だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

自然治癒力

2008-08-31 23:31:40 | Weblog

 日本の医療が崩壊をはじめている。どこの病院に行っても2時間待ちの5分診察。待っている方もたいへんだが、診察している医師はもっとたいへんだろう。病院の勤務医は午前中は外来、午後は手術、夜は当直で急患の手当、ろくに寝る間もなく次の日の外来・・・。その上、ひとたびミスがあれば刑事責任を問われる。精神的にも肉体的にもへとへとになるだろう。そして条件の悪い病院から医師がいなくなる。医師が減れば残った医師への負担がさらに増す。悪循環である。
 あまり報道されないので実態は分からないが、医師や看護師の中にうつやがんなど仕事のストレスによる心身の病気が急増しているのではないかと私は心配している。

 私たちは、体調が悪ければ病院に行く。行けばなんとかしてくれると漠然と思って行く。
昔の医者はまずいろいろと話を聞いた上で、聴診器をあて、あちこち身体をたたいたりもんだり、舌や目をべーとしてみたりしたものだ。それだけでなんだかありがたく、治療を受けているような気になったものである。
 今は最初の診察は検査の予約で終わる。何週間もかけてひとしきり検査をされたあとで(たいていは思うように予約がとれないし、それ自体が苦痛である)、やっと診察かと思うと、医師は患者の方を見ずに、データが表示されているコンピュータのモニターの方をみている。私も科学者としてそのセンスは分かる。できる検査方法があればすべてやりたい。その上でそれらのデータをつきあわせて診断したい。しかし患者から見れば、少しも治療を受けているような気がしないし、逆にそういう診察の時間がストレスに感じられる。たいした病気でなくても悪化しそうだ。何か根本的なところがまちがっているように感じられる。

 私たちの社会は少子高齢化しつつ、寿命も延びる社会である。したがって、社会の中で高齢者の絶対数が増える。そうすると、病気をもった人が増え、死者も増える社会である。一方で、検査技術、医療技術は日々進歩し、より複雑で手間のかかる検査や治療が標準となる。医師や看護師の負担は劇的に増大していると推測される。医療従事者も医療を受ける患者の側も考え方を根本的に改めない限り、医療制度は持続不可能と思う。

 それは病気というものとその治癒をどのようにとらえるかという考え方ではないかと思う。私たちは体調が悪くなれば、すべて医師におまかせで、医師に治してもらえると思っている。でも本来は病気は自分で治すものではないだろうか。身体に備わっている自然治癒力で病気は治るという考え方である。
 こういうことを言うと何か西洋医学と敵対する考え方のように聞こえるかもしれないが、けっしてそうではない。自然治癒力は以下のように西洋医学の中で断片的ではあるが科学的に把握されているものである。

1)体内には万能の製薬工場がある。(ハワード・ブローディ『プラシーボの治癒力-心がつくる体内万能薬』日本教文社2004年参照。)
 これが働くことをプラシーボ反応という。プラシーボとは偽薬のこと。そもそも新しい薬が開発されるときにはダブル・ブラインド・テストというものをクリアしなければならない。これはある症状の患者集団に対して、あるグループは開発対象の新薬を投与し、別のグループには偽薬(毒にも薬にもならないみかけは薬そっくりのもの)を投与する。ひとりひとりの患者もそれを担当する医師もどちらのグループに入っているのか知らされずに(つまり新薬を投与されるか偽薬を投与されるか分からない状態で)経過を見る。そうすると、偽薬のグループにも「効果」が現れる。場合によっては「副作用」も現れる。たいてい1/3ぐらいの患者には「効果」が見られるという。新薬に効果があるとしても、これが偽薬の「効果」を有意に上回らなければ薬として認可されないのである。
 では偽薬の「効果」はなぜ生じるのか。それは体内に「製薬工場」があり、適当な刺激があればそれが本物の薬と同じ効果を持つ化学物質を合成するのだという考え方である。よく考えてみればもっともであって、そもそも薬というのは体内で合成される物質を模して人工的に作った物質のことである。そしてその刺激というのは、心の作用しか考えられない。ようは心が身体を治すのである。この作用を積極的に活用しようという動きが西洋医学の中にある。また、これは代替医療には確かに効果があることの説明にもなる。

2)身体には一度壊れた組織細胞を再生する能力がある。
 最近進歩が著しいのが再生医学である。古くから実用化されているのが白血病の治療のための骨髄移植である。これは他の人の骨髄細胞が患者の体内で患者の細胞になりかわって定着・増殖し造血機能を果たすというメカニズムである。骨髄移植の経験が蓄積してくると、たいへんなことが分かってきた。骨髄移植を受けた人の組織をいろいろ調べると、移植された細胞由来の細胞が、骨髄のみならず、潰瘍などで損傷した消化器が再生した部分に見られるという。ラットでの実験によれば、移植された骨髄細胞由来の細胞が心筋梗塞で壊れた組織を再生した例もあるという(朝比奈欣治他『再生医学入門』羊土社2004年)。
 これは他の個体の細胞だから、遺伝子の違いによって検出できたのであるが、そうだとしたら、自分の身体の骨髄細胞が、消化器や心筋の細胞として再生することも当然あるだろうと私は思う。それは検出する方法がないだけのことだ。わざわざ移植とか再生医療という大がかりな治療をしなくても、身体には自然に壊れたところを再生する能力が備わっているというふうに理解できるのではないだろか。

 すべての医療行為は、これらの自然治癒力と矛盾しないことによって、むしろそれを促すことによって、効果があがると考えるべきではないだろうか。もっとつきつめれば、自然治癒力が落ちてくると病気になり、これを高めれば治癒する、と考えることができるのではないだろうか。

 ではどうすれば自然治癒力を高めることができるだろうか?
 この点では西洋医学も代替医療も十分体系化された方法論はないようだ。ひとつのポイントは心と身体はつながっているということ。心身ともに気持ちの良いことを継続すれば、治癒力は上がるようだ。(ノーマン・カズンズ『続・笑いと治癒力』岩波書店2004年参照。)

 こういう観点からすれば、かつて医師が患者の話をよく聞き、身体に触れてよく診ることに、大切な意義があったのではないだろうか。機械によってひねくりまわされる検査はそれだけで自然治癒力を減退させてしまいそうである。そのことによって病気の回復が長引き、さらに検査が必要になってしまうと悪循環である。そうなれば、患者のみならず医師や看護師の負担も増える一方となる。

 残念ながら今のところ自然治癒力を高める方法論は確立していないし、病院に行ってもそれに配慮した治療はまったく期待できない。自分で自分の自然治癒力のレベルを把握し、それを高める努力をするしかない。よく身体の声を聞き、その望むことをやってあげることだろう。身体の声がよく聞こえるならば、医者にかかる際にも治癒力の助けになる治療法を選ぶことができるだろう。健康なうちから身体の声を聞き取るトレーニングをつんでおきたいものである。

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1 コメント

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Unknown (とんこつ)
2011-04-10 09:47:35
>これは代替医療には確かに効果があることの説明にもなる。

プラセボ(プラシーボ)効果は客観的な効果が確認されていない医療(代替医療に限らない)でも効果があったように見えることの説明にはなりますが、「確かに効果がある」ことの説明にはなりません。
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