DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

共同研究を獲得する方法、再び

2005年09月30日 06時23分13秒 | Weblog
明日から岐阜ものづくりテクノフェアである。この種の展示会は、それなりに準備しても、興味本位の見物客ばかりで、殆どが無関心で通り過ぎ、稀に話し込んで名刺交換をしても、その後連絡を受けることはまずない。なので、時間を費やす割には、実は得るものは少ない。そのためか、積極的に参加しようとする人は珍しい。しかし、この機会も見方を変えると、色々充実したものになる。柴田はちょうど1年前にこの展示会に参加してから、共同研究獲得を目指してがむしゃらに営業活動して、この1年で5件獲得した。後1つ詰めているので、これが来ると6件で、研究費も大台に乗ることになる。ポイントは、展示会では「千三つ」と思って、殆ど無駄な会話と時間を費やしているのだが、この中で1つでも有効な縁が作ろうと努力することである。
さて1年前の展示会では、訳も分からず参加して、ボーっとしているだけであった。まともな情報交換も出来ず、ウロウロしていたが、ちょうど正面のブースに、とある銀行が出展していた。暇なので、ダメもとでパンフレットを渡して、名刺交換しておいた。ここまでは誰でもやることだね。で、ここが肝心だのだが、
   大事だと思ったお客には、こちらから売り込みをかけないといけない
営業の鉄則だね。で、とにかく縁をつなげておくことが大事である。名刺交換までこぎ着けたら、相手は連絡しても良いと言う事だから、これぞと思うお客を決めて、狙いを定めることになる。向こうからの連絡を待っていたのでは、多くの機会を失うことになるので、こちらか連絡し、
   もう一度会って具体的な情報交換をする約束を取らないといけない
柴田の場合には、その後、数ヵ月たって、こちらに訪問して話を聞いてくれることになった。他の展示会でも、数人はこれぞと言うお客が来るはずだから、これを逃さず積極的に連絡を取ることが必要だろう。そこで、訪問してくるからには、何か向こうも期待してるだろうから、
   誠心誠意もてなして、こちらの意気込みを伝えなければならない。
鉄則は、手ぶらで面談に出るのは論外で、A4用紙1枚ぐらいに簡潔にまとめた資料を必ず用意して、向こうの便宜を図る必要がある。また、会議場のエアコンを入れておくとか、せめてお茶ぐらいは出すとか、こちらの気持ちを伝えることが大切だと思う。共同研究では、色々な面に期待して話を持ってくるが、
   名前に期待する:旧帝大の大先生でないと無理
   能力に期待する:めちゃ切れる頭かずば抜けたアイデアがないと無理
   人柄に期待する:頼めば何とか落としどころを見つけてあげることが大切
と考えると、柴田は最後の人柄しかないので、相手の信頼を得るまで、とにかく直向きに取り組んで、何とか共同研究をしたい!という思いを伝えることに専念する。このときのポイントは、
   自分の専門を限定せず、相手の相談にある程度は対応する
こちらの得意が生かせれば、申し分ないが、あくまでお金を出すのは向こうなので、お客様の求めるものを出せるように、多少の無理は承知で、とにかく信頼を得るようにする。このところが、柴田は打って出ることは吝かではないと思うが、躊躇される人も多いと思う。ここのところが、無理をしても共同研究にかける山師的研究者と、堅実に自分の専門領域で仕事をする公務員的研究者の違いになると思う。
そんなことを1年も繰り返していると、意外と道は簡単に開けてきて、それなりの営業成績を得ることが出来る。深く希望しているところに運命は微笑むようである。それで、この銀行系の話は、6件中3つであって、建築系のテーマになっている。
一方、情報系のテーマは3つとも柴田の売り込みで、研究会の懇親会で連携を決めた話や、良くパソコンを購入するディーラーに提案したりとか、とにかく打って出ることを基本にした行動の結果だと思う。
まあ、後はこれらの期待に答える研究成果を出すことであるが、こればかりは柴田だけの力ではなく、研究室DALABとしての総合力に期待するところが大きい。学生スタッフの皆、頑張ろうね。

