熟年ドラキチ  さぁ人生はこれからだぁ^^ 

ドラキチ歴50年、 熟年・「オレ竜」の今日の”脳ミソの中身”

山本昌投手200勝

2008-12-30 | 動画・名場面-ドラゴンズ・選手

年末年始の休みで、プロ野球選手もこの時期だけは「ひと時の完全休養」を
出来るのでないかな~~~~?

最近はシーズン終了後も、秋季キャンプが当たり前になり、
若手に至っては12月も合同自主トレもあり、昔から比べると休みが少なくなった。
ドラキチの私としても、年末年始からキャンプ前までの時は、中日スポーツの記事も
ちょっと内容が濃くないので、一年で一番寂しい時かもしれない。(苦笑)

それで、今年のドラゴンズを振り返って一番の印象的な試合は? と考えたら、
やはり今年は3位で優勝も逃したから、200勝達成の43歳の山本昌。

2008/08/04ドラゴンズ山本昌投手200勝

去年が2勝、今年の200勝達成が少し危ぶまれたが(苦笑)
見事に達成。
落合監督も山本昌を迎える時の表情は、なかなかいいねぇ~~~。


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中里篤史 また背番号70、 活躍して「若い背番号」を奪取しろ!

2008-12-20 | 動画・名場面-ドラゴンズ・選手
中里の逆襲 末席70番から這い上がる-中日スポーツ  
(記事引用)
新背番号が「70」になった中日・中里篤史投手(26)がプロ9年目となる来季、背水の陣で臨む覚悟を明かした。球界ではエースナンバーといわれる「18」をはく奪され、右肩をケガしていた時代に付けていた「70」に逆戻り。重く、大きい数字。ファームにいる若手選手のような背番号が、選手として厳しい立場にいることをいつも知らせてくれる。ここから、はい上がり、来季こそブレークする。

 覚悟はできていた。毎年オフの恒例、落合監督による背番号シャッフル。「心の準備はできていました」。今月13日の新背番号発表、中里に与えられたのは「70」。今季までの最近3年間つけた「18」をはく奪された。

 事前に落合監督から背番号が変更されることは示唆されていた。そのときは、当然と納得した。

 「自分が力を出せなかったのだから仕方がないです。悪いのは自分ですから。前回はケガをして背番号が大きくなったけど、今回はケガではない。自分の力不足。それだけですから」。反論の材料すらなかった。

 背番号が「70」になるのは2度目だ。前回は03年オフ。選手生命が危ぶまれる大ケガなど右肩のケガが相次いだころ、「28」から「70」になった。

 その後、地道なリハビリで復活。06年から18番をつけた。ここには落合監督との約束があった。03年オフ、落合監督は右肩をケガしている中里に告げた。復活したら若い番号を返す…。そう話し、「70」を与えた。復活した05年の秋、約束通り球界では1軍の看板投手がつける「18」を中里に渡した。

 落合監督は「プロ野球のエースナンバーは18番」と、公言する。特別な数字だ。一転して、チームの支配下選手で、一番大きな「70」へ。「意味することは分かっているつもりです」。“末席”番号だ。もう後がない。

 今年はセットアッパーに期待されながら、わずか13試合登板に終わった。未勝利で、10イニング1/3で防御率3・48。再び背番号は「70」を与えられたのは落合監督からのメッセージだろう。もう一度、出直す。そして背水。「自分がやるしかない。もう一度若い番号をあげなきゃいけない、と思われるくらい」。誰もが絶賛した伸びのあるストレート…。伝説にするのはまだ早い。来年こそ復活させる決意だ。


【熟年ドラキチ】
高卒新人で巨人戦での鮮烈なデビュー。
私は中里の鮮烈なデビュー戦を、幸運にもナゴヤドームで見た。
当時の巨人は重量打線で強打者揃い。
そんな相手に高校を卒業したばかりの中里が圧巻のデビューをした試合だった。

