だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

価値観を変えるということ

2011-10-19 14:46:34 | Weblog

 昨日は豊田市旭地区の地域リーダー学習会に参加。私がインタビューする形で、最近、旭地区にIターンで移住された、3組の若者たちの話を聞いた。私は愚問と知りつつ、「どうしていなかに来ようと思ったの?」と聞いてみた。愚問だというのは、彼らは、自らの意志ではなく、何かに引かれてここに来たのであり、ご本人たちもそのことを自覚しているだろうから、この質問には答えようがないのである。
 でもあえて聞いたのは、フロアにいる中高年男性を中心にした集落のリーダーたちにとって、これらの若者たちが、自分たちの世代の「常識」とはちがう世界を生きていることを、かいま見てほしかったからである。その「常識」とは、子どもたちに「こんな何もないところで暮らさずに、都会に出ていけ」と押し出した「常識」である。
 案の定、若者たちの返答は要領を得ないものだったが、中高年男性にとっての「常識」とはずいぶん異質なものの考え方をしている、という雰囲気だけでも分かってもらえたらうれしい。

 さらにフロアからは、「ここで暮らしていて何か足りないものはありませんか?」との質問。これも親切心からという気持ちはわかるが、本質的には愚問である。彼らの答えは、「ここにはすべてがあり、そのことに感謝している」ということだろう。ただ、彼らはおじさんたちにも分かるように、配慮して答えてくれた。「仮に足りないものがあったとしても、それを工夫して暮らしていくことに魅力を感じてここに来た。都会と同じように何でもあるということなら、来なかった」。

 「意識や価値観を変えることが大切」とよく語られる。3.11以降は特にそうだ。しかし、意識や価値観はそう簡単に変えられるものではない。少なくとも人から説得されて変わるものではない。田口ランディさんは、それを変えるということは、「死の体験と等しい」と語っているhttp://runday.exblog.jp/16879732/。そのとおりと思う。たいていは、変わった気になって、実は変わっていないので、問題がますます複雑になるだけだ。

 若者たちは、意識や価値観を変えたのではなく、自然にある意識や価値観を身につけており、それはおじさんたちのそれとは違う、ということだと思う。私はおじさんの一人として、ある程度その通訳ができるような気がするのだが、一番の違いは、以下のようなものではないだろうか。

おじさん(?):環境を整えた上で、人間が努力することによって何かが実現できる。実現できなかったとしたら、環境がととのっていなかったか、努力が足りなかったためである。環境を整えるのも努力なので、結局、人間が努力すれば何でもできる。努力が足りなければできない。

若者たち(?):自分が○○とつながっていれば、必要なことはそのように実現できる。まだ実現できないとすれば、つながっていないか、そうする段階にないということで、待っていればよい。もちろん、日々の努力は大切で、それがつながりをつくったり、「段階」を引き寄せたりする。
 この○○は人によって表現が違うだろうが、例えば自然療法の東城百合子さんなら「お天道様」である。自然農の川口由一さんなら「真の知恵」。「宇宙」「自然」「神さま」と言う人もいるだろう。

 昔は、暮らしの中で、定期的に「死んで」生まれ変わる機会があった。つまり、若者がオトナになるときのイニシエーション、厄年の厄払い、年中行事の中での禊ぎ・・・。今はそういう機会がないので、なかなか意識や価値観を変えることは難しいのだと思う。
 おじさんたちに残された道は、生まれつき新しい意識や価値観を身につけている若者たちとともに暮らしながら、少しずつ今までの自分を死なせて行き、そして生まれ変わらせていく、ということだと思う。私もその途上である。私がいなかに引きつけられるのは、そこで、そういう若者たちに出会えるからなのだと思う。

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原発震災(40)愛と祈りの... | トップ | 原発震災(41)上海にて »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
”わからん”です (べっこ)
2011-11-15 21:40:02
私は、価値観は変えれないのでしょうか?
フロアの方の、気持ちは判るのですが・・・
Iターンされた田舎暮らしの若者の
気持ちが、”わからん”です

私が、里山で知り得た若者も
私以上に多くの若者に接する”だいず先生”の代弁する若者も
里山に移住する若者達の思考について
”「常識」とはずいぶん異質なものの考え方をしている”
ことについての疑問です。

新しい価値観での行動ならば、世代の違い・ギャップでしょう。
理解しょうとするなら”だいず先生”の言う「価値観を変えると言う事」も必要でしょう。

若者達が田舎暮らしする事で、その地域は明らかに活性化してきてありがたい事です。
ですが・・・
私が危惧するのは、都会からの逃避・箱庭(里山)の中の幸せを求める行動で、将来展望も深く考えない行動になっていないか。
甘い考えで、田舎の生活が出来るのだろうか?
と言う事です。
高度経済成長やバブルの時代をしらない失われた20年で育った世代ゆえに、内向き志向になってるような気がしてなりません。


私が、”Iタウーンで田舎暮らしする若者達”と価値観が違う中高年であることを願っています。
返信する
同感 (奥矢作炭やき人)
2011-10-21 19:16:21
あのおじさんの質問(何か足らないモノはないか?)は愚問だと思いました。田舎のおじさんが、都会の若者に媚を売っているようにしか見えなくて、悲しくなりました。
田舎のおじさんたちは、「ここには何もないけど、ここにしかないモノが確かにあるんだ。だから、理屈抜きでここに足を着けてくれ」と言ってほしい。田舎側が何か足らないモノを用意した上で若者を待ち、それ目当てにやってくる若者は、地域のためには役に立たない輩が多いと思う。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事