先日の森野の復帰に続き、今日は井端がスタメンショートで6番。
これで野手はレギュラークラスは全員復帰したのだが。
先発が山本昌ということで、捕手は谷繁でなく清水ではあったが。
200勝まであと4勝というところで5月から足踏みしている昌。
初回に早々と先取点を献上。
昌の持ち味を出すピッチングをするには、出来るだけ早く逆転して
あげないと。そんな序盤であったが、打線がなんとも淡白というか
皆背中にまるで重い荷物を背負って野球をしているかの感じ。
チャンスを作れど、点は取れず。
そして逆に広島に追加点を許してしまう。
こういう展開ばかりだと、また、昌の2軍落ちスパイラルに入って行きそう。
故障者がいたころは、まぁ森野、井端、谷繁もいないから負けたんだろう~
と試合を総括できたのだが。
今日の試合は取り敢えず皆復帰してきている。
森野・井端についてはまだまだ試合勘が本来のものではないと言う点はあるが。
実際のところファンの私も、今シーズンのペナントには少し冷めたものを
感じているのだが、選手もやはりそうなんだろうかなぁ~~~と。
試合があるから、毎日取り敢えず野球をやっているというモードかな?
この気持ちも解らないでもないが。
私も会社の仕事を毎日全力投球しているか?と問われれば、
似たようなものか~~~。(苦笑)
ただ、今日見たいな試合をあまりにもたくさん続けていると、
敵のチームも今までのドラゴンズの強さを忘れちゃって、
今後の戦いも厳しくなるような気がするな。
” 建設は死闘、 破壊は一瞬 ”とは世間でもよく見られる事。
長年積み上げた信用も、ちょっとの事で崩れてしまう事も。
ちょっとの休みはいいけど、
”ドラゴンズ組みやすし”とまで思われないようにね。
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だんだん熱くなっていくお湯にも気がつがずに、そのままお湯に浸かり
最後は死んでしまう“茹で蛙”。 現状に対して何ら問題意識を持たないことへの
恐ろしさを教えている喩え。
今日仕事の調べ事で私の古いノートを見ていたら、同じ蛙でも、別の蛙の喩えの
メモが見つかった。
それは “もがき蛙”。 これまた大きな鍋に今度はお湯ではなく、油(クリーム)を
入れて、そこに 蛙君A と 蛙君Bを入れて結果の喩え。
断っておきますが、いつも蛙をお湯に入れたり、今度は油に入れたりと、
“ちょっと残酷ではないか!!” と批判を受ける前に私の弁明を。
これはあくまでも人間の喩えで作った話で、実際に行ったわけではないらいしい。
蛙も熱湯になる前に、ピョンッと鍋から飛び出していったらしい。
人間が自分たちの行動の善し悪しを人に伝えたい時に、物や動物等に喩えて、
解りやすいようにする為のひとつのパターンかも。
ただ、愚か者の代表みたいに喩えられた蛙も、堪ったものじゃ
ないかもしれないけど。(笑)
それで今回の“もがき蛙”の喩えは、油(クリーム)の鍋に入れられた蛙君Aは、
“ここは水じゃなく、油だ。 泳ごうと思ってもベトベトと手や足や体に油が
まとわりつき、これじゃ~泳げない。 もう~ここでこのままじっとしているしかない”
というふうで、現状を正しく認識し、その認識からの判断で何もせず
結果死んでしまう。
一方の蛙君Bは、
“なんだぁ~この油は~ ベトベトするなぁ~と思いながらも、
いつもの水の中にいる時と同じように泳ごうとした。しかし水と違って
ベトベトして泳ぐことが出来ない。それでもなんとか泳ごうと水の中にいる時以上に、一生懸命に手足を動かした。
それはもう泳ぐというより、ただもがいているようにしか見えないくらい。“
そうやってもがいているうちに、油(クリーム)が蛙君の必死の手足動きでよくかき混ぜられ、やがて乳化して固まり始め、ついには蛙君Bは固まった油から逃げ出せた。という喩え話。
蛙君Aは現状の正しい認識を行うが、その認識により何も行動しない。
結果死んでしまう。
蛙君Bは現状の正しい認識ができず、とにかく泳ごうと必死に行動。
結果生き延びた。
この喩えは、行動の大切さを訴えたい人が、解りやすくする為に作ったのであろう。私も人生50年も過ぎると、いわゆる分別とか経験により、蛙君Aの部分が若い時に比べ明らかに私の中では大きくなりつつあるような気がする。
あれこれ考えたり判断や認識をして、結局なんら実際の行動を起こせないことが
多くなってきた。 仕事においても仕事以外でも。
これからは意識的にも“もがき蛙”の喩え話を思い出すようにしていかないと、
いけないかなぁ~~~と、私の古いノートのメモを見ながら感じたのでした。
亀君もたまには“もがき蛙”に。 まぁ “もがき亀君”でもいいかぁ~~~~
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