このブログの記事は、
時期的に約1ヵ月ずれています。
まあたまに季節的な話題や
時事的な話題は急遽掲載
しているのですが、
などの記事は遅れがちな報告に
なることが多いです。
なのでまあブログをするときも、
約一か月遅れで記事を
作成していますから、
いろんなことを思い出したり、
また別の意味で思い出して
再び楽しかったり
というようなことがよくあります。
本当に、一度歩くだけで何度も
それを楽しんでいたりするわけです。
悪いことはすぐに忘れる、
楽しいことは何度でも思い出す。
都合よく生きているわけですな。
今回お知らせする記事は、
こんなコロナ禍でのGWに
歩いた記事になります。
今回歩きに出かけるにあたっては、
その目的地をかなり考えました。
基本的には行ったことがない
ところがいいですねえ。
そしてながーい道のりで、
一部まだ歩いていないところを歩く
というのがベストですねえ。
コロナの時のGWですから、
出来るだけ他府県へのお出かけは
遠慮しないといけませんね。
あーじゃない、こーじゃないと
いろいろ検討してみました。
そして出てきたのが、高野街道です。
この道は7年前の秋、仕事を退職して、
職場の友達と堺から河内長野まで歩きましたねえ。
その友達は、ランニングや飲み会などで
楽しい時間をいっぱい過ごした
仲間でしたから、歩きもとても懐かしかったのと、
このあたりはさほど知らない土地でもないので
へえこんな物があったのかと、
もう最高の楽しい歩きでした。
それは「西高野街道」といわれる道です。
高野山へと向かう大きな街道のひとつ。
途中で下高野街道と中高野街道と合流し、
さらに河内長野で東高野街道も
一緒になって、あの空海が開いたと
いわれる宗教都市である高野山へと
つながってゆく道なのであります。
今回はすべての道がひとつになった、
高野街道の合流道になりますね。
河内長野まで車で行って、
駐車場に車をとめて歩き始める
ことにしましょう。
コースは南海高野線が近くを走っているので、
歩行後電車で戻ってくることになります。
家を出て外環に向かい、
天野山を超えて河内長野の駅に
向かって行きます。
駅の少し手前の駐車場に車をとめ、
徒歩で駅に向かいましょう。
河内長野駅は南海高野線と近鉄長野線の
二つの私鉄の合同駅です。
近鉄はここで終点で、南海高野線は
まだここから高野山へと続いていきます。
結構重要な駅になりますねえ。
これがその駅です。
そんな駅前広場の一角に、
高野街道の石も建てられています。
結構力が入っていますねえ。
道標と経路なんかも石に刻まれています。
ひとつの観光資源として
取り上げられていますねえ。
駅前の歩道橋の中にも、
こんな案内板が取り付けられ、
それに沿って進んでいくと
地面にはこんなのも埋め込まれています。
そうこの案内は経路途中にも
かなり埋め込まれていましたね。
歩道橋を降りると、そこに
観光案内所がありますので、
寄っていくことにしましょう。
「すみませーん。高野街道の
地図なんかはありますか?」
と聞くと出てきましたね。
河内長野から三日市当たりの地図です。
「堺市から継続して歩いているんですけど」
と説明すると、じゃあその後の経路の
地図もどうぞといって出してきてくれました。
「え~っと、この前の道が茶色になっていますね。
それも一つの目安になりますので、
たどるようにしていってください」とのこと。
ありがとうございます。
では歩き始めることにします。
続く
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