DSのゲームは没入感がない。
ものすごいおおざっぱな話、
・PS2のゲームシステムのデザインはプレイヤーの身体拡張
・DSはのゲームシステムのデザインは箱庭
として作られる傾向にある。と思った。
最近やったゲームを例として挙げるなら
スターフォックスやメトロイドは、「動かしてる」感じが強いけど、
FFXIやMHPは「動いてる」感じ。
感情移入を許さないのが、DSの本質なのかも知れない。
入って行けない、入って行くべきでない、眺める世界、介入できる世界。
自分が登場人物になるんじゃなく、登場人物をコマとして動かす遊び。
ラジコンカーじゃなく、ゲーム盤。
PS2ゲームでの「自分」の範囲は画面内の主人公の持つ剣の先まで、DSゲームでの「自分」の範囲は画面内の主人公を操るタッチペンの先まで。
入っていくのは敷居が高くて、「入って行かないのを美徳とする人」もいて、それこそがDSやWiiがターゲットとする、「非ゲーマー層」だったんじゃないだろうか。
DSのゲームは没入感がない。
でもそれは、DSのデザインでは没入感が得られない、じゃなく、没入感を捨てるために、あのデザインになったのだ。たぶん。
KimI
ものすごいおおざっぱな話、
・PS2のゲームシステムのデザインはプレイヤーの身体拡張
・DSはのゲームシステムのデザインは箱庭
として作られる傾向にある。と思った。
最近やったゲームを例として挙げるなら
スターフォックスやメトロイドは、「動かしてる」感じが強いけど、
FFXIやMHPは「動いてる」感じ。
感情移入を許さないのが、DSの本質なのかも知れない。
入って行けない、入って行くべきでない、眺める世界、介入できる世界。
自分が登場人物になるんじゃなく、登場人物をコマとして動かす遊び。
ラジコンカーじゃなく、ゲーム盤。
PS2ゲームでの「自分」の範囲は画面内の主人公の持つ剣の先まで、DSゲームでの「自分」の範囲は画面内の主人公を操るタッチペンの先まで。
入っていくのは敷居が高くて、「入って行かないのを美徳とする人」もいて、それこそがDSやWiiがターゲットとする、「非ゲーマー層」だったんじゃないだろうか。
DSのゲームは没入感がない。
でもそれは、DSのデザインでは没入感が得られない、じゃなく、没入感を捨てるために、あのデザインになったのだ。たぶん。
KimI
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