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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  285

2021-08-16 17:04:01 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究35(16年2月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)118頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放


285 誤りを容易に認めなくなりし君も組織の一部を背負う

    (レポート)
組織と個人の価値観は、互いにせめぎ合うことがある、組織に入った当初は純粋で、誤りを素直に認めた友であったのだろう、それが、容易に認めることをしなくなったのは個よりも全体、組織を優先させたためである。個は組織にとって手や足であり、バラバラでは機能を全うし得ないのである。作者は組織人としての君を肯定的に描写することによって自己自身を重ねている。(石井)


   (当日意見)
★作者が組織人としての君を肯定的に見ているかというと、そうでもないようだ。(藤本)
★言っている意味は同じです。組織人はそもそもそこのルールに従わないといけないので
 す。そのルールに従っている君を肯定的に見ていることで、自分自身の内面はいろいろ
 とあるのですけれど、価値観は違うのですけれど、やはりそういうところに働いている
 以上、自分自身もそれを認めざるをえないので肯定的と言ったのです。(石井)
★組織の一部を担うようになったんだなと嘆いているように読めました。(M・S)
★君が変わってしまったなあと思っている。(曽我)
★君に対しては違和感もあり疑問もあるけれどそうするしかないのかなあという嘆き。
 複雑な気持ちでうたっている。(藤本)
★組織人としての君というのを強調したかった。組織に生きるとはそういうことなんで
 す。勤めている以上自我とかは捨てないといけない、おそらく根底には諦めというか
 そういう思いがある。そういう君を肯定的に見ている。(石井)
★個人と組織がせめぎ合う世界と決めつけてしまうのでは前進が無い。改善の意見など
 は上司に言えるはずで、それができない君を嘆いている。市民の立場に立って個々の
 意見は言えるはず。全てが個人と組織で相反するわけではない。(藤本)
★もし個人だったらね、これは誤りですと言いたいこともあるんでしょうけれど、組織
 人だから自分が謝罪すれば部下が困るかもしれない、組織ってそういうところです。
    (石井)
★石井さんの意見、全部ひっくるめて組織ってそういうものかもしれないけど、「作者
 は組織人としての君を肯定的に描写することによって自己自身を重ねている。」とい
 うところには違和感を覚えます。やっぱり「君」はそうあってほしくなかった、と嘆
 いているように読めます。〈われ〉が実際どれだけ「君」と違う行動がとれるかはお
 いて、違う行動を取りたいと思っている点で肯定的描写ではないし、自己自身を重ね
 てはいないというのが私の鑑賞です。そ れから、改善意見が言えたはずという藤本
 さんの意見は、組織人という石井さんの反論で出てきたんですけど、そして藤本さん
 の気持ちはとてもよく分かるんですけど、この「君」だって改善意見はいっぱい言っ
 たかもしれませんね。ここでは作者は「誤りを認めない」とい う一点に絞って詠んで
 いるので、「君」が組織に対して全て唯々諾々と従っているとか、も のが一切言えな
 い環境だとか、そういうことは言っていないです。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞  284

2021-08-15 17:26:16 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究35(16年2月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)118頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放


284 蛍光灯多すぎるほど灯しいて謀反をゆるすことなき庁舎

      (レポート)
 煌々と蛍光灯が燈っていると、微妙な陰影が排除され、すべての事物が余すところなく光に晒される。白日のもとに晒されるとはこのことだ。そのような庁舎で物事を均一で均等に扱うことに慣らされてしまった公務員には内部告発や謀反など及びもつかない。
日本の夜は明るすぎる、と谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」で嘆いたのは昭和8年だった。光と闇が綾なす陰翳の微妙な濃淡のゆらめき、ひかりの戯れはすべの物を詩化する、が、公務員にはそのような詩性は不用である、煌々と蛍光灯が燈る下で働いている姿は、いかにも誠実な公僕というイメージを与える。(石井)


      (当日意見)
★蛍光灯を多すぎるほど灯すって、エコだとか資源節約とかは一切考えずにどこもかしこも
 明るく灯していることで監視されているような状況下で仕事をされていて、謀反をしよう
 と思ってもで きないようなことを言っている。(真帆)
★松男さん、詩人としての感性を持った人だから、いわゆるバリバリ働く公務員ではなかっ
 たと思うし、もっとひろやかな心を持っていて…だから庁舎での居心地はあまりよくなか
 ったのではないか。そういう違和感の表明の歌だと思います。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  283

2021-08-14 19:22:44 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究35(16年2月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)118頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放


