だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

二つの林業(1)

2006-09-24 15:58:30 | Weblog

 名古屋大学生命農学研究科森林利用学講座の山田容三先生が主催されたセミナーに参加した。愛知県三河地方の林業の最前線を訪問する1泊2日のフィールドツアーだ。
 1日目は愛知県が主催する低コスト木材生産システ研修会に参加。新城市の山中で地元の森林組合が高性能林業機械と称される機械を使って、間伐、搬出、成形(造材)を行うようすを見学した。日本の山に40年~50年前に大量に植えられたスギは間伐期が過ぎようとしているものの、木材価格の低迷により十分な間伐が行われていない。以前は間伐材もさまざまな用途があり、市場に持って行けばオカネになったので間伐費用がでていた。今はそれが非常に厳しい。
 それで、伐採作業のコストをできるだけ下げて、安い木材価格のもとでも利益がでるようにしようとする努力がされている。それが作業の機械化による生産性の向上である。伐倒は従来どおりチェンソーによるが、倒した木にワイヤーをかけ林道まで引っ張り出すところにはスイングヤーダ、枝を落として決まった長さに丸太を切るのはプロセッサ、トラックの入るところまで丸太を運ぶのはフォーワーダ、という3台の機械を使う。いずれもキャタピラで林内を移動できる車両だ。木の切り方は搬出作業がやりやすいように一列に切っていく列状間伐である。愛知県はこの3台を1セットとして各地の森林組合に貸し出して生産性の向上=低コスト化を推進している。

 現場の説明では、およそ4ヶ月をかけて14haの間伐を行い、伐採してから市場まで運ぶ総コストが1100万円、市場での販売見込み額が1500万円ということで山主には400万円の利益がでることを想定した作業だという。作業をしている若い森林組合作業員は、機械を使うことの効果を、仕事が楽に安全になり雨の日にも作業ができるようになったと評価した。
 一見、よいことずくめのようだが、その後にセミナーの中で議論した結果では、ようは、うまくいくところ、すなわちもともと地形がなだらかだったり、市場まですぐ近くだったりというよい条件の場所で研修会が催されていて、どこでも同じやり方で利益がでるわけではない、ということのようだ。山が急峻なところではこのやり方でできる範囲はごく限られるという。
 また、私が違和感を感じ、悩ましく思ったのは、この方法がようは大量生産に共通する生産様式だということだった。現場では伐倒作業は立木1本あたり3分とか、造材は何分とか、分刻み、秒刻みの作業が要求されている。生産性の向上というのはすなわちこういうことであり、これは工場における流れ作業を確立したテイラー方式と同じ発想だ。ある意味では当然の努力なのであるが、作業が楽に安全になるのを通り越して、労働強化や仕事の間化をひきおこさないか。もう一つの違和感は材木がそのように大量に安く供給されることによって、社会全体の大量生産・大量廃棄のシステムを強化する方向に働いてしまう、ということだ。
 木材の利用が大量生産・大量廃棄のシステムに入ったので、日本の林業は衰退したとも言える。大規模な製材プレカット工場に材を供給するには品質の揃ったものをすばやくまとめて納品できなければならない。それが日本の林業にはできず、総合商社が大規模に調達してくる北米や北欧の材に負けてしまったのだ。先人が営々と山に木を植えてきたおかげで、日本の山には大量に材が蓄積されている。だから、日本でも作業や流通を合理化し、コストを下げて、安く大量に供給できる体制をつくることによって対抗する、というのは一つの方向である。

 しかし、大量生産・大量廃棄のシステムが今の社会を持続不可能性にしているのは明らかだ。安いから使い捨てられる。高くて良いものであれば大事にいつまでも使われる。
 また、樹木は生命である。研修会ではオカネと時間のことにばかり関心が集中していて材木を使うことは命をいただくことだという感覚は感じられなかった。そのような感覚は素人の感傷だ、と言われるかも知れない。でも最終的に材を購入する家を建てる人は素人である。一生に一度の買い物としての住宅はやはり木で、という人は多い。それは木のぬくもり感があるからであり、それは単なる材料ではなく、生命のもつ暖かさを感じるからだ。安らぎの場としての家は安らぎの感じられる素材を、と思う。
 山の現場で働く人も山が好きだからやっているのであり、当然生命としての森林に対する愛着や尊敬の念をもっている。それが、大量生産方式の生産性やコストというフィルターを通すと、その思いが断絶してしまうような気がするのはただの感傷だろうか。山の現場から家が建つところまで、樹木の生命としての尊厳が尊重され、それとともにそこに携わる人も誇りをもって仕事ができる利用の仕方はないのだろうか、と思う。


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4 コメント

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多様な林業 (高橋あきら)
2006-11-13 13:26:06
最近「山の親父のひとりごと1・2 東京の林業家と語る会編(みどりのブックレット」を読みました。東京奥多摩地域の昭和初期の林業技術を現場の匠から聞き書きしたものを集めたものです。
面白かったのは、奥三河では行われた事もなかった「リンギリ」という作業方法、都内の木材需要(電柱の原材料や需給のタイミングが早い建材)などをもとめるために、30年生ほどのスギを等高線上に倒し、木材棚を作り、皮むきをして棚の上で乾燥させる、軽くなったら、修羅・キンマで出材する。密植、間伐なし、30年伐期を前提に行われる、奥多摩の「林業」の形です。
今でこそ、行政主導の元、一律的な森林管理の「形(植林-下刈り-除伐-間伐-皆伐…)」が教科書的に正しいものとして全国に広められています。
しかし、それは昔からのものではなく、つい30年ほど前の日本では、奥多摩の例のように、また、源六郎氏の山作りのように、各地の状況の要請に対応した、色々な山作り・林業の形が形成されていたということです。
つまり、愛知県の森林一つを取っても、現状の森林の前提は多様(はじめが違うので)、それに対応し、さらに山主等の判断が介入して、森林の管理方向も多様なのが本来の姿です。