巨人の打者が中里の速球を打っても、打球は前に飛ばず、高橋由や松井も
バットを振った後に、「あれっ、なんで前に飛ばないの? と 怪訝な表情」。
私には、この中里の凄い投球に驚くとともに、これは凄いピッチャーが
ドラゴンズに入ったものだと喜んだものだった。

しかし、大ブレークを期待された翌年のキャンプの宿舎で、
階段でころんで、肩を大怪我。
(大きな声では言えないが、本当にこのケガの原因は宿舎の階段でころんだの?
 何か別の原因があったのでは?と つい詮索をしてみたくなっちゃうのだが。)

この大怪我は、中里のプロ生活を全く別のシナリオに進ませてしまった。
一時はもう復帰も出来ないのではと思われたのだが。
必死のリハビリで、何とか投げれるようになった。
その復帰戦をテレビで見ていたが、これも感動ものだった。

確か1点か2点をリードされた所で、中里がリリーフで登板。
見事に登板した1インニングを無事に抑え、ナゴヤドームのファンから暖かい
拍手を受けてベンチに。
するとその裏のドラゴンズの攻撃は、ドラゴンズナインが一丸となって、
「ケガでリハビリに苦しんでいた中里に、何とか逆転して復帰の中里に
 お祝いの白星を!」という気迫に満ち溢れた攻撃をしたのだった。

1イニングしか投げない中里だったから、交番直後のそのイニングに逆転しない
限り、中里に復帰の勝利をプレゼントは出来ない状況。
しかし、やっぱり野球は精神力がゲームも左右するものなのか、
本当にそのイニングに、ドラゴンズナインが一丸となって得点を取りにかかり
逆転をしてしまった。 
まさに、中里の苦労と復帰にかける執念が、ドラゴンズナインの
逆転するぞとの闘志に火をつけた感があった。

さぁ~ これでいよいよ中里もケガから復帰して、大活躍するぞ~と
私は期待を膨らませたのだが、上の中日スポーツの記事にあるように
また「崖っぷち」に追い込まれたシーズンを来年は向かえそうだ。

私は鮮烈なデビュー戦をナゴドで自分の目で見た事もあり、
いまだに中里には大きく期待している。
「カド番」の来季、人間追い込まれて更に鍛えられ、大きく成長することも。

70番を最後にユニフォームを脱ぐのではなく、来季活躍をして、
もう一度「若い背番号」の中里がナゴヤドームのマウンドに立つ事を
近い将来必ずあると期待したい。

↓ これが 中里の「鮮烈デビューの巨人戦での投球」


中里篤史 プロ入り初登板

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見ていた鳥肌が立った!山崎武司、サヨナラ3ラン! 1999年

2008-12-14 | 動画・名場面-ドラゴンズ・選手

やっと落着いた日曜日を過ごすことが出来る私。(苦笑)
3週間ぶりかな~~~~~。^^

ブログを始めた今年、まさか5月から始めて年の瀬のこの年末まで、
続いているとは。(笑)
これは私の人生においても、”奇蹟”にあたる事かもしれない~。(笑)
これはひとえに、私が頑張ったと言うより、このネット社会の便利さ、
そしてこんな私の好き勝手に書いているブログにも、関心を寄せてくださる人々が
いらっしゃるからであろう。 普段はお礼を言え無いので、ここで御礼を。

ネットは便利で、ドラファンの私にとっては非常に有難い。
野球の試合の無いシーズンオフにも、世の中で私より凄く熱心に、真面目に
ドラゴンズの選手のプレーを動画で残していらっしゃる人がいるので、
それらの力作を私もこのように好きな時に見て、「あの時の感動」を
もう一度味わうことが出来る。

今日は何を見たいかなぁ~と考えて、一番に思い浮かべたのは、
1999年の9月の下旬だったと記憶をするが、山崎武司のナゴヤドーム阪神戦での
逆転サヨナラ3ラン! 

