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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 237

2024-04-10 16:45:43 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究29まとめ(2015年7月実施)
    【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁~
    参加者:S・I、M・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


237 ささやきのごとくに若葉揺れあいて樹々の秘密はあかるかりけり  

       (レポート)
 揺れあいの原因の風については描かれておらず、そこに作者や「揺れあい」の相手が考えられる。「ささやき」「秘密」「あかるかりけり」と言葉を繋いで、作者の回想に落ち着いているのは若やかな恋を思ってのことだろう。(慧子)


      (当日意見)
★何か希望のあるようなおしゃれな感じですね。(S・I)
★さりげない歌ですが、随分あまやかですね。若い二人を取り巻いて若葉がささやきの
 ように揺れているという。〈われ〉らの恋だけではなく、樹々そのものの存在の秘密
 がなんかあっけらかんとむき出しになっているような面白さを感じたのでしょうか。
 助動詞「けり」は 過去の他に詠嘆をもあらわすので明るい事よ、と現在の詠嘆か
 もしれませんね。(鹿取)

 
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渡辺『』『寒気氾濫』の一首鑑賞 236

2024-04-09 17:03:47 | 短歌の鑑賞
 

                白雲木の花


             

 2024年版 渡辺松男研究29まとめ(2015年7月実施)
   【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁~
    参加者:S・I、M・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


236 白雲木の花咲く下のベンチにて君はこころを濃くして待てよ  

        (当日意見)
★作者の何を待っているのでしょう?作者の告白とかかしら?(S・I)
★いや、僕のことをただ思っていてというのでしょう。来るのを待っててって。
  (M・S)
★それをいう為にこの1首があるのですか?何かを期待して待ってて?(S・I)
★今日は告白するから待ってて、かな?(慧子)
★M・Sさんの意見に賛成です。告白とかではなくて、僕のことを思って待っててくれ
 って気分じゃないですか。(鹿取)
★白雲木の下のベンチで待っている女性って、絵画的でいいですね。(S・I)
★白雲木って雲の字があるように、エゴと違って横一列の房になって咲いて、どっしり
 して重量感があります。葉っぱも大きくて丸いです。上の句のイメージも魅力的です
 が、下の句のカ行音の君、こころ、濃くしての連なりも心地よいですね。(鹿取)
★でも、どうして白雲木なんでしょう?どこで待ってもいいような感じだけど。
  (M・S)
★作者も白雲木が好きなのでしょう。白雲木はある種、天上的なイメージもあると思い
 ます。最近、自宅敷地にも白雲木があり、近くには白雲僕木の並木があるのを発見し
 ました。以前は鎌倉の浄智寺まで白雲木の花を観に出かけていましたが、見事な大木
 がありま した。(鹿取)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 235

2024-04-08 10:59:52 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究29まとめ(2015年7月実施)
   【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)100頁~
    参加者:S・I、M・S、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


235 柿若葉われのつく嘘みずみずと君のつく嘘なおみずみずと
  
       (レポート)
 俳句の季語さながら柿若葉とおかれ、若いみどりの小宇宙が示される。が、同時に柿若葉一枚一枚はなめらかな舌のようだ。その舌がみずみずしい嘘をのせる。リフレインの心地よい音楽性は、実は愛の言葉を告げ合っているのだ。有頂天になっているかもしれない現在の愛を嘘と置き換えて、柿若葉の重層的イメージの中に詠った。(慧子)


     (当日意見)
★私は愛を嘘とは置き換えられないと思いました。恋愛中、相手の関心を得るために大
 げさに言ったり、相手を試すような行動をしたり、そういうことを言っていらしゃる
 のかなと。それで自分のつく嘘よりも相手のそのような嘘が大きいと、それは相手を
 受容していること。(S・I)
★慧子さんの解釈で全部言い当てているように思います。柿の若葉がなめらかな舌と解
 釈されたのもすばらしいと思うし、若い男女の愛を告げる言葉が大げさというか、そ
 れを分かっていて心地よく聞いているという感じが「みずみずと」という言葉に表れ
 ているように思います。(M・S)
★私も柿若葉がなめらかな舌のようだという解釈は面白いと思いました。後半について
 は、愛=嘘ではまずかろうと思います。好き同士なんだけどお互い気を引くようなこ
 とを言い合うとか、戯れて嘘つき合っているとか、そういう嘘もふくめて爽やかな好
 い関係にあるんだと思う。(鹿取)
★では、レポートの最後のところを「嘘も交えて」くらいにすればいいですかね。
  (慧子)

