だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

「おせき」を訪ねて(2)

2006-02-25 18:13:41 | Weblog

 徳島の吉野川流域の地域づくりについて学ぶ旅の二日目、山のようすを見てみたいという私の希望に、NPO法人吉野川みんなの会のメンバーのFさんが案内役をかってでて下さった。Fさんはぜひ見て欲しい山があるという。
 吉野川から北に香川県境をめざして山を登ってくる途中、私がびっくりしたのは、人工林がほとんどなく、落葉と常緑の広葉樹がほぼ半々くらいの広葉樹林だったことである。今は冬枯れでさびしい感じがするが、新緑や紅葉の時期にはそれはみごとな眺めになるだろう。全国どこでも人里近くからかなりの奥山まで拡大造林期に広葉樹の雑木林が皆伐されてスギ、ヒノキが植林された黒い山になっている。なぜここは広葉樹林がそのまま残されたのだろうか。

 山深くなってくると、少しずつ人工林の林が目にとまるようになってきた。いずれも急峻な斜面である。Fさんの運転する4WDのピックアップトラックは、急傾斜のでこぼこの林道を力強く登っていく。林道脇の断面を見ると固い基盤岩が剥き出しで、土壌はほとんどない。
 そして急に視界がひらけたかと思うと、前面に広がる風景に一同息をのんだ。私は「わー」と言ったきり絶句した。そこにはこちらの斜面から谷をはさんだ向こう側の斜面まで、広葉樹が皆伐されたあとにヒノキの幼木が点々と生えている光景だった。植えられてようやく1年くらいのところから、4、5年たったくらいのところまで、木の生長具合をみると作業の進行がたどれる。拡大造林は今から50年前から30年前くらいに全国いっせいに行われ、ほとんどの地域でその余地がないほど徹底して行われたので、今日新たに大規模に造林された光景を見るのは難しい。それが現前にあった。
 だんだん目が慣れてくると、おやと思う風景だった。森林というにはいかにも荒々しく、荒れ地に灌木が生えているような状態である。近くの木をみても、腐植のない黄土色の地盤に直接幼木が植わっていて、そのかなりのものは茶色く力ないようすだった。活着率はかなり悪い。普通は植えた苗の9割ほどは活着するものだが、ざっとみたところ、活着率は6割から7割という感じだった。
 さらにFさんの指さすところをみると沢に近い斜面の一部が崩壊して、荒々しいがけになっていた。地盤の下の基盤岩も見えていた。Fさんによれば今はたいした面積ではないが、年々大雨が降るごとに拡がっていくという。もうすこし高いところに行こうと林道を走り始めると、林道の路肩が崩れて車では危険を感じるところがでてきた。歩いて登っていくと、林道の路肩から斜面が崩壊しているところが何カ所もあった。

 だんだん分かってきた。これまでこの地で拡大造林が進んでいなかったのは、土壌が薄くしかも急峻な地形のため、そもそも根の浅いスギやヒノキが生えるのに適した所ではなかったのだ。広葉樹は岩にだきつくように根をはって生きている。それを伐採して林道をつけたりすれば崩壊するわけだ。
 またヒノキを植えるのも疑問だ。材木の価格でいうとスギの値が下落した中でヒノキはそれほどでもないので、ヒノキを選んで植えたものと思われるが、例えばハゲ山の治山のために植えるものといえばマツなど土壌栄養や水分がすくなくてもたくましく生きていくものだ。むしろヒノキの山は、生長してから間伐が遅れ林の中が暗くなり下草が生えなくなると土壌浸食が進むことがわかってきている。ヒノキの葉は落葉するとひらべったくばらばらになって風で飛んでいってしまうので、地面にたまることが少なく土壌が剥き出しになる。大雨が降ると土壌が流されてヒノキの根が洗い出されているところが日本各地の人工林で報告されている。

