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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 119

2023-09-25 17:16:04 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究14【寒気氾濫】(14年4月)まとめ
    『寒気氾濫』(1997年)50頁~
    参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木良明    司会と記録:鹿取 未放
             

119  冷凍庫から剥製に出す大鷹の死にて久しき血はしたたらず

      (レポート)
  冷凍庫には剥製にするための動物などがさまざまに収められているのだろう。その中から取り出された大鷹は、死んでから長時間冷凍庫に保存されていたために、もはや血はしたたらない。大鷹は、まだ生きているかのように勇壮な姿を保ちながらも、血液が流れていないことで今や空ろな存在になっているのだ。大鷹にとっては、血流こそがその勇壮な姿を支えてきた源であることを作者は改めて感じている。(鈴木)
           

      (当日発言)
★仕事に関係する歌ですよね。そういうエッセーを読んだことがあります。怪我をした
 鳥を助手席に乗せて博物館だかに運ぼうとしていたら途中で鳥が元気になってその目
 がとても怖かったという話。(鹿取)
★渡辺さんは群馬県の自然保護委員か何かをやっていたようです。だから動物にも植物
 にも詳しいですね。群馬には自然史博物館がありますね。(N・F)

 ※私の発言にあるエッセーは「鳶を怖いと思った」(「歌壇」1999年8月号)。
  いわゆる〈アニミズム〉について疑問を呈しながら深い考察をした1頁半のエッセ
  ーだが一部を抜粋する。死んだ鳥を職場の冷凍庫に保管していたら気味が悪いとい
  うクレームがついて、専用の冷凍庫を買って貰ったという話しも記されている。
     (鹿取)

・死んだ鳥を新聞紙に包み私は剥製屋さんへ持って行った。できた剥製は資料館に展示した。そう いう仕事をしていたときがあった。
・また、あるとき助手席に鳶を乗せて野鳥病院へ向かっていたことがあったが、ぐたっとしていた ので動かないだろうと思って、簡単に布で巻いたぐらいで乗せていた。それがだんだん元気にな ってきて、目に鋭さが戻ってきた。身動きをはじめた。隣にいる鳶はとても大きい。空を飛んで いるのを見てさえ大きく見えるその鳶が助手席にいる。もし翼を広げたりしたら一五〇センチは 下らない。
・本当に元気になってしまったらどうしよう。一刻もはやく野鳥病院へ運ぼう。私はスピードをア ップした。鳶と二人っきりで密室にいるようなものだ。鳶を怖いと思った。
・アニミズムをわかりやすく理解しようとしてみたところで、それが根本のところで宗教的感覚で ある限りにおいて必ず生への畏敬とともに死の意識や恐れを内包しているはずである。
・歌は言葉であり、言葉そのものがすでにアニミズムを逸脱しているとしか思えないからだ。
・もし本当にアニミズムを徹底してしまい、アニミズムの森へ入ってしまったならば、それは怖い ものであり、個別性の概念でさえ崩壊するであろうと私は思うし、そのことによって自己概念の 土台が崩壊してしまうような怖さを感じるのである。そのとき個別性のかけがえのなさはどうな ってしまうのだろう。
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馬場あき子の外国詠 62、63

2023-09-24 11:16:53 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
    【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
62 アフリカの乾ける地(つち)にとぐろなすもの飼ひならし老いゆくは人

      (まとめ)
 眼前の蛇つかいを見ながら、ふっとこの老い人の生活を思っている。アフリカの過酷な風土で長年蛇を調教しながら生きてきた人間、あくどいようでもそれは生活の為である。その点では憎い顔をした蛇使いながらそこはかとない悲哀があり作者の同情がある。蛇と直接言わないで61番歌( すべらかにとぐろなす身を解く蛇のいかなれば陽に涼しさこぼす)を受けて「とぐろなすもの」と言っているところが面白い。結句も「人は老いゆく」となだらかに用言で止めず、体言止めで人を強調したところにも作者の思いが出ている。「アフリカの乾ける地」という生きる場の提示が、下句をよく活かしている。(鹿取)


