拓郎さんがジュリーの事をまたまた熱く語って下さいました
坂崎さんと拓郎さんの『オールナイト○ッポンgold』2012年12月3日放送分です。
ツベにもアップして下さっている方がいらっしゃって、前回のリンクから辿れます。
この感じだと、収録後もお話しをして下さいそうですね
ジュリーのお正月公演のMCもこのお話しかな?
ジュリーについてのお話しのみ、書き起こしました。
聴き間違い等もあると思いますので、ご了承下さい
以下、坂崎さんの言葉は青で表記しています。(というか、ほとんど拓郎さんが喋り通しだったんですけど)
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実は近々に沢田研二という人とTVで対談するんですね。
沢田研二さんと拓郎さんて何か接点はあったんですか?
ないんですが、70年代に、彼も若い頃僕も若かった頃に一度月刊明星で対談してるんです。
これはすごい僕は記憶に新しくて、40年も前の事なんですが印象深かったんです。
僕は渡辺プロダクションに入りたかったし、ライバルはザ・タイガース、沢田研二がライバルだと思っていたから。
僕もTVでいっぱい歌を歌うような人間になりたかった。
僕の狙いはフォークシンガーじゃないですから。
フォークシンガーになりたいなんて思ってなかったですから。
時代の流れでフォークというカテゴリに入れられて、フォークのプリンスになってしまいました。
当時からフォークソングをやっているつもりはなかったですから。
当時、そういう話もしてるんですか?
それはなかったけど、二人とも記憶にあるのは、彼も覚えてると思いますが、
二人ですごい気持ち良かったんだよね、対談が。
二人ですごい酔っ払っちゃったわけ。
酒飲みながらの対談で。
二人で酔っ払っちゃって、ベロベロになっちゃった。
僕もベロベロ、沢田研二もベロベロで。
胸は肌蹴てるは、おいサワダ~おさわのケンちゃんとか言いながら。
調子こいちゃったんですね。
調子こいちゃった。
そんな感じでベロベロになって、そのあと、風の便りで聞いた話では、沢田研二さんは家に帰ってゲロゲロあげちゃったと、それくらい飲んじゃったと。
僕も家に帰ってあげたし。
そういう思い出があるんです。
彼もやっぱり…沢田研二もあげるんだ~みたいな感じがあって。
凄い気持ち良かったわけ、対談して。
気持ちのいい男だなという印象があって…だから、その時から僕の脳裏に常に沢田研二がある。
『LOVE LOVEあいしてる』にゲストで沢田研二が来たときに、後ろからハグして
(拓郎さん)「元気でした?」
(ジュリー)「元気でしたよ」
と言った瞬間に、ピピッて電波が流れたんですよ、二人の間に。
僕はそう思っている。沢田さんがどう思っているかは分からないけれど僕には流れた。
あ、やっぱり覚えてたな、俺のことという感じがあって。
僕も覚えていたし。
沢田研二と俺なんだという感じがあるわけ。
この世界には誰もいれないぞと、そう僕は思っているわけ、勝手に、僕の中では。
今度久しぶりに会えるんで、その思いを遂げられるという幸せ感と、
沢田研二と話しができる、というのがあってね。
ちょっと凄そうですね。
-------------------------
その後、ジュリーとの対談より凄い事が来年あると強調されていたのはちょぴり寂しかったですが、これだけ愛を叫んでいただけたのですから、これ以上望むのは贅沢ですよね。
『LOVE LOVEあいしてる』の収録前のインタビューのようなコーナーで、ジュリーが
「拓郎さんが抱いてくれた」っておっしゃっていて、
「えっなになに」と、妙に慌てました
お二人の対談が、出来るだけ長い時間ON AIRされますように
というか、値段はいくらでもいいからジュリーがスタジオ入りされたところから対談のぜ~んぶをノーカットで収録したブルーレイとか発売してくれないでしょうか
坂崎さんと拓郎さんの『オールナイト○ッポンgold』2012年12月3日放送分です。
ツベにもアップして下さっている方がいらっしゃって、前回のリンクから辿れます。
この感じだと、収録後もお話しをして下さいそうですね
ジュリーのお正月公演のMCもこのお話しかな?
ジュリーについてのお話しのみ、書き起こしました。
聴き間違い等もあると思いますので、ご了承下さい
以下、坂崎さんの言葉は青で表記しています。(というか、ほとんど拓郎さんが喋り通しだったんですけど)
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実は近々に沢田研二という人とTVで対談するんですね。
沢田研二さんと拓郎さんて何か接点はあったんですか?
ないんですが、70年代に、彼も若い頃僕も若かった頃に一度月刊明星で対談してるんです。
これはすごい僕は記憶に新しくて、40年も前の事なんですが印象深かったんです。
僕は渡辺プロダクションに入りたかったし、ライバルはザ・タイガース、沢田研二がライバルだと思っていたから。
僕もTVでいっぱい歌を歌うような人間になりたかった。
僕の狙いはフォークシンガーじゃないですから。
フォークシンガーになりたいなんて思ってなかったですから。
時代の流れでフォークというカテゴリに入れられて、フォークのプリンスになってしまいました。
当時からフォークソングをやっているつもりはなかったですから。
当時、そういう話もしてるんですか?
それはなかったけど、二人とも記憶にあるのは、彼も覚えてると思いますが、
二人ですごい気持ち良かったんだよね、対談が。
二人ですごい酔っ払っちゃったわけ。
酒飲みながらの対談で。
二人で酔っ払っちゃって、ベロベロになっちゃった。
僕もベロベロ、沢田研二もベロベロで。
胸は肌蹴てるは、おいサワダ~おさわのケンちゃんとか言いながら。
調子こいちゃったんですね。
調子こいちゃった。
そんな感じでベロベロになって、そのあと、風の便りで聞いた話では、沢田研二さんは家に帰ってゲロゲロあげちゃったと、それくらい飲んじゃったと。
僕も家に帰ってあげたし。
そういう思い出があるんです。
彼もやっぱり…沢田研二もあげるんだ~みたいな感じがあって。
凄い気持ち良かったわけ、対談して。
気持ちのいい男だなという印象があって…だから、その時から僕の脳裏に常に沢田研二がある。
『LOVE LOVEあいしてる』にゲストで沢田研二が来たときに、後ろからハグして
(拓郎さん)「元気でした?」
(ジュリー)「元気でしたよ」
と言った瞬間に、ピピッて電波が流れたんですよ、二人の間に。
僕はそう思っている。沢田さんがどう思っているかは分からないけれど僕には流れた。
あ、やっぱり覚えてたな、俺のことという感じがあって。
僕も覚えていたし。
沢田研二と俺なんだという感じがあるわけ。
この世界には誰もいれないぞと、そう僕は思っているわけ、勝手に、僕の中では。
今度久しぶりに会えるんで、その思いを遂げられるという幸せ感と、
沢田研二と話しができる、というのがあってね。
ちょっと凄そうですね。
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その後、ジュリーとの対談より凄い事が来年あると強調されていたのはちょぴり寂しかったですが、これだけ愛を叫んでいただけたのですから、これ以上望むのは贅沢ですよね。
『LOVE LOVEあいしてる』の収録前のインタビューのようなコーナーで、ジュリーが
「拓郎さんが抱いてくれた」っておっしゃっていて、
「えっなになに」と、妙に慌てました
お二人の対談が、出来るだけ長い時間ON AIRされますように
というか、値段はいくらでもいいからジュリーがスタジオ入りされたところから対談のぜ~んぶをノーカットで収録したブルーレイとか発売してくれないでしょうか