研究日誌H170929

2005年09月29日 22時06分32秒 | 研究室情報
=今日は、午前中に兼業の授業を2コマやって、急いで学校へ!
 学校では、忘れていた書類を提出して、学生に色々研究指示を出した。
 その後、車に展示会用の資材を積み込んで、会場へ急ぐ。
 明日から3日間、岐阜ものづくりテクノフェア出展である。
 今年はこの手の展示会に、3回も出展した。もう、いい加減、飽きてきた。
 しかし、ここで得た縁で、色々いい事もあるし、まあ、頑張ってみるかな。
=段々、柴田の焦りが通じたのか、学生の積極的に作業を進めている。
 これで成果が目に見えてくると、もっと意識的に研究が出来るようになるだろう。
 しかし、疲れた。

研究日誌H170928

2005年09月29日 05時34分20秒 | 研究室情報
=授業やら会議やらで、丸1日時間が取られてしまい。研究どころではない。
 その中でも、学生との対話を続け、何とか1つの方向に集約してゆきそうだ。
 悲観的な状況だったが、相手も人間、話し合えば、何とか分かり合えるはずだ。
=このごろ口で研究をするようになってきて、これが一番の問題ではないか?
 営業活動は重要で、これがなければ始まらない。しかし、中身がないとダメだ。
 自分の力の限界を見極めるためにも、現状の共同研究を、全て成功させよう!

勝負できない学生

2005年09月28日 22時04分05秒 | Weblog
今の学生らを見ていると思うのは、異様に「勝負できない」ことである。何か1つの目的を持って、努力を続けて、勝負を賭けるということを、殆どしない又は極端に避けるように見える。何事も、適当に流して、最悪の結果は避けようとするが、最善を尽くそうとは思わない、そんな印象を強く受ける。もちろん例外もあって、一見果敢なチャレンジャーも見受けられるが、全体から見れば少数派であろう。総論的に見れば、勝負をしない学生は年々増えてきていると思うし、実は、学生が成長してゆく大人でも同じような傾向が見られる。
自分のことを棚にあげていると思われるかもしれないが、柴田は実はこれでいてデカイ野望を持って、イチかバチかに賭ける挑戦者(勝負師)的なところが多分にあると思っている。一方、柴田の周りの学生を見ていると、最低限の努力で最大の効果を得ようとする効率化は異様に意識するし、自分の周りの小さい世界での相対的な勝負にはこだわるのに、世間を相手にする絶対的な勝負には立ち向かう勇気がないように見える。
これらの傾向は、個人的な資質の問題が支配的ではあるが、幼いころからの教育の影響も多分にあると思う。もともと日本人は恥を極度に恐れる民族であって、挑戦して失敗するよりも問題を避けて無難にやり過ごそうとすることが多い。これが日本の社会の根底にあるから、教育現場でもこの影響から無縁ではいられない。手を挙げて間違えて答えてしまい、恥をさらす事は最も避けたいことなのだろう。さらに、勝負を避ける原因としては、日本全体が総中流化してしまい、努力によってどん底から這い上がる必要もないし、勝負に打って出て頂点を極めようとする意思もないことがある。
程々に幸せで、程々に努力して、程々の人生を送ろうとする傾向が、社会全体を支配している。これが安定した社会の状況なのかもしれないが、一方で、グローバリゼーションという名のアメリカ化が世界全体で進む中で、大競争時代も日本の外から覆いかぶさろうとしている。変化し続けること勝負し続けること、これらこそが継続的安定を生むのであって、多様な変化を続ける状況において、変化しないことは停滞と敗退を招く結果しか生まない。これらのことを理解してくれていれば良いが、学生らがこのまま社会に出たら、これら先を見越した連中に食い物にされるだけだと思わないのだろうか?リスクが少ない学生時代こそが、勝負に打って出る訓練が出来るし、勝負の勘所つまりは引き際や落とし所を身を持って学び、自分の真価が分かろうというものなのだが。山師になれとは言わないが、変化を臨機応変に受け入れ、挑戦者として社会に出て行って欲しいと思う。
そう言う思いで、柴田はDALABを運営しているつもりなのだが………

ニート対策について

2005年09月28日 05時38分05秒 | Weblog
世の中では、ニート対策が問題らしい。若者は国の大切な労働力なのだから、これを何とか生かすように、指導や機会を作る政策が行われるようだ。しかし、新聞にも書いてあったが、これには大きな無理があると思う。そもそも社会の本質が、ニートを生み許容しているので、一部の努力で改善できるはずがない。
まず、これだけ社会が成熟してくると、殆どの国民が程ほどに裕福になっているから、たとえ自分の子供が働かなくても、親の甲斐性で食わせる事が出来てしまう。貧しい昔の日本では、食ってゆけずに幼い子供まで丁稚に出していたと思うと、この状態はある面で幸せである。何だかんだ言っても、日本は平和で豊かな国になったのである。まあ、これが続いたのでボケが来ているのも事実だが。極論を言えば、税金が今の10倍になって、親が自分が生きていくのにギリギリになれば、ニートなんて存在し得ない。自分のことは自分でしろと子供を投げ出すだろう。
また一方で、競争社会と言いながらこれだけ成長してしまった以上、実は日本は根本的には競争なんてしていない。皆、ぬるま湯的な環境を求め、これを作り上げて、みなヌクヌクしている。ニート予備軍である今の学生を見ていると、殆ど必死な競争をしていない。何とか学校に入ってしまえば、適当にやって卒業できるし、適当な就職をすれば、適当に金が貰えて生きていける。まあ所詮、適当な人生しか送れないわけだが。
つまり、社会が成熟すると言うことは、人々が努力しなくても生きてゆけるという、社会的な豊かさ(甘えの環境)を得たことになる。人間は怠惰だから、このような状況を作り上げた以上、これを壊すことはしないし、再度努力なんてしないだろう。たとえ小手先の目標設定をしたところで、本質は変わらない。後は、衰退の一途を辿るのが本質だろう。物理法則でもあるエントロピーの法則に反することは出来ないのである。
しかししかし、このエントロピーの法則に抵抗できる唯一の存在として、生物の営みがあったはずである。もはや、生物の集合体である社会そのものには、自己改善能力を期待するのは間違っていて、物理的存在としてのエントロピーの拡大しか未来はない。個々の人間が、これまで以上に良く生きようと思う気持ちが、この混沌の中から新しい秩序を作り上げてゆく可能性を持っている。要は、その人自身のマインド(志)が全てである。これがあれば何でも出来るし、これがなければ何も出来ない。単純な話である。

研究日誌H170927

2005年09月28日 04時59分32秒 | 研究室情報
=クラブの会議があって、午前中しか研究室に居られない。
 これでは学生との対話も十分出来ないので、研究室としての機能が損なわれている
 少しずつでも学生の力を高めて、その力を大きく結集できる研究室にしたい
=共同研究の契約の件で、色々と取り乱したりしたが、事務的な手違いだそうだ
 人間は誤った情報を得ると、簡単に思い違いをしてします。禁物。
 冷静に相手を信頼できる関係を気づいてゆくことが大切だと、つくづく思った。
=こうして見てみると、具体的な研究活動なんて、全然していないことが分かる
 これでは、論文もかけないわけだ。

研究日誌H170926

2005年09月27日 07時15分30秒 | 研究室情報
=研究室に歪が生じてきているようだ、無理な共同研究なのかもしれない。
 しかし現状の研究活動は、年々低下の一途を辿っていて、昔の活況はどこに…
 研究室の活性度で言うと、研究のレベルと反比例しているのが、虚しい。
 もはや高専で研究を進めるのは、間違ったことのようにも思えてくる。どうして?
=学生との対話の中で、何とか明日への活動を進めてゆきたいと切望している。
 昔は昔で今は今、そうだとすれば、柴田の思いは単なるノスタルジーなの?
 そもそも柴田は間違ったことをしているの?もう高専は終わったの????
 多分ね。

因縁について

2005年09月26日 02時30分53秒 | Weblog
車上荒しの犯人への因縁について、ここでは解説します。この因縁という言葉は、迷信や非科学的なことのように思われるかもしれません。しかし、柴田は決してそうは思わなくて、非常に合理的なことのよう思えます。また、宗教的な脅し文句で使われたりするので、あまり明るい言葉ではありませんが、ある種の真実を伝えていると言えます。
この因縁という言葉は、柴田の母親が良く口にしていて、ニュースを見たりうわさ話をしたり何かあるたびに、「これは因縁だよ」と言っていました。子供のころは、あまり意味が分からなかったのですが、40才を目前にして、納得できるようになって来ました。調べてみると、仏教の基本的な言葉で、「物事は単独で成り立つことはなく全て原因があって結果がある」と言うようなことです。特に、「親がいてこそ子が生まれる」と言う意味で、さらには「親の行いが子の成長に影響する」場合に使われることが多いようです。
そこで、子供を育てると始めて分かるのですが、子供は親の鏡と言い、こちらの言動の影響を非常に強く受けて育ってゆきます。ですので、最善の育児をすれば最善の成長があると思うのです。しかし、親も人間で神様ではないので、八つ当たりしたり、悪い面や弱い面を見せてしまうことになります。基本的には子供のためにと思っている親ですが、様々な面で見せる無意識の振る舞いが子供の成長に大きく影響してしまうことがあります。これが柴田の思う「因縁」なのです。つまり、幼児虐待を行う親は、自分が子供のころに幼児虐待を受けていたことが多いと聞きます。ここでは、幼児虐待の連鎖が、親から子へ繋がってゆくのです。身近な例では、飲酒や喫煙の習慣も、家庭環境の習慣から引継がれてゆくことが多いと思います。柴田の実家では、飲酒も喫煙も縁がなかったので、柴田は未だに全くこれらとは縁がないですから。
人間は、本来怠惰な生き物なので、放っておくと堕落の傾向が強まり、さらに親から子への連鎖から、悪い影響が拡大して引き継がれていく可能性が高いと思っています。それで、車上荒しの犯人について言うと、このような犯罪に手を染める人は、どこか社会通念上で許容できない思考があるわけです。数多の人間から成り立つこの社会の中で、極々一部の人々が犯罪者になるのですが、多くの場合、その思考や行動は遺伝ではなく些細な生活習慣として、無意識の行動の中から親から子に伝わるのではないかと思うのです。
もちろん、柴田は性善説にたっているので、生まれたばかりの子供は完全に正しい存在だと思いますし、親と子は完全に別個の存在だとは思います。また、このような単純な連鎖が起こらないように、異なる属性を持つ男女が夫婦になり、さらに多数の他者から影響を受ける社会において様々な軌道修正を受け、多様な成長を遂げるので、それほど単純ではありません。しかし、子供の成長期に最も影響を与えるのは親であることは確かであって、その無意識の連鎖が「因縁」になると思うのです。
良く生きようと思う親からは、良く生きなければという無意識の連鎖を受けて、良く生きようという子が育ってゆくと思います。しかし、残念ながら逆もあるわけです。こんな台詞聞いたことがありませんか「親の因果が子に報い……」

研究日誌H170925

2005年09月26日 00時22分42秒 | 研究室情報
=今日も休日で家庭の事情で時間を費やしている。しようがないが、んーーん。
 試験の採点ぐらいしか進んでいないが、少し計画的に進めないとマズイ!
=ブログは日誌と記事を書いているが、研究の内容は少ない。んーーん。
 ブログのアクセス状況では休日はガタ落ちになることが分かった。
 と言うことは、学校や職場で見ていることになる。そうですか?皆さん!

研究日誌H170924

2005年09月25日 06時37分57秒 | 研究室情報
=今日も家庭の事情で殆どの時間がつぶれてしまった。
 唯一やったことは、試験に採点の準備ぐらいである
 これではダメだわと、鬱的な感情を持つ時間が続く
=ただ夕方、公園のベンチで寝転んでいたら、来年度のプロジェクトテーマを思いついた。
 意外と、何か他の用事で時間を使っているとき、ふと思いつくことは多い
 しかし、これが意外と良いことが多く、潜在意識からひらめきってことかな
=全体的に柴田の調子を見てみると、躁鬱の波は
 休日が時間だけが慌しく過ぎる状態で、欝的な気持ちになり、
 平日が取りあえず仕事に追われているので、躁的な気持ちが続いている。