しかし、しかし、「森林の公益的機能の低下」という、現状・森林問題は各地域の歴史の流れに委ねる(経済行為・篤志家の意識等)には広すぎる(地域・ステイクホルダーの多様さ)問題が発生してきました。
そんなことがなければ、古橋さんにお任せで、森林ボランティアなんて本来必要のないものなのですが…。

そこで、「公」として、森林管理を継続する方法として、愛知県で行われているのは、
①環境林整備のために公的資金の導入
→しかし、成果が見えづらい、いつまでも資金投入が必要、資金使用者の志を腐らせる。
②他産業・他地域に競合できる「林業」を確立して森林整備を自立させる支援
→「工業化(近代化・効率化)」の推進、新しい生産ステージに移行するために、生産部門(林業事業体)・投資部門(山主)を生産ステージに乗ることを納得させなければならない。そのために、「わかりやすい・成果が提示しやすい・参加しやすい方法」を選択。しかし、従来の林業の多様性を排除する。
特に、②の方法の生産部門での対応として「低コスト木材生産システム」技術向上支援が森林組合を対象に行われています。
林業経営をあきらめた山主に「山は儲かる」という意識付けをおこない、森林整備にかかる投資を呼び起こす、森林の整備の前提となる森林整備計画策定に協力を求めやすくなるという流れを作ろうとしています。また、公的資金に収入を頼りきり、封建的な組織体制を続けてきた森林組合に、現在の「企業経営」の発想を植えつけるという視点もあります。

今の奥三河の林業は、「現代的な技術体制」と「従来の技術体制」が相克し、現状を変化せざる得ない現状が存在します。前者も後者もそれぞれプラス面とマイナス面を抱えています。
皆さんは、どう思われますか?
というのは、この問題は、林業をどうするのか?という問題とともに、現代に生きる人々が前提にしているもの(便利な生活はいい、効率的で利益の出す企業組織はいい、賃金は一定しないいつ解雇されるかわからない企業がわるい、田舎はいい、伝統はいい、スローライフはいい、わかりやすいのはいい、多様性はいい…)を逆に再考させるよい問題のように思われます。
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THANKS! (daizusensei)
2006-11-16 20:04:29
高橋さま>的確な解説と問題提起をありがとうございます。
私も悩んでいます。「現代的な技術体制」でいくならスギをラミナ材として加工して集成材にする、ロットをそろえて大規模木材コンビナートやプレカット工場に納入する、という線かと思います。でも輸入材に負けないぐらいロットをそろえる(量と品質)というのがそもそも奥三河では無理ではないかと。

とすればまちの人たちのライフスタイルのスロー化(今後確実にすすむと思います)にあわせて「従来の技術体制」を改良しながら、施主に山をみてもらうような家づくりをする、という線。これは実際に根羽村で行われている方向です。ただこれでは蓄積量をさばけませんので、状態の悪い人工林は放棄する(広葉樹林にもどす)ということを必然的に含むことになるのではと思います。

私は「現代派」だったのですが、古橋家の森と根羽村の取り組みをみて「従来派」に傾きつつあります。
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どう過ごすか (itou88)
2006-11-21 04:21:02
daizusennsei

100年の間、山でどう過ごすかが課題だと考えています。

古橋家でも100年以上の山になるまでは、保育、間伐で収益はあがっていなかったのではないかと想像します。

その間の費用は誰が負担したんでしょうか。たぶん当時の本業からでしょう。

私がいる県でも300年以上の人工林を所有している所有者はほぼ同じ構造です。

で、低コスト林業の取り組みは、間伐からでも少しは収益を上げて、森林の所有意欲や育林意欲を保ちましょうという活動ととらえています。

ですので、大規模工場や商社に山を買いあさられ、丸裸にされる前に、地域で持続可能性の高い仕組みを確立するための必要なことの一つと考えています。
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THANKS! (daizusensei)
2006-11-22 16:31:50
itou88さま>
おっしゃるとおりかと思います。
1)低コスト林業への努力を否定しているわけではありません。根羽村でも高性能林業機械を導入して列状間伐をはじめたからこそ、産直住宅への展望がでてきました。ただそれが産直住宅くらいの規模なのか、それとも大量生産方式の住宅用に木材コンビナートに木材を提供する規模なのか、ということです。
2)稲武では最初の50年くらいは無収入だったと思います。専用の田んぼをつくり、その米を作業のための駄賃としていました。大正に入ってからは択伐による収穫がでてきました。そこからは古橋家、古橋財団では収穫伐による収入で保育をしてきたと思います。
3)多様な林齢の林があるとそういうサイクルが可能ですが、この前の拡大造林期にはじめてスギやヒノキを植えたという地域では昔も今も針葉樹の林業で食っていたことはないので、これからも期待できないのではと思います。やはり今(も昔も?)は80年以上の木を切って収益をあげ、間伐をやっていくということではないかと。そうできない地域で手遅れの山は補助金を使って強間伐をして広葉樹にもどしていくということでないでしょうか、と思うのですがいかがでしょうか。
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