 
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馬場あき子の外国詠 305、306 トルコ⑥

2024-04-07 10:09:53 | 短歌の鑑賞
  
          マロニエの花のアップ       



         上のマロニエの花の木
  


        ベニバナトチノキの花のアップ


        上のベニバナトチノキの樹形


        別の場所にあるベニバナトチノキの説明板

いずれも我が家近くにあるものです。
上のマロニエとベニバナトチノキは道を隔ててありますが、マロニエは1本のみ、
ベニバナトチノキは数十本の並木になっています。


 2024年度版  馬場あき子旅の歌41(11年7月)
    【風の松の香】『飛種』(1996年刊)P136~
    参加者:K・I、N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放

                    
305 潑溂とたのしむ心湧きてゐるわれとかがやくマロニエの実と

     (まとめ)
 マロニエはギリシャやブルガリア原産で、もちろんトルコにはある。しかし日本国内でマロニエと呼ばれているのはだいたいがベニバナトチノキで、ヨーロッパのマロニエとはべつのものだそうだ。実は栗ほどではないがいがいががあり、剥くと栗に似た実が入っている。しかしそのままでは食べられない。日本のトチの実もトチモチになるがあく抜きに大変な手間と日数がかかるそうだ。マロニエの実が陽光に輝いているのを見ているとうきうきしてきた。マロニエの実によって異郷にある心弾みの実感が伝わってくる。 (鹿取)


306 あさき夢みてゐるやうな煽情の楽湧きて食む昼餐の魚   

      (まとめ)
 305番歌「潑溂とたのしむ心湧きてゐるわれとかがやくマロニエの実と」のように異郷を楽しんでいる作者。見るもの聞くもの、全てが珍しく酔っているような、「あさき夢」を見ているような昂揚した気分である。昼食に立ち寄ったレストランで心の中から湧きだしてきた「煽情の楽」、酔いはますます深くなっているのだろう。あるいは「楽湧きて」は食堂に入るとかなり音量のある音楽が流れていたともとれる。その場合の「煽情の楽」はうきうき楽しくなるような、食欲も増進させるような音楽ということだろう。魚も海に面したこの土地の特産品である。(鹿取)


(当日意見)
★この楽は、心の中に湧いてきたものであろう。この章の歌は順に心が高揚してきて
 いる。(藤本)

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馬場あき子の外国詠 304 トルコ⑥

2024-04-06 10:11:17 | 短歌の鑑賞
 2024年度版  馬場あき子旅の歌41(11年7月)
   【風の松の香】『飛種』(1996年刊)P136~
    参加者:K・I、N・I、井上久美子、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・H  司会とまとめ:鹿取 未放
                    

304 「見る処花にあらずといふことなし」トルコにて思ふ芭蕉なつかし

    (まとめ)
 芭蕉の晩年に近い45歳の折の紀行文「笈の小文」は、1687年の10月から翌年の3月までの旅をまとめた文章。江戸を出て名古屋、伊良湖崎へ、翌年伊勢神宮、奈良、大阪、須磨、明石、京都、近江に遊んでいる。長いが有名な冒頭部分なので引用する。


 【百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦て放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふて、これが為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学て愚を暁ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、旅人と我名よばれん初しぐれ】(原文のふりがなは省略、「たゝかふて」の「ふ」、「つゐに」の「ゐ」は原文のママ)
                  『松尾芭蕉集』日本古典文学全集(小学館)


 作者はトルコにいて神殿の廃墟を見、壮大な劇場や図書館の跡を見て、ただただ詠嘆するばかりである。また気が遠くなるようなトルコの歴史の長さやその変転のめまぐるしさにも圧倒されている。しかしふっと芭蕉の「見る処花にあらずといふ事なし」が浮かんできた。日本とトルコでは歴史も自然も全く異なるが、見る処花にあらずといふ事なしにはかわりはない。そして世界中どこに行っても芭蕉同様自分も「旅人と我名よばれん初しぐれ」の心境でありたいというのかもしれない。芭蕉が言った「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における」の思いに、作者も進んで連なろうとしたのかもしれない。(鹿取)
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