DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

平成17年度を終える

2006年03月31日 23時48分14秒 | Weblog
平成17年度も、あと40分で終わろうとしている。年末年始が、元旦0時を頂点にして盛り上がって行くのに対して、年度末は、卒業式を終えると学校からサーっと人の気配が無くなり、静かな中で人知れずで新年度が始まっている。すこし寂しいね。
今年度のDALABスタッフには、本当に色々なことがあった。嬉しいこともあれば、困ったこともあり、本当に多難な年であった。毎年、スタッフも変われば状況も変わるので、比較自体が無意味であるが、もう少し展開できなかったものか、残念な気持ちの方が大きい。これが正直な気持ちである。
毎年、春には異様な期待を持って学生を迎えるのであるが、これが曲者で、学生の負担を超える期待をかけることがあり、そのギャップにお互いが戸惑うことも多い。今年はまだスタッフのパフォーマンスを評価する段階には無いが、春休みの実験を見る限りでは、非常に期待のできるスタッフだと思える。
明日からは、平成18年度が始まる。現在、把握しているだけでも8件の共同研究が企画されており、どれも興味深いものばかりである。いつも思うことなのだが、学生との連携で進めるにしても、自分の実力で進められるコアになる技術を蓄積して、研究に臨む姿勢が必要だと感じている。
どうも、この年でマネージャーになってしまい、自分でプログラムやシステムを開発することが少なくなっている。本来、研究は手でやるものなのに、口でやるようになっている。これでは、豊富なアイデアを実現することが出来ないので、来年度はまだ40歳であるので、心機一転して、システム開発に望みたい。

研究日誌H180331

2006年03月31日 06時36分23秒 | 研究室情報
*遂に平成17年度が終了いたします*
結局毎年のことなのですが、色々なことがありました。研究室の活動において、同じような年は2つとないです。それは、構成スタッフが入れ替わりますし、共同研究などの条件も大きく変わっているからです。でも手前味噌ながら、一応、展開してきているので、今後に期待です。
=昨日は、年度内に処理しないといけない書類を、せっせと作っていました。
 この手のルーチンワークが、柴田は最もイヤです。面倒です。つまらないです。何とかならないでしょうか?
 でも、これをやらないと年度が終えられそうも無いので、手早く片付けます。逃れられないなら、バッとやるぞ!
 結局、夕方までずっと、バタバタ処理を進めていました。
=ただ、研究室の色々なリソースが、年度末の整理出来ていないので、ピンチ!
 今日最後の日は、片付けに専念したいと思っています。大掃除ってわけね。アネックスの整備もやらないと!
>で、そんなにピンチではないのですが、やはり早朝3時過ぎには起きました。
 懸案だった、共同研究の関連書類をどっと作って、非常にすっきりしました。

メモリカードを導入したよ

2006年03月31日 06時04分11秒 | W-ZERO3日誌
とりあえず携帯電話として使っている。でも実は携帯していなくて、発信専用で使っているので、ポータブル公衆電話という感じである。またまだ携帯生活には馴染めないという感じです。
でも、周辺機器だけは整えて置こうと思い、miniSD-1GBを導入しました。ちなみにADTECのものですが、普通に認識して利用できました。写真がそれで、右から、1円玉、miniSD-1GB、SDアダプタになっています。ちなみにシステムの確認では、976.13MBとなっています。一応WindowsMobileとなっているので、マイコンピュータの代わりのマイデバイスから、中身をエクスプローラを使ってみることが出来ます。情報を集めるとものすごく沢山の紹介本や裏技本が出ているので、それだけ関心を持っている人が多いのですね。
でもminiSDって、1円玉ぐらいの大きさなのに、1GB もの記憶容量があるんですよ。すごいですよね。だって、1GBを2バイト文字(日本語)にしたら、5億文字ですよ、合っているかな?
書きまくっている柴田のブログが、最大で1日1時間で2800文字ですので、178571日分、毎日書いて489年分。えーーーーーえ。生きてないよ!多分、作家や記者の様に、毎日大量の文章を書く人でも、多分、一生かかって書いた文字が、全てのこの1円玉サイズのチップに入ってしまうのですよ。技術の進歩はすごいですよね。本当に感心しました。
ちなみに1日8時間1秒1文字で書き続けて、1日で28800文字です。これで考えると、17361日で47年ぐらいですから、成人した20歳から67歳まで、ただひたすら毎日毎日8時間を書き続ける生活をして、やっと1GBというところです。

