DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

時間というもの

2006年02月03日 05時00分39秒 | Weblog
この時間というもの、授業90分という日常的なものですが、これは人生の最も本質なものではないかと思っています。色々な、側面で感じたことをまとめます。
=生命の本質は有限性から
以前、「どんなに技術が発達しても、自動作曲プログラムからは、感動する曲は出来ないだろう」と聞きました。その理由は、プログラムには寿命が無いからだそうです。逆に、人間は100年足らずの寿命しか持っていません。この僅かな時間に、様々な思いを遂げるために、精一杯努力します。この高鳴る思いが、あふれ出てほとばしって作られたのが名曲なのだそうです。だから、寿命も無い感動も無いプログラムには、名曲の源がないんですね。
広くとらえれば、人間の個体としての寿命は100年足らずしかないです。なので、自分の遺伝子を伝える子供を愛おしく思うようになります。そこで、異性を意識し始めて、恋に落ちて、結婚し、やがて子供を授かります。子供や社会や歴史に対して、自分が生きていたと言う証を残したくて、人間は必死になるのではないかと思っています。この生命の本質の活動の中での副産物、それが芸術かもしれません。
=時間の感覚が成長の証
柴田の考えでは、時間の感覚によって、時間年齢が決まると思っています。
子供:人生の時間が無限にあるとも考えず、むやみやたらな行動をする。
大人:人生の時間が有限であると分かって、限られた時間を有効に行動する。
老人:人生の時間が僅かだと思い込んいて、残された時間を諦めている。
ですので、10歳でも自分の目標を定めて、限られた時間に全力を尽く子供たちは、時間年齢では大人です。逆に30歳になっても、人生が有限だと気づかずにふらふらしていたら、それは子供です。90歳になっても、はつらつとして目的を持って毎日を送っていたら、時間年齢では老人ではなく大人、青年ですね。いつまでも、大人で居たいものです。

研究日誌H180203

2006年02月03日 04時48分11秒 | 研究室情報
*時間は何よりの宝物だね*
このことが分かってて、人生が有限だと知っているのが大人だね。
何と、昨日は拘束されることが殆ど無く、とても楽しい1日でした。ハッピーー!
=午前は、思う存分計算機環境整備をした。これが精神安定上、最も効果があるね。
 やりながらも、事務方と実験の調整をしたり、書類を整えたりとごたごたした。
 午後は、同じ調子で作業を進めながら、夕方補習をして、すんなりと帰れた。
 時間の余裕が、気持ちの余裕につながっているね。
>今日は、打って変わって、本番多忙モードに近づきつつある。
 午前に、オンラインミーティング、と研究開発作業
 午後は、授業などなど、山盛りの予定です。