データの永遠性とか所有感をあきらめるのがWeb2.0の気分だろうか。
と、ふと思った。
あるいは、「メモリ上にあるもの」はデータじゃなくカギであって、データと呼ばれるべきものは「頭の中にあるもの」と考えて、眺めなおすべきなのかも知れない。
ハードは触れるもので、ソフトは実体がないってのはソフト屋の基本だけど、HDDだのCDだのUSBメモリだのの手に持てる塊とかを見てるうちに見失ってたような気もする。
「ソフト(システム)から見た外部システムとしてのニンゲン」という見方をフツウにしてたけど、それだとWeb2.0の気分は理解できないのかもしれない。システムがデカすぎて、それを一人称で理解するには容量が足りない。
KimI
と、ふと思った。
あるいは、「メモリ上にあるもの」はデータじゃなくカギであって、データと呼ばれるべきものは「頭の中にあるもの」と考えて、眺めなおすべきなのかも知れない。
ハードは触れるもので、ソフトは実体がないってのはソフト屋の基本だけど、HDDだのCDだのUSBメモリだのの手に持てる塊とかを見てるうちに見失ってたような気もする。
「ソフト(システム)から見た外部システムとしてのニンゲン」という見方をフツウにしてたけど、それだとWeb2.0の気分は理解できないのかもしれない。システムがデカすぎて、それを一人称で理解するには容量が足りない。
KimI