DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

研究日誌H180413

2006年04月13日 05時37分40秒 | 研究室情報
*今朝も早朝3時に起きたよ*
なぜか朝3時過ぎに目が覚めて、ブログを見たら色々とコメントを頂いた。この返事を書いていたら5時半になる。2時間もかけてコメントを書いているけど、このために早起きしたのかな?コメントが来たことを脳波で伝えているのかもしれません。
=早朝は、書類作成程度で終わってしまいました。
 早起きは良いけど、その分早寝なので、結局有効な時間かと言うと…
=午前は、午後の授業の資料作成、その後は何かと呼ばれ調整に駆けずり回る。
 組織の一員なので、当然の職務なのですが、もうちょっと余裕を持ってやりたいね。
=午後は、授業を1つ、最初だったので非常に緊張したけど、何とかこなした。
 授業は90分なのだが、緊張しているのか、あっという間に終わってしまう。
=夕方に会議があるので、それまで研究室で学生対応などをしている。
 卒研あとなので、研究室に活気があってとても良い雰囲気だ。願ったとおりになったね。
 今年のスタッフには大きな期待を持っているけど、新生DALABスタッフはきっと応えてくれるはずだ!
>今日は、兼業もあり資料収集もあり、それで最後に授業もあるので、営業モードなのです。今年度は前期が忙しすぎます。もう、何とかならないのでしょうか?これでは、共同研究をキチンとこなせるのか?本当に心配になります。

教育のレベルの設定

2006年04月13日 05時22分41秒 | Weblog
一応、本当の先生なのですが、教育には違和感を持ちながら活動しているので、お役に立てるかどうか…
経験をお話します。とある科目を12年間担当しています。ここでの試験問題がすべて学内のウエブに公開してあるので、これを見ると自分がどう考えて授業を進めたかが分かります。授業の手法は色々あるのですが「最終的に何を習得して欲しいかのレベル」については、成績評価や試験問題に端的に現れると思っています。
この科目は、自分が学生の時に受けて、設計演習の内容なのに闇雲に暗記ばかりが必要で、非常に疑問に思っていました。この反動もあって、自分がこの科目を担当したら、絶対に暗記科目にしないと決心して、これまで進めてきました。つまり、持ち込みは何でも許可して、逆に持ち込んでも出来ない応用問題ばかりを出すことにしました。
初めて10年ぐらいは、授業では簡単な例題程度をやって、試験ではこれの応用問題を出します。毎回の試験で書き下ろしオリジナル問題ばかりで、作る方は本当に大変でした。これなら出来ないだろうと挑戦的な問題を出すと、優秀な学生は意地になって回答を出してきました。とても教育的に効果の高い試験になっていたと思います。高いレベルを設定して、それに向かって学生が努力する訳です。
この時のクラスの習得の度合いは、こちらの感触では、3割がほぼ習得する、4割がまあ習得する、3割が何とかついてくる、という感じで、まあ均衡が取れていました。毎年10人弱が不合格になると言う状況です。まあ、このときは教育の質を問われることもなく、良くある大学風のある意味牧歌的な授業風景があったわけです。
しかし、10年過ぎたぐらいから状況が変わってきて、習得状況がなだれ式に悪くなってきて、3:4:3が、1:5:4ぐらいになってきたのです。つまり、入学してきた学生さんの能力が変化してきて、トップの能力は変わらないのですが、平均値は大きく下がってきていると思います。習得状況の割合を見ても分かるとおりです。正直困りました。
また学生さんの意識も変わってきて、教えてもらったことはやれるけど、それ以上に求めても対応できなくなったようです。手抜きやふざけではなくて、本当に変化していると思います。小中学校の教育が変わったのか、社会が安定して上昇志向が弱くなったのか、よく分かりません。ただ、現象として高等教育のレベル低下は現実問題です。
それからは、授業内容をどんどん変えてきています。当初講義していた内容の6割ぐらいに厳選しました。問題も過去問から出すようにしてきています。前提となる基礎知識も要求していません。もし、当初のレベルのまま授業を進めたら、現在だと多分8割が不合格になるでしょう。それでは、今の社会が要求する教育が成り立ちません。
このごろでは、予想問題を提示して補習をして、それで何とか合格者を増やしています。学校の雰囲気としては、教育プログラムをキチンと整備して、教育レベルを適切に設定して、現在の学生が普通に努力すれば全員習得できる教育が求められています。しかしここで欠けているのが、教育を修行としてではなく単なるサービスとしてしまい、これの受容者になった学生には修行を求めていないことだと思います。
教育の質を問われることが多くなり、これまでの無責任な高等教育への批判があり、多くは適切な批判だと思います。自分の学生の頃は、いい加減で役に立たない講義が多かったですから。しかし、その反動なのか、教員側に大きな負担を求めるだけで、サービス施設となった学校は、本来の学校の意義を失っているような……