かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 250

2024-04-27 09:33:14 | 短歌の鑑賞
2024年版 渡辺松男研究まとめ30(2015年8月)
        【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)103頁~
         参加者:S・I、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:S・I  司会と記録:鹿取 未放


250 虫時雨どこへ行けどもゆるやかに起伏しながら女体はつづく

      (レポート)
「虫時雨」とは、秋の季語で、草むらで幾種類も重なりあって鳴く虫の賑やかな様子のこと(『歳時記』)。鳴くのはオスで、求愛のために翅(はね)を摺り合わす音が、虫の音として聴こえるのである。この歌は聴覚で虫の音を捉えながら、女体を触覚で味わっている場面であろう。虫の音が留めなく、すだいている、「どこへ行けども」は「女体はつづく」にかかり、虫時雨が少々の緩急があっても、通奏低音のようにひびくのを耳で受けとめ、女体をたゆたいながら、あてどなく愛でている。虫の音と重なった性愛の営みには、切なく儚い哀感が漂う。(S・I)


      (当日意見)
★「どこへ行けども」が 性の営みの感じをよく伝えている。生命の躍動を感じます。
   (慧子)
★どこへ行けどもといっても全部女体のうちなのね。たゆたっているんでしょう。やわ
 らかい女体を全身で愛でている男性はこの時点では夢のような幸せの中にあるのかも
 しれないけど、読む方は哀感を感じてしまうのは「虫時雨」の語感のさまざまを感受
 するからかもしれませんね。(鹿取)
★行為にふける人間のはかなさのようなものを出しているんじゃないですか。具体的に
 書いたらそれだけですけど「どこへ行けども」だとエロチックに想像させますよね。
   (S・I)
コメント
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