DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

瀬戸内国際芸術祭2010に参加しました

2010年10月15日 18時52分47秒 | 感動したー!
本当は人混みが大の苦手なのだが、家内の念願でもあり瀬戸内国際芸術祭2010に参加してきました。本当に良かったです。そもそも小豆島の雰囲気も良いのですが、芸術作品も体験型で来てよかったです。残念なのは、直島へは船の都合がつかず諦めました。
あと16日だそうで相当混んできていると思いますが、まだの人はお勧めです。どうも毎年あるわけではなさそうなので、今回の機会を逃すのはもったいないです。少しだけは恒常の施設もあるようなのですが、全てが見られるのはあと2週間ほどです。

「博士の愛した数式」感動その4

2006年07月17日 08時03分12秒 | 感動したー!
待ちに待った「博士の愛した数式」の DVD が発売になりました。予約しておいて、入手で手間取ったのですが、やっと手に入りました。柴田は、基本的に映画は見に行きません。本当に見たいものは、DVD を購入して、ライブラリにしてから見るようにしています。と言うのも、大事な映画は蔵書と同じで、将来また見たくなると思うからです。1度見て終わりな映画は、そもそも1度も見ません。
で、博士の愛した数式ですが、原作を読んで、サントラ聞いて、イメージを大きく膨らませて、自分があたかも映画監督になったように、頭の中に映像を作っていたのですが、正直な感想は、「自分なら、ああは、作らないな」でした。
まず、小説では「いわずもがな」の部分が多くあって、読み終わったあと、色々な思いが膨らんでくるのですが、映画では、バリバリ説明しているし、そもそもルートが先生になって授業までしている。どうして、こうも説明するのでしょうか?言わなくたって分かるだろうし、分からない人には言っても分かりません。なにか、この作品が俗っぽくなっているようで残念です。
次に、エピソードを削っていますが、小説では、色々な出来事の積み重ねが、クライマックスへ向けて進んでいくのに、映画では主人公の博士の最後をまったく描いていません。小説では、博士の後半生をきちんと描いているのに、なぜ省略したのでしょう?博士の記憶の時間が、段々短くなって、人生の残りがわずかなことを感じるのに、なぜでしょう?
1つの原作から、色々な表現があると思いますが、柴田にとっては、残念ですね。

「愛と死を見つめて」感動その3

2006年03月18日 23時02分05秒 | 感動したー!
柴田は、単純でおセンチなので、純愛ものにはめっぽう弱い。で、日本の純愛もの最高傑作と言われる「愛と死を見つめて」のテレビリメーク第1部の前半だけ見た。もうこれでノックアウトと言う感じである。家族で見ていたのだが、あまりに目がウルウルになったので、耐え切れなくなって部屋を出てきた。もう十分と言う感じである。
柴田は幸運にも、何不自由なく生きているし、十分な幸せを感じている。しかし、いつ神様の悪戯か、死に直面することになるかもしれない。多分、高度な肥満による合併症が柴田の命を断ち切ることになると思うが、これは怠惰な生活による、ある種自業自得である。でも、彼女の病気は生まれ持ったもので、彼女自身になんらの落ち度はない。
こう言う、自分には全く落ち度が無いことで、深く深くつらい状況に陥れられることに対しては、人々はどうやって納得するのだろうか?本当のことは、その立場になって見なければ、分からないのだろう。人間は長く生きても100年少しで、多少の長い短いはあるものの、いずれは死んでゆく。どう生きるかは、どう死ぬかよりも大事だ。
研究室では、20歳の学生さんと一緒に活動してゆく。その年の差はほぼ20年で、柴田は40歳と言うことだ。寿命を全うすれば、80歳まで生きられるとして、あと40年間の人生と言うことになる。その間に40回の正月を向かえ40回の誕生日を経て年を取っていく。計算するとあと2000回の週末を迎えると、多分柴田はこの世に生きていないだろう。楽しい週末は、残りたった2000回しかない。
研究室を構えて学生さんと活動するようになって、27歳から今年で12年目になる。定年が65歳だとすると、38年間研究活動することになる。平均すると年度に5人ぐらいのスタッフであって、約190人の卒業生を送り出すことになる計算だ。一生かかって指導できる学生さんがたった190人しかいないということ。であればこそ、一人一人ともう少し時間を掛けて、丁寧に接していかないといけないね。
様々な役目を背負って生きているので、いくら研究命と思っていても、正直、適当に流してしまうこともある。自分の力を信じられないことも多い。決して逃げるわけではないのだが、限界を感じることもある。それでもそれでも、前に進むことだけを考えていけば、未来は開けるはずだと信じて活動するのみだね。世の中で本当に信じられるのは「自分」しかない。これが結論なんだろうな。きっと。

