Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

スーパークリークまで逝ってしまうとは…

2010-09-06 07:26:29 | 競馬
オグリキャップ号が逝ってしまって、まだそんなに月日が経っていないのに、ライバルだったスーパークリーク号まで逝ってしまった…というニュースが、先週ありました。

サンケイスポーツの記事、引用して紹介します。

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 GI3勝馬スーパークリーク(牡25、父ノーアテンション)が29日午後、繋養先の北海道・浦河町の日高スタリオンステーションで亡くなった。同馬はGI初挑戦だった88年の菊花賞を優勝。武豊騎手は史上最年少(当時19歳)でのクラシック制覇だった。競走馬時代に激闘を演じた同期のオグリキャップが7月3日に亡くなったが、また1頭、記憶に残る名馬が長い眠りについた。

 芦毛の怪物オグリキャップとは同期のライバルだったスーパークリークが、惜しまれつつ、この世を去った。

 日高スタリオンステーションの関係者によると、今年の夏過ぎから下痢気味になるなど体調を崩すことが多くなっていた。その後、一時は持ち直したが、29日の昼からひどく苦しむ症状を見せ始め、午後4時50分、治療の甲斐なく馬房で息を引き取ったという。

 「オグリキャップが亡くなった直後に体調がガクッと落ちて、“オグリに連れて行かれちゃうのかな”と話していたのですが、その後は体調も持ち直していました。オグリのお別れ会(7月29日)には、こちらで繋養しているヤエノムテキと連名で供花したばかりで、オグリの分まで長生きしてほしかったのですが…」と、事務局の荻伏ブリーディングシステムの関係者も肩を落とした。

 スーパークリークは父ノーアテンション、母ナイスデイで、85年5月27日に北海道・門別町(現日高町)の柏台牧場で誕生。故・伊藤修司調教師(栗東)の管理で2歳12月にデビューした。晩成血統で能力の開花には時間を要したが、3歳秋になって徐々に力をつけ、滑り込みで出走した菊花賞を優勝。武豊騎手の記念すべきGI初勝利で、クラシック最年少制覇(19歳7カ月23日)となった。

 その後は古馬の王道で活躍。オグリ、イナリワンらと激闘を繰り広げ、90年末に引退した。通算成績は16戦8勝。重賞は88年菊花賞、89年天皇賞・秋、90年天皇賞・春のGI3勝を含む6勝を挙げた。種牡馬としては活躍馬を出せなかったが、母の父としてはブルーショットガン(阪急杯)を出している。種付けはここ2年なかったが、熱心なファンも多く、誕生日には花も届いていた。詳しい死因は、30日に調べるが、相次ぐ名馬の死は惜しまれる。

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奥手の比較的長い距離を走れそうな血統でしたが、その通り、『菊花賞』に「滑り込みセーフ」で出走し、今では数多のGIレースを制している武 豊 騎手に「初めて」のGI勝利をもたらした馬でした。

そのレースが、この動画です。杉本 清 氏の実況…素晴らしいですね。
(レースの実況についての記事…アレンジ中です。もう少ししたら、草稿始めます。)



オグリキャップ追悼記事でも書いたけれど、忘れられないのが、写真にもある『第100回 天皇賞(秋)』。

直線で不利を受けて、追うタイミングが遅れてしまったオグリキャップを振り切って優勝した時の『14』番…格好良かったなぁ。



このレースで私自身、馬券初勝利だったので、一生思い出に残るでしょうね。

オグリキャップ同様に、種牡馬としては成功できなかったけれど、「手堅い」競馬でファンには「安心感」を与えていたような気がします。

このライバル両頭の「良いところ」を持っていたのが、メジロマックイーン号でしょう。
私もそうでしたが、だからファンも多い馬になったのだろうと思いますし、逆説になりますが、メジロマックイーンは、この両頭がいたからこそ、現れた馬だと思います。

また一つ、競馬界の「巨星」がなくなり、ほんの少し「隙間風」が吹いた気がします。

しかし、スーパークリークまで逝ってしまうとは…。
オグリキャップが「ライバルがいないから、寂しい」とつぶやいて、連れて行ってしまったのでしょうか?。

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