Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

Danchoのルーツと、7月2日。

2015-07-01 20:40:00 | 埼玉県六校応援団連盟関係
今日から7月。
早いもので、2015年も半分を過ぎて「後半戦」に突入した。

沖縄と北海道以外は、ぐずつく天気が続くこの時期だけど、私にとっては、一つ前の記事に書いた通り「夏本番」に入っている。

ご報告が遅れて大変恐縮しているけど、母校であり、私の出身母体でもある、埼玉県立春日部高等学校応援指導部主催のステージ演技「臙脂の集い」も、多くのお客様の御来場と、そのお客様の熱気に包まれながら幕を閉じることができた。
お客様御一人御一人に、感謝している次第。

私自身も、このステージに対する思いは、相当複雑なのだが、現役諸君の「晴れ舞台」なので、精一杯盛り上げたつもりである。
YouTubeに早速、初めから終わりまでのおよそ90分間、通しの動画がアップされており、拝見すると、それなりに通る声で私が「うるさい」位に盛り上げている事も分かって、個人的には達成感があった。


さて、今回は、タイトルにある様に、「Dancho」のルーツと、「7月2日」が持つ意味について、ちょっと触れたい。

とはいっても、この拙ブログを細かくご覧いただいている読者の皆様にとっては、「話の繰り返し」にはなる部分もあるけど、その後新たに私を知る事になった方々が拙ブログに触れ、「そもそもDanchoって、どうしてDanchoなのか?…」という思いを抱いているかも知れないので、書いてみようと思った。


私が部活動で応援指導部(応援団)を選んだいきさつは、不親切かもしれないけど、「シリーズ化記事」に書いた通りで、1学年上の「T先輩」が、まるで自衛隊員の勧誘にも似た迫力で、私を熱心に勧誘して頂いたのと、中学校で出会った親友である、「53番」の存在が殆どを占めている。
(ほんの僅かながら、当時恋心を抱いていた、初恋の相手でもある「TSさん」の存在もあるのだけれど、ここではとりあえず置いておく。)

ともかく、T先輩が応援団への扉を開け、53番が扉の前で二の足を踏んでいた私の背中を押してくれて、その「世界」に飛び込んだ。

その「世界」は、色々な意味であまりに厳しく大変で、何度もやめてしまいたいと思ったけど、その度に、53番の頑張っている姿とか、TSさんへの「本気の思い」が頭に浮かび、挫けそうな自分を何度も励まして、何とか幹部に就任し、引退まで辿りついた気が今でもしている。

ある意味「しがみついてでも」…という状態だったかもしれないけど、引退まで続けることができたおかげで、その後、大勢の可愛い後輩達と出会う事ができたのだから、本当に続けて良かったとしみじみ思う。


もう一つ、良かったって思ったのは…「Dancho」になれた事。どういう意味か?。


私は、3度目の受験で何とか大学の薬学部に進むことができたのだが、入学すぐのオリエンテーションで自己紹介する際…

「高校の部活動で、応援団をやっていた」

と胸を張って言えたのが、気持ち良かった。

確かに、引退するまで続けていなければ、「応援団をやっていた事がある」で話は終わってしまう。けど、「やっていた」とは、引退した者でないと言う事ができない。その差は大きい。

まさにその時である。

関西出身のある同級生が…

「応援団やっていたなら、これから“だんちょ~”って、呼ばせてもらうわ!」

と叫びに似たつぶやきを発したところから、一気に学年中に広まり、私の本名は知らなくても、「だんちょ~って呼ばれている人なら、知っている」という状態になり、あっという間に4年間が過ぎた。

今でも研究室の同期のみんな(男女問わず)から、「だんちょ~」若しくは「だんちょ~さん」って呼ばれているし、それが今に至っている。

そして、インターネット環境が進化し、ブログやSNSが著しく発展する中、私自身もブログを立てようと思った時、馴染みあるニックネームであり、ハンドルをちょっと格好良く見せるために、今の「Dancho」にした。


これが、インターネット環境や、その「オフ」での交流で使用するハンドルである「Dancho」のルーツである。
蛇足ではあるが、私の現役時代の役職は、実は「副団長」であるが、これを交流の場で話すと、「そのオチは要らない」と言われることが多いので、サッと流す。