研究日誌H180330

2006年03月30日 07時13分15秒 | 研究室情報
*春だというのに雪だ*
いい加減スタッドレスを外そうと思っていた矢先、なんと雪!路面には積もっていないのですが、屋根は白い冬景色なのです。もう3月30日で暖かいときなら、桜も終わろうとする時期なのに、不思議です。寒いです。
=午前は、共同研究実験の片付け、さすがに現場の方の開始も早く作業も速い。見習おう
 午後は、送別会も兼ねて休みを取って、温泉に行った。心の洗濯と言うところかな。
 酔ったおじいさんが多くで閉口したが、お湯は良くて、体も気分も軽くなった。
 夕方は、食事会で日本食の定食だが、肉も魚もあり、ちょっとリッチな食事になった。
>これで、春休みの研究室のイベントは完了したので、学校の用事を済まさないと。
 その後、本当の春休みを経てから、平成18年度を本格始動しないとね。
 色々と積み残した課題も多い平成17年度であったが、とにかくキリを付けて、つぎに進みたい。
 昨年度の反省に立った、新しい今年度を充実させたものにしたい。前向きだ!!
 

記憶+現在+希望=人生

2006年03月29日 05時34分27秒 | Weblog
昨日は子供の卒園式に出席した。涙もろい自分は、目をウルウルにさせて、ビデオを撮り続けていた。先生方のお話や子供たちの挨拶で、いろいろなことを考えされられた。自分も学校の先生であるから、同じような経験をしているので、先生方のお話には共感することが出来た。特に保育園の年代の子供らは、率直で残酷で単純で、要は純粋なだけに反応も直接的なのだろう。
で感じたことは、色々な活動をしながら成長し生きてゆくわけであって、それが人生であるが、当たり前のことだが次のような方程式を考えた。
  人生=これまでの記憶+一瞬の現在+これからの希望  (1)
それで、別の言い方をすると、
  これからの希望=関数:人生(一瞬の現在)+これまでの記憶  (2)
と書くことも出来る。この式(1)と(2)が絡み合って、人生と言う複雑な挙動を作っているのだろう。つまり、一瞬一瞬を如何に過ごすかこそが人生で、ここで作られた関数:人生の値が成果(生きた証・充実感)で、これにこれまでの記憶を加えることで、これからの希望を作られていくのだと思う。
それで実は、記憶と現在と希望の分量割合は、98:1:1ぐらいになっているのではないかと思う。つまり人生を支配しているのは「記憶」で、どのように生きてきたかが、そこの凝縮されているように思う。この記憶に基づいて希望も作られてゆくので、これまでの記憶から断絶した希望は夢想に終わってしまうことが多い。確かな希望と言うのは、このような記憶と現在から線形的に作られてゆくものだと思う。
この人生という関数は、様々な周期の変動を持っていて、上向き勾配もあれば下向き勾配もあり、なかなか予測が難しい関数である。ただ、記憶と現在は、別の項になっているので、直接的に関連するものではなく、心機一転して現在を作り直すことは可能である。これによって、上向きの記憶を少しずつでも増やすことで、現在も変化させることが出来るのだろう。
非常に支配的な影響をもつ記憶であるが、これは時間の経過と共に劣化してゆく多数の部分と、その中で逆に目立つ少しの思い出が選択されてゆくことがある。しかし、決して遡って交換することは出来ないので、これはこれとして、時間の経過の中で認めてゆくしかないものであり、今の自分が制御できるのは「一瞬の現在」しかないことを理解すれば、おのずと人生の目的や行動が決まってゆくのだと思う。
何か、よく分かったような分からないような………

