この時間というもの、授業90分という日常的なものですが、これは人生の最も本質なものではないかと思っています。色々な、側面で感じたことをまとめます。
=生命の本質は有限性から
以前、「どんなに技術が発達しても、自動作曲プログラムからは、感動する曲は出来ないだろう」と聞きました。その理由は、プログラムには寿命が無いからだそうです。逆に、人間は100年足らずの寿命しか持っていません。この僅かな時間に、様々な思いを遂げるために、精一杯努力します。この高鳴る思いが、あふれ出てほとばしって作られたのが名曲なのだそうです。だから、寿命も無い感動も無いプログラムには、名曲の源がないんですね。
広くとらえれば、人間の個体としての寿命は100年足らずしかないです。なので、自分の遺伝子を伝える子供を愛おしく思うようになります。そこで、異性を意識し始めて、恋に落ちて、結婚し、やがて子供を授かります。子供や社会や歴史に対して、自分が生きていたと言う証を残したくて、人間は必死になるのではないかと思っています。この生命の本質の活動の中での副産物、それが芸術かもしれません。
=時間の感覚が成長の証
柴田の考えでは、時間の感覚によって、時間年齢が決まると思っています。
子供:人生の時間が無限にあるとも考えず、むやみやたらな行動をする。
大人:人生の時間が有限であると分かって、限られた時間を有効に行動する。
老人:人生の時間が僅かだと思い込んいて、残された時間を諦めている。
ですので、10歳でも自分の目標を定めて、限られた時間に全力を尽く子供たちは、時間年齢では大人です。逆に30歳になっても、人生が有限だと気づかずにふらふらしていたら、それは子供です。90歳になっても、はつらつとして目的を持って毎日を送っていたら、時間年齢では老人ではなく大人、青年ですね。いつまでも、大人で居たいものです。
=生命の本質は有限性から
以前、「どんなに技術が発達しても、自動作曲プログラムからは、感動する曲は出来ないだろう」と聞きました。その理由は、プログラムには寿命が無いからだそうです。逆に、人間は100年足らずの寿命しか持っていません。この僅かな時間に、様々な思いを遂げるために、精一杯努力します。この高鳴る思いが、あふれ出てほとばしって作られたのが名曲なのだそうです。だから、寿命も無い感動も無いプログラムには、名曲の源がないんですね。
広くとらえれば、人間の個体としての寿命は100年足らずしかないです。なので、自分の遺伝子を伝える子供を愛おしく思うようになります。そこで、異性を意識し始めて、恋に落ちて、結婚し、やがて子供を授かります。子供や社会や歴史に対して、自分が生きていたと言う証を残したくて、人間は必死になるのではないかと思っています。この生命の本質の活動の中での副産物、それが芸術かもしれません。
=時間の感覚が成長の証
柴田の考えでは、時間の感覚によって、時間年齢が決まると思っています。
子供:人生の時間が無限にあるとも考えず、むやみやたらな行動をする。
大人:人生の時間が有限であると分かって、限られた時間を有効に行動する。
老人:人生の時間が僅かだと思い込んいて、残された時間を諦めている。
ですので、10歳でも自分の目標を定めて、限られた時間に全力を尽く子供たちは、時間年齢では大人です。逆に30歳になっても、人生が有限だと気づかずにふらふらしていたら、それは子供です。90歳になっても、はつらつとして目的を持って毎日を送っていたら、時間年齢では老人ではなく大人、青年ですね。いつまでも、大人で居たいものです。