283 テーブルのテーブルかけを外しつつ内閣のまた支持率下がる

       (レポート)
 内閣支持率が下がっているという、やがて総理も変わるだろう、この国のトップはすぐ変わる、まるでテーブルかけを外すように簡単で容易なことだ。テーブルかけを外すという行為によって、「内閣支持率が下が」っている事象を想起された。テーブルかけをつけたり外したりすることは日常的な反復行為で、また明日になれば新しいテーブルかけを付け、宴会や会議が始まるだろう、そこで国の政策や方向が決まるのかもしれない。人は束の間に現れては退場する、が、恒久的なものはなにもない。ニーチェの永劫回帰を思わせる。(石井)


     (当日発言)
★レポートでは「テーブルかけを外すように」とおっしゃってるけど、「外しつつ」だから
ちょっと違う。この歌集は1997年の刊行だから、細川さんから村山さんに替わった頃か
な。(藤本)
★2枚目に余ったので安倍内閣とオバマの支持率の表を載せました。(石井)
★この図は関係ないですね。時代が違うから。(藤本)
★いや、いつ作られた歌か分からなかったものですから。(石井)
★この歌集は1997年の刊行だから、作られた時代は見当が付くと思いますが。(藤本)
★まあ、この歌は別にどの内閣の時のという具体的な話でなくていいと思うけど。〈われ〉
が「テーブルかけを外しつつ」テレビか何かでまた内閣の支持率が下がったというニュー
スでも見ているのかと思いました。なるほど、宴会のホテルのテーブルかけという設定
は、内閣の支持率とよく繋がるけど、作者の意図は違ったような。レポートの「テーブ
ルかけを外すように」総理がすぐに変わるというのは現実にはそうかもしれないけど、
歌はあくまで支持率が下がる話です。テ ーブル掛けを掛け替えるように次々トップが
変わる話ではないです。(鹿取)
★「テーブルかけを外」すのは作者の行為ですが、テーブルかけを外すことによって、いつ
か聞いた内閣の支持率が下がっているということを想起した。プルーストがマドレーヌ
を食べながら昔 のことを思い出したようにです。(石井)
★なるほどね、今テレビを見てるより思い出した方が自然かもしれないですね。(鹿取)
★「テーブルかけを外」すのと同じような感じで政治を見ている。飲食と同じです。日常茶
飯のことでたいしたことではない、作者は政治にたいした関心を持っていない。(慧子)
★いや、私はむしろ飲食と同じように政治も大事だと思いますし、「作者は政治にたいした
  関心を持っていない」とは思いません。(鹿取)
★支持率が下がるという今のことを言っているから、作者が政治に関心があるとかないと
 か、あまり深い意味はないと思うけど。(藤本)
★内面的な関連が必要です。ただ事象だけを詠んでいるわけではないので。(石井)
★テーブルというのは組閣などのことで、まとまっているものがやがて崩れてきたりしてみ
 んながバラバラになる。そんなことかなと読んだのですが。内閣がテーブルかけを外すの
 ではなく、やっぱり作者なのかなあ。(真帆)
★「テーブルかけを外」すという行為は下句と関連性があるようにうたわれている訳で、そ
 うでないと解釈ができないです。こじつけ的な解釈かもしれないけど。浮き世の上がった
 っり下がったりを冷ややかにみていらっしゃるのかな。(石井)

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渡辺松男の一首鑑賞  282

2021-08-13 18:04:34 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究34(16年1月実施)
    【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
     参加者:石井彩子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


282 トラックの助手席から降りてきし女タオルとともに『フーコー』を持つ

      (レポート)
 ある女は汗拭きだろうタオルを持ちトラックの助手席から降りてきたというからトラックの運送のアルバイトか仕事をしていると思われ又『フーコー』を持っている。女性にはめずらしい仕事をしているが、価値観の云々は別として、ものにとらわれていないことは言えるだろう。リポーターは『フーコー』をとらえられないし、要約も出来ない、ゆえに掲出歌の鑑賞もおぼつかないので、ある書物のあとがきの抜粋をして、これを終えたい。(慧子)
  【この後に、『フーコー 他のように考え、そして生きるために』(NHK出版)の
   著者、神崎繁氏のあとがきからの長い引用があるが、ブログ掲載は割愛させていた
   だく。】