「Everlasting最高!」感動その2

2006年02月19日 06時36分08秒 | 感動したー!
BoAファンの柴田なのですが、どちらかというとバラード好きなので、Everlastingは傑作だと感動しています。この卒業式シーズンにピッタリです。是非是非!!
柴田の解釈では、学生時代に知り合った彼と彼女が、冬の雪景色のなかで春の別れを徐々に気づき始める。残された時間を大切にして、お互いの思い出を大切に記憶に留めようとするが、別れの日が刻一刻と近づいてくる。
最後の別れの日、ホームに電車を待つ彼、それを見送る彼女、彼の気持ちを歌った歌詞からは、「どんなに遠く離れても、つないだ手と手、忘れはしない」という忘れ難い想いと、一方彼女の方は「無理矢理にでも忘れなきゃ 次の自分に行けないの」という新しい未来に向かう決意、この2つが混じった複雑な気持ちの中での別れ…
しかし、最後には「恥じないように強くなるから、約束するよ、夢は叶える」と決意し、彼女から遠ざかってゆく。最後の笑顔を彼女に送り、大切な思い出を気持ちの奥にしまった後、これまでの大切な時間を永遠の結晶にして、新しい未来に踏み出してゆく。
そんな情景が目に浮かびました。皆さんはどうでしょうか?
んーーーーーん、良いね。そう言うのって良いね。そうでなかったにしても、そうでありたい。気持ちだけでも、そうでありたり。こういう気持ちになれたら幸せだよね。こういう歯の浮いた話を敬遠される方もいますが、所詮、人間は人間としか分かり合えないし、人間には男と女しかいないのですから、こういう感情が本質で根本で根源だと思っています。ですので、若い方々は、こういう感動をたくさんたくさんしてほしいと思っています。
博士の愛した数式にも出てきましたが、「永遠の真実は目には見えない、心の中にある」のです。ですので、学校で学ぶことは、決して卒業証書を得るための作業ではなく、許容曲げ応力度の計算方法の理解ではなく、偶然、同じ時間と場所を共有することになった仲間(同級生や先輩や先生)と、どういう思いを共有してゆくかが本当に大事なのです。目に見えることぐらい、後から何とでもなります。すべてがハッピーとは言えないでしょうが、いろいろな思いを共有してゆく、そこで共感できたときの気持ちを大切にしてほしいと思っています。
そう思うと、プロジェクトXでは、画期的な製品開発が目的で、その裏話が副産物に思えますが、実は逆ですね。本当は、絶体絶命のピンチに追いこまれた仲間が、協力しながらこの課題を乗り越えてゆく目に見えないことが本質で、副産物として目に見える製品が生まれたように思えます。研究室もそうだと思います。研究成果や研究論文はあくまで副産物で、本当に大事なのは、仲間とどんな思いで努力したかですよね。思い出作りというと、ヤワな言い方ですが、本当は壮絶(そしてちっぽけな)なドラマのなかで研究活動が展開されてゆくわけです。
この春に卒業する皆さんへ…
そして新しく仲間になる皆さんへ…