63 笛吹けど踊らぬ蛇は汚れたる手に摑まれてくたくたとせる

      (まとめ)
 汚れたる手、にリアリティがある。いかにも蛇使いを業としている人の手だ。蛇も疲れ切ってストライキをしたい時があるのだろう。「くたくたとせる」だから病気だった可能性もあるが、ストライキととって飼い主に抵抗を試みる蛇と解釈した方が、アフリカ一連の最終歌としてふさわしいように思われる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 61 アフリカ⑥

2023-09-23 10:18:05 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
   【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
61 すべらかにとぐろなす身を解く蛇のいかなれば陽に涼しさこぼす

      (当日意見)
★とぐろを解いてのびのびと一本になったから涼しいのだ。身に負うのではなく解いた
 ことで涼しさを感じている。(崎尾)


       (まとめ)
 袋から掴み出されて笛の音に合わせて身を解いていく場面であろうか。ぐるぐるととぐろを巻いていた蛇が、一本となってくねりながら陽に向かっていく時、涼しさをこぼすように作者には感じられたのだろう。とぐろを巻いて怒っているかに見えた蛇が、その身をゆったりとほどくときに見せる涼しさ、その推移が「いかなれば」という疑問を呼びこんでいるのだろうか。「陽に」とあるから笛に合わせて踊る夜の場面ではないのかもしれない。それにしても蛇を「すずしさ」と結びつけるとはあっぱれだ。蛇を気味悪くしかとらえられない私のような者には、とうてい思い浮かばない発想だ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 60 アフリカ⑥

2023-09-22 17:36:19 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
   【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
   参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
60 顔憎き蛇つかひわれより銭を得てまだらの蛇に触(さや)らしめたり

     (まとめ)
 蛇遣いはいかにも憎そうな顔つきだったのだろう。「銭を得て」に狡猾な、金銭に執着する俗っぽいイメージがよく出ている。さわる、ではなく「さやる」という言い回しもおっかなびっくりでさわる感じがよく出ている。触っただけでなく写真も撮ったのだろうか。それは別料金だろう。馬場の旅に同行した人達の中には首に巻いた人もいたというが、そちらはもっと高い料金に違いない。
 「金いろのばつた」の章で、〈十匹のばつたを少年に売らしめて老工はアッラーに膝まづきたり〉〈暗き灯のスークに生きてアッラーに膝まづく一食を得し幸のため〉などとひたすら鏨を打つ職人が出てきたが、それとは対照的な人物像である。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 59 アフリカ⑥

2023-09-21 18:36:23 | 短歌の鑑賞
 2023年度版 馬場あき子の外国詠 ⑦(2008年4月実施)
    【阿弗利加3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171
    参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、藤本満須子、
        T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S  司会とまとめ:鹿取 未放

 
59 身のつやも失せてとぐろを巻けるもの笛吹けば怒る死ぬまで怒れ

       (当日意見)
★反抗しろ、というメッセージ。(崎尾)


       (まとめ)
 長年蛇使いに使役されて疲れ果てつやもなくなっているのであろう。蛇は仕込まれて餌をもらうために笛に合わせて身を踊らせるのであるが、それを作者は怒ると表現しているのだろうか。それとも今日は怒りも露わに踊りくねっているのだろうか。窮屈な袋に押し込められて、いきなり大勢の見物人の前にさらされれば怒りたくもなろう。とらわれの身の日頃の鬱屈も当然怒る原動力になっていよう。それゆえ、なおさら蛇の踊りは迫力をもっているのだろう。そんな蛇に作者は「死ぬまで怒れ」と荷担の情をもって呼びかけている。
 高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」や、渡辺松男の〈そうだそのように怒りて上げてみよ見てみたかった象の足裏〉『寒気氾濫』を思い出した。(鹿取)
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