DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

高専が大学に勝てないのは?

2006年04月30日 08時17分03秒 | Weblog
ここでの主張は、あくまで柴田の個人的な思い込みに過ぎないので、公式な見解ではありませんので、ご了承ください。また、自分を戒める意味で、厳しい発言になっています。
一応、大学などと同等の高等教育機関になっている高専であるが、世の中的な評価は、「多少は優秀な学生が集まるが、実態が良く分からん専門学校?」というところだろう。良く言えば、知る人ぞ知る高専というところだ。まあ、絶対数が少なすぎるので知名度が低いし、これまで積極的に広報してこなかったせいもあるだろう。高校大学と進む主流に対して、その脇を流れる傍流なわけで、どうしても陰になる存在である。
学校と言うのは色々な側面があるので、単純な評価をするのは簡単ではないが、ここでは研究室の活動に付いて、大学と比較検討してみたい。これは、柴田の力で何とかできるのは研究室レベルであるし、柴田の能力で自信のあるのが研究活動であるからだ。
そこで、「研究活動で、なぜ高専が大学に勝てないか?」を考えてみる。
1:予算や時間などの研究リソースが絶対的に不足している。
これまで教育を第1の使命として、それに高めるための研究を行うのが高専だそうで、だとすると、研究は第2の使命であるから、最重要任務ではない。だとすれば、勤務時間の多くは教育に向けられるし、予算の多くもそうなる。いくら大学も厳しいと言っても、高専ほどではない。
2:学校の雰囲気として、研究で打って出て勝負する雰囲気が少ない。
高専はそもそも、高校と大学を併せた形なので、どちらの面を持っていて、存在意義が単純ではない。高校としての学生指導やクラブ活動も重要、大学としての地域貢献や共同研究の重要、どれも大事と言うが、それは無理だ。結局、どちらも成功せず、どっちつかずの中途半端な存在になってしまうことが多い。
3:教員の活動が多面的になりすぎて、研究活動に集中していない。
時間の問題もあるが、教員自身の活動も研究、特に社会に打って出る共同研究に関しては大学ほど積極的ではないし、その成果も十分に評価されていない。下手をすると井の中の蛙的な研究になってしまうことが多い。学会活動は何とかこなすが、社会との連携が弱く、研究に迫力が欠けるように思う。
4:学生の年齢が低く、研究という活動に対する覚悟が出来ていない。
高専の学生は、能力的には大学の学生に負けない高い基礎的学力を持っていると思う。しかし、研究室での活動ではある種の覚悟が必要で、これが足りない。まず、絶対的に幼すぎる。これは年齢の問題であるから、どうしようもないが、試練を乗り越える場数が少なすぎる。潜在的能力が高いだけに、とても残念である。
まあ勝手な主張なので、無視してもらえば良いが、多少は真実もあると思う。自分の力で何とかなるのは、自分自身であるから、以上の4つの弱点を克服するために、柴田自身が何が出来るのか?常に考えて活動して行きたいと思っています。

研究日誌H180430

2006年04月30日 06時26分01秒 | 研究室情報
*休日ですが、研究室です*
今年度からは、クラブ顧問が変わって、コンピュータクラブになった。その行事で昼間は学校にきており、昼間3時間ぐらい、参加していた。まあ、それなりに楽しい行事であったと思う。でも気になったのは、高学年の先輩が準備や片付けをしている中で、1年生がお菓子を食べ続けてオタク話全開だったこと。まあ、新歓なのでお客ではあるわけだが、こう言う場面で状況の読めない人間は、いくら能力があっても使い物にならない。たぶんお子ちゃまとして、ちやほや育てられたんだろうけど、今後の5年間で色々と勉強してもらって、組織で活躍できる人材になって欲しい。
それ以外は、研究室に居て、共同研究の作業を少しでも進めようと思い、プログラムの開発環境の構築を進めていた。まあ、何でもそうだけど、時間をかけないと、何も進まないね。最も重要は研究リソースは、時間だ!しかし、気分的に休日モードだったので、夜は自宅に帰って、睡眠をしっかり確保する事にした。
どんな状況にあっても、如何なる立場であっても、万人に共通に与えられているもの、それは、「太陽と時間」だそうです。確かに、貧富の差に関わらず太陽は万人を照らし大きな自然の恵みを与えてくれますし、誰にも1日は24時間が与えられています。そうすると、これらのリソースを如何に上手に使うかが大事なのではないかと思うのです。
人間の本来の姿に帰って、自然の恵みに感謝して、1日の太陽の動きに従って生きてゆく。そう言う生き方が本当の豊かな生き方なのではないかと思うのです。