「パパへのレッスン」感動その1

2006年01月27日 08時02分06秒 | 感動したー!
新しいカテゴリーで「感動したー!」シリーズをはじめようと思います。ここでは、柴田が生まれてきて、見たり聞いたり体験したりして、とにかく感動したものを記録に残しておこうと思うのです。
その1として「パパへのレッスン」を紹介します。これは、柴田が学生の頃にやっていたドラマで、非常にマイナーな存在だったので、誰に聞いても覚えていない幻のドラマです。でも、柴田には非常に印象に残って、最高傑作ではないかと思っています。
話の筋は、二十歳ぐらいの若い夫婦の物語で、安アパートが舞台です。駆け落ち同然で結婚した二人は、貧しいながらも楽しい生活をしていました。彼は若い頃からバンドをやっていて、いずれデビューしたいと練習をしながら、ライブホールでアルバイトをしていました。彼女は音楽に打ち込む彼が好きで、彼を支えるために色々な仕事で家計を守っています。
二人は愛し合っていたので、当然の結果として、彼女がおめでたになりました。妊娠した結果、彼女はこれまでのように働けなくなり、彼女の収入で成り立っていた家計は火の車になってしまいます。そこで、彼は考えました。子供が出来て自分がパパになる、家を守るからには収入を得なければならない、音楽の道を諦めようと思いました。
実家に助けを求めれば何とかなるかもしれないのですが、勘当されて出てきた以上、頼るわけにもゆきません。実は彼の両親は教師をしており、学校では優秀な先生でしたが、家庭では自分の子供に構う余裕が無かったのです。これに反発した彼は両親は自分の存在を無視していると思い、相手にしてもらえないと思っていたのです。ですので、妊娠については秘密にしていました。
彼は定職を見つけるために、彼女に内緒で就職面接を受けるのですが、何も手に職が無い彼にはなかなか見つかりません。音楽を諦めた悔しさ、定職にも就けないあせり、これらが彼を苛立たせ、彼女に八つ当たりすることもありました。彼が音楽を諦めたことを知ったとき、彼女は「音楽に打ち込む貴方を好きで信じてきたのよ」と言うのですが、生活の糧を得ることも大きな問題でした。
彼女が母子健康手帳を貰ったとき、今から生まれようとする子供に対する思いを考えると、彼の両親にも妊娠して孫が出来たことを伝えようとしました。しかし、彼はこれまでの自分に対する対応から、両親は自分のことを全く無視しているから、孫の存在も認めないだろうと諦めています。でも、彼女は、彼の母親だけには伝えようと思い、内緒で妊娠したことを伝えたのでした。
これまで、男として夫としてそれなりに頑張ってきた彼ですが、定職も決まらないのに、子供が出来て家庭を守る父(パパ)になることは、とても不安でした。彼女は励まそうとするとのですが、彼はこう言うのです。「女は妊娠出産でママになる。でも男は自分でパパになろうと努力しないとなれないんだ!」彼女は、彼の子供に対する真剣な思いに胸を打たれたのでした。
そんな時、彼の実家から大きな荷物が届きました。中には、彼の母親つまりおばあちゃんからのプレゼントで、赤ちゃんに着せる服などが入っていましたが、その中に彼の母子手帳が入っていたのでした。そこには、彼の父親の几帳面な小さな文字で書かれた、生まれ来るわが子に対する期待と熱い思いが記されていたのです。
これを読んで、彼は自分の父親が自分に対して、どれだけ大きな思いを持っていたのかを知るのでした。様々なわだかまりがあるものの、これから生まれ来る子供におじいちゃんの存在を認めてあげること、自分の父親を許すことで、自分も父親になれるのではないか、そう思った彼は、父親に連絡を取るのでした。
柴田が記すと、ちっとも感動が伝わらないのですが、本当のドラマはとてもとても感動するものでした。今思い出しても、目がウルウルになります。涙で文字が見えなくなったので、この辺でおしまいにします。
なお、上記のドラマの情報は、JTドラマBOX「泣きたいよるもある」情報 を参考にしてください。