      (当日意見)
★フーコーは石井さんに説明してもらいましょう。(鹿取)
★フーコーは有名な同性愛の哲学者ですね。ニーチェと同じように「理性」や「真理」とい
う絶対的価値観を壊した人です。『狂気の歴史』には「理性」の名のもとに、社会の秩序
に合わない人々、身体障害者、精神に病を持つ人、同性愛者らを隔離する記述があり、フ
ーコー は「理性」は 絶対的なものではなく、単なる解釈、記号にすぎない、この理性こ
そ狂気ではないか、といって います。(石井)
★それで、この歌についてはいかがですか。(鹿取)
★この女性はフーコーの伝記みたいなものを持っていたのかな。そしてその内容にこの女性
 は共感しています。現実に汗水を垂らして生きている、ものを考えたり、そういった世界
 とは違う世界 の人の生きざまを詠っていらっしゃるのかなと。(石井)
★石井さんの意見は同性愛者のところが強調され過ぎと思います。『フーコー』は二重カギ
 括 弧だからジル・ドゥルーズという人が書いた本かなと。(鈴木)
★ポスト構造主義の人ですよね。(石井)
★その『フーコー』の中で何を言っているかというと死の権力と生の権力です。死の権力と
 いうのは中世の頃、国王がいて臣下を支配していた。刃向かうといつ殺されるか分からな
 い。革命以降は権力者がいなくなってみんな平等です、自由にやっていいですよと言って
 いるにもかかわらず、治家が権力をもっているわけです。それを生の権力と言っているの
 す。ジル・ドゥルーズという人は現代をツリー構造とリゾーム状と2つに分けたのです。
 ツリー状は権力的なピラミッド状、リゾームはウエッブのように蜘蛛の巣状になっていて
 対等にやり取りできる。そこでノマド という言葉が出てきます。ノマドは遊牧地のこ
  とで全てが自由に遊べる。ところが私有地として 囲っていますと一般の人は入れなく
  なる。そこでドゥルーズは、もともと存在は私有地などに拘 束されなくてやってこれ
  たと説く。私なりに考えてみると入会権とか入り浜権とか昔はあった。自由に山に入っ
  てキノコを採ったり、浜で貝をとったりできた。そんなふうに人間はもともとマドに逃
  げていくことが出来るんだとドゥルーズは言っています。この歌では助手席にいるとい
  うことは運転手が威張っているわけです。助手席の女性は使いっ走りのような存在なの
  ですが、『フーコー』を持っているからにはノマド的な生き方をしている。解放されて
   いる人じゃないか。 この歌は頭で理解するのではなく、慧子さんが言われたように
  「感じ取る歌」ではないか。(鈴木)
★松男さんは『フーコー』を軽い気持ちで詠んでいるので、さっき石井さんが言ったような
 同性愛者としての見方も面白いなとは思うんですよ。ただ『フーコー』というカギ括弧が
 付いていたんでドゥルーズまで持ち出したのですが。(鈴木)
★理性は人間が作り上げた権力だということを言っています。ニーチェが権力の意志といっ
 たことに連なります、特定の視点を絶対化し、それを真実と思わせる理性、それをフーコ
 ーは権力だと述べるのです。(石井)
★松男さんは以前にもトラックを運転している弟とかキャベツを運ぶトラックとかにシンパ
 シーもって詠んでいます。この歌もそんなに深入りしないでいいのかなと。この歌の女性
 は助手席に乗っているから運転手から搾取されている存在とかは思わなくて、トラックに
 乗務して働く逞しい女性で、価値の転倒ということを考えたフーコーという人に関心を抱
 いている人だ、くらいの意味かなと。もっと一般的にいうと、ブルーカラーの女性が知的
 な本を持っていたので、おやっと好もしく思った。(鹿取)
★私もそう思っています。要するに生の権力とか言っても見えないのです。普通の女性がそ
 うやって自分らしい……(鈴木)
★鹿取さんの言っているとおりと思いますが、『フーコー』を他の題名にしたらどうなんで
 しょう。やっぱりフーコーに 意味を持たせているのでしょう。(石井)
★『フーコー』の感じを分からせたいと思って作者も作っている。生の権力なんて言葉は仰
 々しいけどみんな日頃感じている事です。それをどういう風に書くかです。(鈴木)
★もちろんニーチェではなくフーコーだということに意味はあると思います。97年発行の
 歌集ですが、男女雇用機会平等法が施行されたりした後ですよね。こういう女性に肯定の
 目を向けているのでしょう。(鹿取)
★松男さんは男女に拘らない人です。作者の中に男性的部分、女性的部分があるんです。両
 方の視点から見ています。性に拘っていない。同性愛者にも偏見をもっていない。
   (鈴木)