山崎武司、サヨナラ3ラン 



この日は確か、日曜日か祝日だった思う。
私もこのデーゲームを家のテレビ中継で見ていた。
福留のソロホームランで2-1の中日。
後は守備固めでショートに久慈も入れ、ピッチャーは抑えのドラゴンズの守護神、
ソン・ドンヨル。 (風貌がアンパンマンに似ていた韓国の国宝級のピッチャー)。
誰もがこれで2-1でドラゴンズが逃げ切ると思っていたところだったのだが。

なんと9回の表に、阪神の助っ人外人に代打3ランを浴びてしまった。
一気にドラゴンズの勝利のムードから、悪夢の逆転負けという地獄に突き落とされた
試合だった。
この年は、開幕から11連勝で、優勝ムードに包まれてシーズンを戦っていた
我が中日ドラゴンズ。 しかし、9月になってもなかなかマジックも直に減らずに
ドラファンの私も、9月下旬のこの試合当日でも、マジックこそ出ていたが
まだまだ安心と言う訳にはいかない状況であった。

そんなナゴヤドームでのシーズン最終戦のこの阪神戦、まさか抑えのソン・ドンヨル
で逆転負けを喫するのか~~~。 私の目の前には、ドラゴンズ優勝に大きく
どす黒い暗雲がいっぱいに立ち込めたこの9回の表の阪神の逆転劇。

正直、私はこれで本当に中日は優勝できるのか? との不安も。
それくらい、この阪神の外人の逆転3ランは、ドラゴンズファンに大きなショックを
与えた一撃だった。
負けも覚悟で、そのままテレビ中継を惰性的に見ていた私。
まさか その後にドラゴンズが逆転するなんて夢にも思っていなかった。

ところが、山崎武司の実に見事な、そして会心の当たりのライナー性の
逆転3ラン。 球場の3塁側スタンドで見ていたドラファンも動画でもわかるように、
山崎武司が打った瞬間から、皆 総立ちになるくらいの凄い打球だった。

もちろん、私もテレビの前で、ガッツポーズに大拍手。
本当にこれは「鳥肌」ものだった。

打った瞬間に山崎武司も、両手を高々と天に向かって万歳!
そしてその後、右腕をグルグルと回して、その後にドラゴンズベンチに向け
勝利の雄たけびをあげながら一塁へゆっくり走り出す。

この一連の山崎武司のパフォーマンスは、すべて自然に勝利の喜びから
素直に出てきた美しいものであった。

試合が終わった後に、妻が外から帰ってきた。 
 妻 「何か今日の試合はドラゴンズが大変ショックな負け方をしたみたいだね」と。
 私 「何を言ってるの? 今日は最高の勝ち方だったよ」
 妻 「だって、家に帰ってくる道を歩いている途中に、道端でドラゴンズはもう優勝
    できないわ~とオジサン達がブツブツ言っていたよ」
 私 「ああ、それは9回の表の時点まで。 その後に奇跡的な大逆転劇を
    ドラゴンズが起こして、今日は実に良い勝ち方!」
 妻 「あのオジサン達は一番良いところを見ずに、諦めたんだね」
 私 「ドラファンの9割以上はそのオジサンたちと一緒だと思うよ。
    私も9回の表の時点では、オジサンたちとまったく一緒。
    ただその後も、ただ惰性的にテレビを見ていただけ」
    「本当だったら、9回の表が終わった時点で、私も自棄酒でも飲みに
    行きたかったくらいだ (笑)」

と、地獄からまた天国にドラファンを引き上げた、山崎武司のサヨナラ逆転3ラン。
この勝利で、その年のドラゴンズの優勝を決定付けたと言っていいくらいの試合だった。



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中日ドラゴンズ激闘の72年 (1)~(5) -動画・名場面

