だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

原発震災(40)愛と祈りのメッセージ

2011-10-16 04:51:20 | Weblog

 昨日は、愛知万博跡地の愛・地球博記念公園で愛知県主催の「人と自然の共生国際フォーラム」に参加した。パネリストの空木(うつぎ)マイカさんのお話がとても印象深かった。

 空木さんは、名古屋のFM放送局ZIP名古屋のパーソナリティで、平日昼間の番組を担当されている。3.11の時、テレビとラジオではその役割がまったく違っていたという。テレビではどこで何が起こっているか、まさに「目に見える」ことを伝え続けたのに対し、ラジオは、リスナーから寄せられたメッセージが伝えられ、それぞれの放送エリアにおけるコミュニケーションの場となった。空木さんの言葉によれば、「目に見えない、人々の心の声」が伝えられたのである。
 その声の内容は、地震から日数を経るごとに大きく変わったという。金曜日に地震が発生し、週をあけた月曜日に届いたメッセージは、圧倒的多数が、「東海地震が起きたらどうなるか、どう備えたらよいか」という内容だったという。

 それが、火・水・木はがらっと変わり、そのほとんどが、東北地方に対する愛と祈りのメッセージだったという。

 その頃、テレビでは、津波の生々しい映像がずっと流れ続けていた。被害の実態がだんだんと明らかになり、とてつもない災害であることが分かり始めた。
 3月12日の土曜日に福島第一原発では一回目の水素爆発が発生し、13日日曜日には住民の被曝が確認された。さらに14日月曜日に二回目の爆発。15日火曜日には地震時に原子炉が動いていなかった4号炉でも火災が発生し、テレビではめちゃくちゃになった建屋の姿が放映された。
 被災地の外の人間は、ただ固唾を飲んで事態の進行を見守るほかなく、心が激しく揺れていた時期である。義援金を募金するほかは、具体的な行動は何もできず、まさに祈ることしかできなかった。

 ラジオ局に届いたメッセージの意味するものは、その時、日本中が、愛と祈りの中にあったということだ。そのことで、実際にどれだけの命が救われ、また死者の魂が慰められたことだろう。ラジオ局にメッセージを送るという行為は、実は被災地を救うとても有効な「具体的な行動」だったと私は思う。

 そして、地震から一週間後の金曜日には、これまでの自分の生活を見直し、反省し、これまでとは違うライフスタイルを模索するメッセージに変わっていったという。

 愛と祈りの上に、ライフスタイルや社会のあり方を見直す。これができれば、東北地方の復興ができるだけでなく、日本全体が再生できると私は思う。

 現状では、今後の復興や社会のあり方を構想する公の議論の場では、その多くが中高年男性である。今回のフォーラムの壇上(私も含めて)もフロアもそうだった。中高年男性が主導して作ってきた社会のあり方が破綻したのに、またそういう人たちだけで、今後の社会のあり方を考えるのだろうか?ラジオ局に愛と祈りのメッセージを送るという、具体的な行動をとったのは、圧倒的に女性と若者であっただろう。中高年男性はあえて口をつぐみ、女性と若者たちが議論を主導すべきと私は思う。
 空木さんは27歳、ボランティア活動にも積極的に参加し、フェアトレードなど、途上国と日本との心の交流に尽力されている。彼女のような人たちが主導して、これからこの国をどう再生していったらよいか、検討をすすめてもらいたい。私は中高年男性の一人として、そのような環境を整えることに貢献したいと思う。


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