回転すしは大変すき

2006年03月28日 06時14分44秒 | Weblog
食いしん坊の自分は、好きなだけ食べられるものが好きです。で、回転すしは大変好きなのですが、これまでは岐阜にも数多くの店があるカッパ寿司に良く行っていたのですが、今回は足を伸ばして、羽島にあるスシロー?に行ってきました。
これまではアトムボーイしか無かったのが、色々乱立してきましたね。外食関連は栄枯盛衰が激しいので、色々競争があり、特徴があって面白いと思いました。そこで、カッパ寿司KとスシローSとの比較をしてみました。あくまで私的な感想です。
=ネタの大きさはKの方が均一で、Sは大きいものが大きいが、小さいものは小さく、メリハリがある。Sの軍艦のネタは異様に大盛りで自分には嬉しい。(Sの勝ち)
=醤油の小皿がSには無く、直接掛けるようにとあるが、多くの客は前に食べたさらに醤油をつけている。小皿ぐらいおいても良いと思うのだが。(Kの勝ち)
=Sのお茶は、粉末の緑茶で加減が分からずやりにくい。湯のみが緑色なので、特に濃いのか薄いのか分からない。Kのパックの方が良いし、濃さも良い。(Kの勝ち)
=皿の裏にICタグ?があって、回転している時間を管理して、古い寿司を避けるのだそうだ。でも、結構乾いたネタもあったので、役に立っているのか?(Sの勝ち)
=最も大切な寿司のネタは、アイデア寿司も基本の魚介類も、どちらかと言うとSの方が魅力が大きい。後発のSはKとの差別化をここで狙っているね。(Sの勝ち)
=レーンに流れる寿司はSは少なくて、頼まないと出ない。Kはそれなりに多くの種類が出ているので、流れるものだけでも満足する。(Kの勝ち)
まあ、どちらも費用対効果の満足するレベルにはあるので、あとは店への距離だけで、そうすると店舗が多いKが優位だが、寿司ネタの興味からはSの方が行きたい気持ちです。

研究日誌H180328

2006年03月28日 05時47分54秒 | 研究室情報
*やっと春休みかな*
昨日は、共同研究実験が完了した。スタッフOZさんM君、ご苦労様でした。さて、これで学校の業務を終えたら、平成17年度が終わることになる。今年度は、本当に色々あった。まあ毎年色々あるのだが、今年はブログをつけるようになったので、昔を遡れるので、また読み返してみたい。思いもかけぬ出来事が色々とあった。
=午前は、共同研究実験の準備を開始した。共同研究企業はすでに来ていた。
 やはり、現場の人は早いよね。それに対して柴田も学生も時間ギリギリ、まずいね。
 午後は、載荷実験を進め、それなりの成果が得られたと思う。研究大きく前進!!
=夕方は、子供の音楽発表会に参加、しっかり頑張ってくれているので、嬉しい!!
 夕方は、お祝いも兼ねて、すし屋へ(でも回転すしだけどね)
 本当に充実した1日であった。その代わり、気もつかったね。
>と言いながらも、今日も午前午後と予定が一杯で、気が休まらない。
 早く落ち着いて、集中できる時間が欲しいです。あと少しあと少し
 

春休みのメインイベント

2006年03月28日 05時05分54秒 | Weblog
昨日は共同研究実験でした。春休みのメインイベントになる活動ですが、まずは無事終了し、良い結果も得られたので、大成功でした。これまで研究室では、本格的な構造実験はしていなかったのですが、共同研究で必要となり実現しました。研究室では、システム開発をメインにしているのですが、実際のものを作ることも、それなりに面白いし、条件が揃えば今後も進めてゆきたいと思いました。
しかし、測定器具も載荷装置も満足なものがないので、有り合わせのものを調達して、何とか実験らしい結果が得られたと思います。今回の実験では、担当のOZさんの頑張り、OBの方の支援、もちろん共同研究先の全面的な協力、これら多方面の努力の成果だと思います。もちろん、研究室スタッフM君はじめ、スタッフOT,IW,SKさんの積極的な支援も大きな価値がありました。
研究室では、基本的に自分の課題を自分解決することを目指しています。大きな課題を分担することはあっても、それぞれ独自の目標と責任を設定しています。ですので、誰かがやってくれると言う依存は出来ません。しかし、自分の力だけでは実現しない大きな課題もあるため、先輩の助言、友人の支援、これらを結集できる環境、それが研究室だと思っています。
そういう意味では、実験はその力を結集する1つのイベントになるわけです。システム開発でも、多方面のスキルを自力で積み上げることは難しく、先輩の誘導がないとなかなか進みません。来年度のDALABは最初から良いスタートになっていますので、今後が大きく期待できます。昨日はOZさんが主役でしたが、今後は順番に一人一人が主役となって、活躍してくれることを期待しています。