2008-11-09 | 動画・名場面-ドラゴンズ・選手

シーズンも終わり、秋季練習で来季に向けて動き出しているドラゴンズ。
ファンの私は、極端に減った中日ドラゴンズ関連のニュースでは
飽き足らず、 私も来季に備え(笑)、ドラゴンズ関連の情報を過去に遡って
集めてみる事を思いついた。

今年の5月から、ひょんな事から始めたこのブログ。
日記は書いた事がない私だが、このブログはPC・インターネットの利点もあり、
非常に便利な事を感じている。

ここに集めて書いて残しておけば、後から簡単に見れる。(笑)
昔や最近のドラゴンズの名場面を、私の好きな時に、好きなだけ見れる。

私の40数年に及ぶドラゴンズファン生活の中で、今でも思い出す「あの名場面」
は、昭和49年の巨人のV10を阻んだ20年ぶりの優勝シーンや、
高木守道のファインプレー、中尾捕手の捕手革命、鈴木孝政のONを三振斬り、
谷沢・大島・モッカの恐竜クリーンアップ、 小松・牛島のダブルストッパー。
郭源治の郭ダンス、と次々と出てきた。
そして、私にとっては最近にあたる(笑)、立浪・川上憲伸・野口・岩瀬・福留、
荒木・井端・森野と繋がってくる。

さぁ~ 果たしてこれらの選手の名場面が、どれだけYouTubenにあるか
解らないけど、探しながら味わいながら集めていこう~と。

古い選手の場面になると、歌で言う懐メロを楽しむ感覚に似てくるかな~?(苦笑)


中日ドラゴンズ激闘の72年_1/5

中日ドラゴンズ激闘の72年  2/5 , 3/5,  4/5,  5/5  は このYoutubeの
下の画面メニュー(サムネイル)にあります。


【熟年ドラキチ】
これは東海テレビが編集したのだろうな~。
加藤晴彦に峰竜太。 
中日ドラゴンズの名前の由来は、そうかぁ~中日新聞社長の杉山虎之助の
干支が辰年で、辰→竜でドラゴンズになったのかぁ~~~。 
今まで40年以上もドラゴンズファンをやっている私だが、今、初めて知った。

昭和29年の日本一。フォークボールの杉下投手が大活躍したのだが、
私はまだ生まれていなかった。
だから私にとっての初めての優勝は昭和49年。
星野仙一が投げ木俣が捕るバッテリーで、最後の打者を3塁ライナーで
3塁手島谷がちょっとジャンプして取り、優勝!

優勝で喜ぶ木俣が喜んで飛び上がり、星野に抱きつき、
木俣を受け止めた星野は、それで腰を痛めたとか~?(笑)
普通はピッチャーが抱きつき、キャッチャーが受け止めるのだが。
20年も優勝から遠ざかっていると、こんな事でも慣れていないので
ハプニングが起こるものだ。

私はこの時は高校3年生。 土曜日でそして大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)
とのダブルヘッダー。 あの頃はまだ1日2試合やるダブルヘッダーもよくあった。

82年の優勝のときは、確か全日程の最終試合。 前日の試合は日曜日で
その日に勝っていれば優勝なのだが、負けてしまった。
私は会社の社員旅行でバスの中で、旅行よりこの試合の事にヤキモキしていた
記憶が。

そして優勝が決まった月曜日は、人気番組「欽ちゃんのどんといってみよう~」
の番組の枠の中で画面の端っこにこのドラゴンズの試合が中継されていた。
寮でドラゴンズファンは私ただ一人。一人喜び歓喜の美酒を飲んでいたら、
既婚者のドラゴンズファンの先輩が寮に試合後やってきて、
それから2人で九州・小倉の町に繰り出したのだった~~(笑)

そして次の優勝の時は、私は日本におらず、ヨーロッパで迎えた。
極めてドラゴンズの情報が少ない中、日本の兄から送ってもらった
優勝ビデオを何10回と、そして優勝記念雑誌をこれも何10回と
ヨーロッパの地で見たものだった。



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