だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

シセン

2006-07-14 12:42:52 | Weblog

 中国に2週間ほどの調査に行ったのは冬だった。約2億年前、化石に残るような生き物のほとんどが死滅した大量絶滅事件を記録している地層を求めて、四川省のあちこちを車で走り回った。
 北京の朝は強烈に冷え込んでいた。車の排気ガスと暖房用の石炭の煙で空は鈍色に曇っている。中国にいる間、結局一度も青空をみなかった。大気汚染は北京だけでなくどこでも深刻だ。

 四川省は巨大な盆地である。それほど高くないが山地が連なる。車は峠を越えては町に入るという行程を繰り返す。いまから6~7年前であるが、峠の道はどこでも難所だった。道路は未舗装でぼこぼこに穴があいている。雨でも降ればどろどろだ。そういうところで中国製のトラックがよく故障して道をふさぐ。そうするとお手上げで、何時間も待つか、引き返してとんでもなく遠回りするかしかない。
 中国ではいたるところに「汽車」(自動車のこと)の看板をかかげた自動車の修理屋さんがある。私たちのグループの4WDの1台も一度故障していなか町の修理屋さんに入った。そこは、足回りをみるために人間がもぐりこむ溝が掘ってあるだけで、機械類はほとんどない。ハンドツールだけである。道が悪く、中国製の車も耐久性がないのだろう、サスペンションやステアリングのトラブルが多いようだ。いっしょうけんめい修理するがなかなか直らない。だましだましの運転となる。
 ところどころ長江の本流や支流を見かける。たしかその前の年に長江の大洪水があり、集落が流されたところがなまなましくそのまま放置されているところもあった。またかなり高いところまで木の枝にゴミがひっかかっていて、相当水位が上がったことが分かる。

 やっとの思いで峠を越えて町に入る前には必ず関所のようなゲートがあり、通行税を徴集される。とんでもない峠道を越えた向こうにけっこう立派な町があるのが幻のようで不思議だ。中国の旅の楽しみはなんといっても食である。今回は宿は必ず外国人が泊まることを指定される飯店(ホテル)だ。食事はホテルや町の食堂でとる。どんないなか町でもメニューは豊富でおいしい。
 夕食後にぶらぶらと町中を歩くと露店がでている。たいては屋台であやしげな揚げ物などを売っている。ふとみると、小さな天体望遠鏡を歩道に出しているおじさんがいた。そこに一組の親子がやって来て、男の子が天体望遠鏡を覗いた。明るい町中なので、星はそんなにみえないだろうが月が出ていた。おじさんは男の子にしきりになにか説明している。男の子の父親は満足そうにそのようすを眺めていた。私は天体望遠鏡ひとつで商売になるのかと感心したし、この男の子はこの経験をきっかけに将来は科学者になったりするかもと思ったりした。

 中国ではまだまだ機械が普及しておらず、労働は人力に頼ったものだ。調査はだいたい沢ぞいの岩盤を見ていくことが多かった。あるところでは谷の斜面がみごとな段々畑になっていた。山のてっぺんまで段が切ってあり、麦の芽がでていた。よく見ると段のあぜの斜面にまで麦が植えられている。あのてっぺんの畑まで肥料などを持ち上げるのはたいへんな重労働だろう。別の調査地の近くには小さな石炭の鉱山があった。トロッコのレールが敷いてあるがトロッコを動かす機関車のようなものはない。冬なのに上半身はだかで真っ黒になった男達が懸命に押していた。
 道路の状態はよくなかったが、一方各所で道路の建設がすすんでいた。真新しい路肩の石組みの石をみて私はびっくりした。石の表面にはすべてタガネで削ったあとがついていて、一個一個手作業で石を成形したことがわかる。一カ所だけ道路工事に重機が使われていた。その運転手は背広にネクタイをしめていたのが印象的だった。

 四川省内を走り回っていて、地形は日本とよく似ていると思った。山あり谷ありである。それなのに風景は日本とはなにか感じが違う。何が違うのか最初はよくわからなかったが、滞在1週間ぐらいして、はたと気づいた。山に木が生えていないのである。山の斜面という斜面にはすべてびっしりと段々畑が刻まれているのだ。どこでも食は豊富で人々の栄養状態もよいようだったが、四川省の食料生産力の拡大はもう限界なのではないだろうか。四川省内にいる生き物は人間とその作物と家畜しかいない、と言っても言い過ぎではないかもしれない。
 木はかなり高い山の頂上付近にまばらにはえているのを見た。「木を切らずに育てよう」というようなスローガンが書かれた大きな横断幕をいくつもみかけた。別の山では山頂付近は一面の笹原になっていた。山がこういう状態では川はすぐに増水してしまうだろう。

 帰りに南京に寄り、休日に町をぶらぶらした。デパートを中心に商店街が延びていた。本屋をのぞいたりしてぼんやり歩いていると、ふとタイムスリップしたような不思議な感覚になった。町のひとたちが着ているよそ行きだけれども素朴ないでたち、質素な商店街の看板、楽しそうに歩いている親子づれ・・・これは確かに私が小さい頃、休みの日にわくわくしながら町にでかけた時の光景だ。1970年代の日本の地方都市の風景である。デパートの大食堂で食べるお子様ランチが最高の楽しみだった。あの親子づれはかつての私だ。当時の父親や母親の面影が思い出されて涙がでそうだった。
 中国4000年の歴史の中で極限まで開墾された大地と、ごく最近、改革開放によって活気づき変化してゆく町や村のようすがとても印象的な旅だった。北京にもどる飛行機の窓から見ると、眼下にのぞむ峰峰にはみごとにほどこされた段々畑が幾何学模様のように広がっていた。
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