 私の疑問は、黄色い看板が立っているのをみて最高潮に達した。「水源林をつくる公団造林」とある。この拡大造林は水源涵養のために緑資源公団(現在は独立行政法人緑資源機構)が公的資金(つまり税金)を投入してやっているということだ。???・・・広葉樹林がしっかりあって水源涵養機能を発揮していたところを皆伐して、ヒノキを植えるとは?少なくとも造林してしばらくは明らかに保水力は低下する。またきちんと間伐をしないと上記したように土壌浸食さえ起こる。
 現実には、ヒノキは十分には活着せず、林道をはじめ斜面崩壊がはじまっている。明らかに水源涵養機能はもとの広葉樹林に比べて失われている。
 また、看板によれば、この造林は地主、造林作業を行う森林組合、費用を負担する緑資源機構による分収造林、つまり、木が育って材木として売却益がでた暁にはこの三者で収益を分け合うために行った造林だということだ。しかしながら本当に利益を出そうとしてやっているとはとうてい思えない。日本の林業が衰退している中でよほど良質な木をしかもコストを抑えてつくらなければ十分な収益は望めない。それなのにまずこの地は適地ではないのだ。

 Fさんが次に案内してくれたのは別の斜面だ。同じようなヒノキの植林が行われて20年ほどたった山がどうなっているかを見せてくれた。そこは砕石がしきつめてあるやけに立派な作業道がついている。路肩はそれなりの太さのヒノキの丸太で補強されていた。
 斜面の尾根近くで車を下りた。そこでも絶句してしまった。ひょろひょろと力なく伸びたヒノキがまばらに立っている。しかもほとんどは、下から吹き上げる強風にあおわれたのであろう、山側に傾いていた。素人目にも生育状態はよくない。風に倒れて根が地表までむきだしになっている切り株がたくさんあった。Fさんによれば、それなりに育って枝を広げた木は、強風にあおられてことごとく倒れたために切られて路肩の補強材に使われたのだという。残ったのは生育の悪い木。これももう少し背が伸びれば強風の餌食になることはまちがいない。この山は将来にわたってまったく収益は望めない。当然、造林に要した費用も回収できない。それにしてもわざわざ費用をかけてこの立派な作業道を作ったのは何のためなのか?間伐は必要ない。倒れた木の片づけのため?だとしたらブラックユーモアだ。

 この地における緑資源機構による「水源林をつくる公団造林」の真の目的はなにか?水源涵養機能を高めるためではない。品質の高い材木を作って収益をあげるというのも望めない。ということは、真の目的は緑資源機構の予算消化と森林組合の仕事の確保なのではないか、と思えてくる。もしそうだとすると犯罪的ですらある。
 もっともワリをくうのは山主だ。自分の山を勝手に使い回されたあげく、べろべろと斜面が崩壊した山が残される。いったん崩壊してしまうと、それを回復するには途方もない手間と費用がかかる。広葉樹林のまま残してあれば、木を切っても切り株からまた芽がでて林は回復する。歴史の皮肉だが、針葉樹の材木の価値が下落した今、ホダ木やマキになる広葉樹林の方が利用価値が高くなっている。灯油の高騰とともにマキストーブの人気が高まり、マキは市場で高額で取引されている。
 次にワリをくうのは地域住民である。ヒノキを植林したために崩壊した山はまったく価値のないどころか危険な山となる。美しい広葉樹の山が崩壊してしまう。広葉樹林に住んでいた多様な虫、鳥、動物たちのすみかが奪われる。大雨になればにごり水がでて川の生態系がやられる。

 Fさんはナチュラリストである。楽しみと癒しを求めて山に入ると、むしろ腹立たしい思いをして下りてくることが多くなったという。Fさんの解釈は、これは水源林をつくるのではなく、反対に、水源枯渇政策である、というものだ。このような山を広げて、地域の水源涵養機能を低下させ、可動堰をはじめとする大規模土木事業をやるための条件整備をしている、というのである。霞が関がそこまで長期的な「展望」をもってやっているとしたらある意味「立派」だがどうだろう。行政と森林組合幹部の癒着の構造の中で、公共事業としての造林が利権の対象にされているということか。そしてその過程で犠牲にされるのは、税金のみならず、地域の豊かな生態系とそれを愛する人々の気持ちである。

 

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2 コメント

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水源枯渇政策 (長州人♀)
2006-02-28 11:47:36


 長州人♀&バリバリ文系 です。



 広葉樹林の話は以前聞いたことがありますが、今回このブログを読ませてもらって改めて、その意味を知りました。



「水源枯渇政策」か・・・。私もFさんに案内してもらって見てみたいです。ダムに少し関連する仕事をしていながら、大事なことを知らなさ過ぎると思いました。

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時代遅れ? (だいずせんせい)
2006-03-02 20:24:19
今は人工林を切って広葉樹林に戻そうとする動きが各地にあるのです。緑資源機構の人はいったい何を考えているんでしょうねぇ・・
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