そして明日は、7月2日…。
私にとっては、特別で、複雑で、寂しく、悲しくもなる日である。何故か…。


ここまで話してきたように、私が「Dancho」になれたのは、T先輩が熱心に勧誘して下さり、応援団の世界への扉を開けて下さったからこそである。
私にとっては、感謝してもし尽くせない、かけがえのない御方である。

しかし…

11年前の、7月2日…T先輩は、水の事故に遭われ、天に召されてしまった。
これも、拙ブログの「ベテラン読者」ならご存知であると思うが、そう、T先輩は、どこを探してもいらっしゃらないのだ。
それを毎年思うと…とっても辛い。悔しい。涙が出る。まだ信じられない…。
何故、T先輩でなければならないのか…と。

T先輩の墓前には、私にとって「夏のはじまり」の日である、冒頭でも触れた「臙脂の集い」当日の朝、2年上のKT先輩と毎年訪れている。
一緒に「臙脂の集い」と、その後のOB会総会と懇親会に出席するために…。

ところで、T先輩は、数々の「伝説」を作った、とってもスケールの大きな御方だった。
元々身長が凄く高くて、存在しているだけでも目立つタイプながら、どこか不器用ではあった。
ところが、幹部に就任して、一番格式高い「団長」の役職を頂いてからは、その役職がT先輩の「本来の姿」に磨きをかけ、研ぎ澄まされて、その背中がどんどん大きく広く感じた。バックで、私達1学年後輩がその後ろ姿を追い続けていたのだから、間違いはない。


T先輩は、やりたいこと、「こうなりたい」と思う事が、多々あったと拝察している。
それが叶わない無念を思うと、胸が張り裂けそうだ。
けれど、T先輩を失った悲しみに、いつまでも埋没するわけにはいかないと思っている。T先輩も、それを望んではいないはずだ。

だからこそ、7月2日だけは、哀悼の意を表する厳粛な1日になるかもしれないけど、ただ単に何もかも自粛するのではなく、若干ではあるけれど意識的に明るく過ごすことが、T先輩の供養になると信じている。



私が「Dancho」として拙ブログを立て、そのコンセプトを「応援団を応援する」というところに置いて記事をエントリーする中では、様々な事がある。

私の表現がやや過激だったり、主観的だったり、偏った見解だったり、または、その様に誤解されるような表現だったりすると、「火消し」には当然回るし、誤解を与えた読者の方にはお詫びするのだが、それが逆効果で「炎上」に近いものになったこともある。
応援団を良く思わない方もいらっしゃるし、そうではなくても、私がブログを書くことを不快に思っている方もいらっしゃるのではないか…とさえ思う時もある。
その方々にとっては、拙ブログ存在自体…いや、私の存在そのものまで否定しているかもしれない。

応援団を部活動でやっていたのだから、「鉄の心臓」を持っているか…と言われたら、私は実はその逆で、「火消し」に必死に回るのだから、「ガラスのメンタル」の持ち主だと思っている。

だけど、リアルに私を知る方で、そんな傷つきやすい私をそっと応援して下さる方も、一方ではたくさんいらっしゃる。その点では、本当に感謝の気持ちでいっぱい。

私が拙ブログを立てた事で、多くの「お友達」ができたし、実は、今でもその「輪」が広がっている事は確か。
また、私の「お友達」同士が繋がりを持って、いつの間にかコミュニティーが形成されている事を知った時は、これほど嬉しいことはなかった。
私は、きっかけを作っただけで何もしていないのに、私の友達同士が、あっという間に友達になれるのは、本当に素晴らしい事。

今は、こんな私と知り合って、お友達になって頂いた方を大切に、応援して下さることを励みにして、焦る必要もないし、「ゆるゆる」で良いから、応援団ブログを続けようと思っている。

きっと、それが、「Danchoへの期待」だと思うから。

思い上がりかな?…。



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8月23日から、こちらの応援団ネタの粗を削って、バックアップする目的の「新館」を、Amebaに設立しました。
Danchoのお気楽Diary 新館
にも、是非立ち寄って下さいね。
(只今、私が幼少のころ、テレビに噛り付いて見ていた「マッハGoGoGo」のキャラクターをテンプレートにしています。ど派手ですよ。)

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