事は皆違うのだが
上海でもこうやって仲良くやっていて、 傍から見ていても微笑ましい。

で、食事は5人があれこれ話しながら続き、私のお腹はもう完全にいっぱい。
若い彼らはさすが若い、 まだまだ 食べるのも、新たにオーダーするのも
続いていくのであった。

テーブルの上は常に料理の皿でいっぱい。

さすがに私も笑顔は絶やさないが、心の中で思った。

ここは上海、やっぱり日本(日本人)とは違うなぁ~
日本(日本人)だったら、いくら遠慮は要らないよ と言われても、
こうも次から次へと、こんなにはオーダーしないよなぁ。
多少遠慮をするところが普通かなと。

でも、それは日本人の思うことだなぁと。

中国人の食事観からすれば、食事に招かれたら、
遠慮することが、かえって食事を招いた失礼になると考えるんだろうなぁと。

そして常にテーブルの上には料理をいっぱいに埋め尽くし、
食べ残すことには、なんら気にかけることもない。
これも 日本だったら、ちょっと首をかしげそうなこと。

日本で日本人の考えることを、ここ中国・上海に持ち込んでも
しょうがない。

と、私は彼ら若きカップル達との食事で、中国の食事観に
実際に触れることが出来、 私も中国では食事の時に
”遠慮は禁物”と改めて学んだのであった。

若き中国のカップル達に ”謝 謝”