     (後日意見)①
 優れた表現者が両性具有的視点を備えていることは積極的に肯定するし、松男さんもその一人だと思う。しかし、たびたび引用している『寒気氾濫』冒頭の「地下に還せり」巻頭歌は〈八月をふつふつと黴毒(ばいどく)のフリードリヒ・ニーチひげ濃かりけり〉であり、同章内には〈同性愛三島発光したるのち川のぼりゆく無尽数の稚魚〉がある。歌集冒頭で自分のもっているさまざまなものを出して見せていると考えると、両性具有的視点というよりも思想家や作家などの性的嗜好に関心があるように思われる。歌集中には〈赤尾敏と東郷健の政見を聞き漏らさざりし古書店主逝く〉もあり、やはり同性愛者への強い関心の現れだろうか。ただしこの一首の解釈としては、同性愛ということに深く踏み込む必要はないように思う。(鹿取)


     (後日意見)②
「男女雇用機会平等法…」云々という社会状況とリンクさせると、この歌の真価がどうもぼやける感じがします。松男氏の歌は時空を超えています。むしろ存在論的に鑑賞した方がよいとおもいます。(石井)

       (後日意見)③
 この一首はフーコーが同性愛者だという認識なしには、鑑賞できない。フーコーは社会の規範、制度といった権力構造と闘い「人はみな、ゲイになるように努力するべきだ」と豪語し、エイズで亡くなった。
 『フーコー』は、遍在し、時空に漂うフーコーそのものだ。フーコーは制度によって男だとか、女といって規定されることを拒否する。運転席には「男」であるフーコーがいる。同性愛は知=肉体の融合という点では、異性愛よりも優っている。「女」と分類された人が持っていたのはタオルだ。タオルはフーコーの精神を具象化したもので、汗→労働→エロスであり、同性愛の象徴でもある。トラックに乗ってあちこち移動することは、定住を拒み必要性に応じて、住処を転々と変える遊牧民族に似ている。それを『フーコー』の作者、ジル・ドゥルーズは「ノマド」といった。かれらは法や契約、制度によって固定化され動きのない社会=領土にやってきて「脱領土化」を図る。これを「ノマド的」という。このように外から運動がやってくることを受け入れることは固定した社会に新しい価値を生みだすことになる。ノマド、あるいは「ノマド的」になることはフーコーにとってもジル・ドゥルーズにとっても理想郷であった。(石井)
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渡辺松男の一首鑑賞  281

2021-08-12 18:05:29 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究34(16年1月実施)
    【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
     参加者:石井彩子、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放


281 黒というふしぎないろのかがよいに税理士も黒きクルマで来たる

      (レポート)
 税理士が黒いクルマで来た。ということだが、その車を「黒というふしぎないろのかがよいに:となにか物語の始まる気配をただよわせる。税理士の仕事は感性などを離れた数理上のことでそこに不思議はない。だが、作者の色に対する感覚の冴えがおもしろい一首をなした。(慧子)


         (当日意見)
★出版記念会の時、小島ゆかりさんがこの歌がいいとおっしゃっていたのですが、理由は忘
 れました。黒って権威の色ですよね、だから裁判官なんかも黒いガウンを着ます。まあ、
 やくざさんも 黒いスーツに黒いクルマだったりしますけど。ここでも権威の象徴として
 税理士は黒いクルマで 来るわけで、工場主はきっとその税理士にぺこぺこするんでしょ
 うね。圧迫感を与えるわけです。(鹿取)
★税理士だから黒字になるようにと黒に拘っているんじゃないですか。赤字を嫌うわけで す
 から。売り上げが伸びるようにと。(M・S)
★工場主はそういうことを信じるかもしれませんけど、ここではもっと一般的な黒ではない
 ですか。(石井)
★ハイヤーってありましたよね、権威的な人はタクシーでなくハイヤーを使ったんですよ
 ね。足を取られないようにという配慮もあったかもしれないけど、政治家などは皆ハイ
 ヤーを使った。あれ、黒ですよね。暴力団も黒ですけど。だから黒は立派な人が乗って
 いるというイメージ。税理士さんが赤字を避けて黒い車を利用したとは今まで聞いたこ
 とがないので。そして税理士さんは 本来は正しい経理の仕方を指導する人ですけど、
 雇われているから会社側に都合がいいように不 正をする。だからかがよいはないです
 よ。黒には権威のカサを被ったごまかしがある。(鈴木)
★黒に対する一般的なイメージもある。有無を言わせないというような。厳粛でフォーマ
 ルな感じもする。特に税理士さんは黒でないと表現できなかったのかな。クルマがカタ
 カナになっていますが、ちょっと揶揄しているのかしら。(石井)


      (後日意見)
 『寒気氾濫』冒頭の「地下に還せり」の章に275番歌でもあげた〈土屋文明さえも知らざる大方のひとりなる父鉄工に生く〉と並んで〈もはや死語となりておれども税吏への父の口癖「われわれ庶民」〉がある。(鹿取)
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