研究日誌H180327

2006年03月27日 06時05分52秒 | 研究室情報
*みんな無理していたんだな*
春休みで本当なら気楽な毎日のはずなのだが、家族が連続して風邪になり、しまいにはインフルエンザになってしまった。家族はチームなので、誰かの無理は見えない形で影響を周りに与え、知らず知らずのうちにストレスが広がっていたのかもしれない。
そうして見ると、自分の毎日の活動は、家族の健康に支えられているという当たり前のことを、思い知らされる気がする。
=午前は、自宅で病気の子供の面倒を見て終わる。午後も同じだ。
 この間に共同研究実験の準備を少しするが、家族の世話を優先している。
>今日はこれまで準備してきた成果を試す実験当日。事故の無い様にしたい。

「何を考えるか」ではなく「何をするか」

2006年03月26日 05時28分17秒 | Weblog
考えることは大切です。でも、考えだけで何かが実現することはなくて、何かを実行しないと始まりません。たとえ哲学を考えたとしても、著作や論文で発表しないことには、その考えは意味がありません。どうも今の世の中、頭でっかちで、または口でっかちで、つべこべ言うことが多いような気がしています。もちろんこんなブログを書く自分もですが。
自分は小学生の頃、担任から「お前は何かやるときに、手より口が先に出る」と注意されました。何か指示を受けて行動するとき、必ず質問したり文句言ったのだと思います。その担任は、生意気な小学生を戒める意味で、そう注意したのでしょう。いざ自分も先生になってみると、その意味が分かる気がします。
その行動の意味を考えることは重要です。当たり前です。でも、全ての行動の意味が、行動の前に理解できるとは思えません。つまり、修行は意味を考えてから行うのではなく、修行を終えると意味が分かってくるわけですよね。はじめから修行の意味が分かったのなら、修行なんてする必要ないわけです。
で、研究や勉強も、ある意味では修行なわけです。指導者(経験者)が、一方的に課題や作業を指示するわけですが、この意味を納得してから進もうと言うのは、はっきり言って無理だと思っています。まずは、つべこべ言わずにやってみることが大切です。やってみてから冷静に評価すれば良い訳です。僅かでも一歩でも良いから、動き出すことが大切です。
研究活動においては、勉強と違って教科書と言うレールが無いので、目的と手段の両方を自分らで設定しないといけません。この時、頭でっかちだと目的を達成するに十分な手段、つまりスキルが無いまま目的だけをあれこれ考えるので、結局落とし所がない「それやってどうするの?」的研究になってしまいます。実現できるスキルを持ってから目的を考えても良いと思っています。
またこの研究活動も、自分の想定する枠内で留まっていては、自己満足的研究で無意味だと思います。研究の本質的評価は「社会を変革する力」があるかどうかだと信じているので、常にその成果を社会に出し、社会の批判を受けなければなりません。自分が研究費獲得に拘る理由の1つが、この研究費の額が、社会がこの研究に期待する投資額だと思っているからです。脱線ですね。
また教育活動では、勉強している最中の学生にアンケート取っても、黒板が読みにくいとか声が小さいとか、表面的な情報しかえられなくて、作業の割りに無意味だと思います。その程度のことならヒアリングと授業公開で十分評価できると思います。やるなら、卒業して5年ぐらい経って、あの授業が意味があったのか評価して欲しいです。これまた脱線ですね。
世の中、職人が減って似非評論家が多すぎるような気がします。自分の技や仕事で評価されるのではなく、自分以外についてアダコダ言うことが多すぎるような気がしています。自分もです反省。テレビなんか殆ど見ないのですが、ワイドショーのコメンテーターとかも評論家気取りで思いつきを話すだけ、それ見てる視聴者も評論家気取りで評論家を評論したりしている。
このブログでは、極力、他人の評価はせずに、あくまで自分の分析評価を中心にしているつもりであるのですが、評論家的な発言が気になりだしてきました。反省です。今後は、もっと自分の記録や作業の日誌と言う面を忘れないようにしたいと思います。自分は、「似非評論家ではなく研究職人になりたい」のです。業績で評価される「良い仕事をする研究職人」になりたいのです。
と言うことで、このブログは来年度に向けて、活動記録つまり日誌としての意味を充実させて、自分の戯言は極力避けるように努力したいと思います。本来は研究職人はこんなブログを書く暇があったら仕事しないといけないのですが、自分の思いを共有してい欲しい研究室スタッフに向けて情報発信として位置づけます。