かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 171

2021-04-03 16:37:31 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 21 二〇一四年十一月 【音符】『寒気氾濫』(1997年)72頁~
  参加者:石井彩子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
      レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            

※20回→22回→23回と21回を飛ばして鑑賞をアップしていました。
 21回に戻ります。


171 一生を賭けて紅葉が飛びてゆく廃棄物処理場の秋天

      (レポート)
 「一生を賭けて」と詠われるのは紅葉だが、これは作者の心情だ。だがどういう一生を「賭けて」
「飛びてゆく」なのか。飛びゆくものの一枚一枚に、美しく色づくまでの時間が思われる。ここに落ちてしまえば、すなわち、廃棄物になってしまう。そんなことになりたくない、そういう切迫性を飛んでゆく紅葉にみたのだろう。廃棄物処理場という時代背景、紅葉という自然摂理を配し、その全ての上の秋天が美しい。(慧子)


      (紙上意見)
 プロペラ状の紅葉の種は風にのって秋空に飛んでゆく。どこに着地するかによって、その紅葉の今後の一生が決まってくるので、「一生を賭け」るのである。「廃棄物処理場」というのが、その後を何か暗示している。(鈴木)


       (意見)
★慧子さんと何が飛んでいくかが違いますね。慧子さんのは紅葉で、鈴木さんのは紅葉した種。歌
 は種とはいっていないから葉っぱの方かな。『寒気氾濫』の出版記念会で、塚本邦雄氏がこの歌
 褒められたんだけど、どういいかはおっしゃらなかったか、おっしゃたけど忘れたかなんだけど、 もひとつ、私にはこの歌がよく分からないです。「廃棄物処理場」というのがどういうものを浮か
 べていいか分からない。(鹿取)
★私は現実的に考えたのですが。落ち葉とかビニールに入れてゴミに出すけど、ビニールが破れてそれ
 が秋風に舞い散って、そういう状況を思い浮かべました。紅葉の絶頂期を見せられなくて、残念に思
 いながらそこで舞っている。「廃棄物処理場」という舞台設定ができすぎているような気がします
 が。(石井)
★「廃棄物処理場」って落ち葉を集めておくような所なんですか?ビニールが破れて飛びだす場所が
 「廃棄物処理場」ですか?そうすると処理場を起点にしてどこかへ飛んでいくのですか?私は、処理
 というからにはもっと大々的な場所を思い浮かべていましたが。核廃棄物とは言ってないから、そう
 ではないだろうけど、落ち葉とかじゃなく壊れた自動車とか家具とかもっと大きなものの処理場か
 と。(鹿取)
★私は単純にゴミ処理場の屋根がある建物だと思ったのです。そこに落ちたら燃やされてしまうから元
 も子もない。(慧子)
★屋根がある建物で屋根の上に落ちたのなら、燃やされないと思うけど。紅葉がそこに落ちたら一生が
 台無しになるから「廃棄物処理場」を懸命になって飛び越えようとしている、そんな理詰めの歌なの
 かなあ。理詰めならつまらないなあ。前の歌の続きだとすると、簡易便所の中でからからとまわって
 いた葉はそこから抜け出せないけど、この歌の葉っぱは便所に迷い込むことは免れたんですよね。塚
 本さんが褒められたからにはもっと何か本質的なものがあって、私がそれを見落としているような気
 がします。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする