BoAファンの柴田なのですが、どちらかというとバラード好きなので、Everlastingは傑作だと感動しています。この卒業式シーズンにピッタリです。是非是非!!
柴田の解釈では、学生時代に知り合った彼と彼女が、冬の雪景色のなかで春の別れを徐々に気づき始める。残された時間を大切にして、お互いの思い出を大切に記憶に留めようとするが、別れの日が刻一刻と近づいてくる。
最後の別れの日、ホームに電車を待つ彼、それを見送る彼女、彼の気持ちを歌った歌詞からは、「どんなに遠く離れても、つないだ手と手、忘れはしない」という忘れ難い想いと、一方彼女の方は「無理矢理にでも忘れなきゃ 次の自分に行けないの」という新しい未来に向かう決意、この2つが混じった複雑な気持ちの中での別れ…
しかし、最後には「恥じないように強くなるから、約束するよ、夢は叶える」と決意し、彼女から遠ざかってゆく。最後の笑顔を彼女に送り、大切な思い出を気持ちの奥にしまった後、これまでの大切な時間を永遠の結晶にして、新しい未来に踏み出してゆく。
そんな情景が目に浮かびました。皆さんはどうでしょうか?
んーーーーーん、良いね。そう言うのって良いね。そうでなかったにしても、そうでありたい。気持ちだけでも、そうでありたり。こういう気持ちになれたら幸せだよね。こういう歯の浮いた話を敬遠される方もいますが、所詮、人間は人間としか分かり合えないし、人間には男と女しかいないのですから、こういう感情が本質で根本で根源だと思っています。ですので、若い方々は、こういう感動をたくさんたくさんしてほしいと思っています。
博士の愛した数式にも出てきましたが、「永遠の真実は目には見えない、心の中にある」のです。ですので、学校で学ぶことは、決して卒業証書を得るための作業ではなく、許容曲げ応力度の計算方法の理解ではなく、偶然、同じ時間と場所を共有することになった仲間(同級生や先輩や先生)と、どういう思いを共有してゆくかが本当に大事なのです。目に見えることぐらい、後から何とでもなります。すべてがハッピーとは言えないでしょうが、いろいろな思いを共有してゆく、そこで共感できたときの気持ちを大切にしてほしいと思っています。
そう思うと、プロジェクトXでは、画期的な製品開発が目的で、その裏話が副産物に思えますが、実は逆ですね。本当は、絶体絶命のピンチに追いこまれた仲間が、協力しながらこの課題を乗り越えてゆく目に見えないことが本質で、副産物として目に見える製品が生まれたように思えます。研究室もそうだと思います。研究成果や研究論文はあくまで副産物で、本当に大事なのは、仲間とどんな思いで努力したかですよね。思い出作りというと、ヤワな言い方ですが、本当は壮絶(そしてちっぽけな)なドラマのなかで研究活動が展開されてゆくわけです。
この春に卒業する皆さんへ…
そして新しく仲間になる皆さんへ…
柴田の解釈では、学生時代に知り合った彼と彼女が、冬の雪景色のなかで春の別れを徐々に気づき始める。残された時間を大切にして、お互いの思い出を大切に記憶に留めようとするが、別れの日が刻一刻と近づいてくる。
最後の別れの日、ホームに電車を待つ彼、それを見送る彼女、彼の気持ちを歌った歌詞からは、「どんなに遠く離れても、つないだ手と手、忘れはしない」という忘れ難い想いと、一方彼女の方は「無理矢理にでも忘れなきゃ 次の自分に行けないの」という新しい未来に向かう決意、この2つが混じった複雑な気持ちの中での別れ…
しかし、最後には「恥じないように強くなるから、約束するよ、夢は叶える」と決意し、彼女から遠ざかってゆく。最後の笑顔を彼女に送り、大切な思い出を気持ちの奥にしまった後、これまでの大切な時間を永遠の結晶にして、新しい未来に踏み出してゆく。
そんな情景が目に浮かびました。皆さんはどうでしょうか?
んーーーーーん、良いね。そう言うのって良いね。そうでなかったにしても、そうでありたい。気持ちだけでも、そうでありたり。こういう気持ちになれたら幸せだよね。こういう歯の浮いた話を敬遠される方もいますが、所詮、人間は人間としか分かり合えないし、人間には男と女しかいないのですから、こういう感情が本質で根本で根源だと思っています。ですので、若い方々は、こういう感動をたくさんたくさんしてほしいと思っています。
博士の愛した数式にも出てきましたが、「永遠の真実は目には見えない、心の中にある」のです。ですので、学校で学ぶことは、決して卒業証書を得るための作業ではなく、許容曲げ応力度の計算方法の理解ではなく、偶然、同じ時間と場所を共有することになった仲間(同級生や先輩や先生)と、どういう思いを共有してゆくかが本当に大事なのです。目に見えることぐらい、後から何とでもなります。すべてがハッピーとは言えないでしょうが、いろいろな思いを共有してゆく、そこで共感できたときの気持ちを大切にしてほしいと思っています。
そう思うと、プロジェクトXでは、画期的な製品開発が目的で、その裏話が副産物に思えますが、実は逆ですね。本当は、絶体絶命のピンチに追いこまれた仲間が、協力しながらこの課題を乗り越えてゆく目に見えないことが本質で、副産物として目に見える製品が生まれたように思えます。研究室もそうだと思います。研究成果や研究論文はあくまで副産物で、本当に大事なのは、仲間とどんな思いで努力したかですよね。思い出作りというと、ヤワな言い方ですが、本当は壮絶(そしてちっぽけな)なドラマのなかで研究活動が展開されてゆくわけです。
この春に卒業する皆さんへ…
そして新しく仲間になる皆さんへ…