だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

ネバダ・レポートに対抗する○○・レポートを

2005-10-12 01:42:50 | Weblog

 藤井厳喜『「国家破産」以後の世界』光文社2004年は、国の財政破綻が避けられない現実であることを、説得力ある語り口で主張しながら、財政破綻に至るプロセスおよびその後のプロセスについてのいくつかのシナリオを提示している。私もそのほとんどの主張に同意する。年間の一般会計予算80兆円のうち税収は40兆円しかなく、40兆円は国債(借金)でまかない、さらに過去に借りた借金の借換え(借換債)が年間100兆円にのぼる、という状態がいつまでも続くはずがない。いろんな形態の「徳政令」が発動されるほかはない。その時には国債を大量にかかえている銀行も共倒れして金融は大混乱し、円は暴落するだろう。

 しかしながら、本書は、ではどうすればよいのか、という点について、個人レベルの処世術的な指針は示すものの、国家破産というクラッシュの後に社会全体としてどういう形にすればよいか、という点についてははなはだ具体性を欠く。財政破綻にいたった責任をきちんととらせて、現体制の権力者をパージせよ、というところまでである。これにも私は同意するが、古い体制をクラッシュによって掃除したあとに、新たに何を構築するのかが問題だ。

 そこが切れ味が悪いのは、筆者には石油資源をベースにした「持続的な成長」sustained economic growthをする社会しかありうべき社会のビジョンがないからではなかろうか。確かにアメリカは徹頭徹尾そのような社会をめざして行動している。ロシアは石油の輸出によって国家破産から経済を復活させた。国内に石油資源はなく外国の資源をコントロールする政治力・軍事力をもたない日本においてそのようなビジョンを描こうとすれば解はない。

 しかし、私にはそのようなアメリカ的シナリオこそ、持続不可能unsustainableであると思う。石油はまもなく生産のピークを迎え、そののちには生産量は年々減少していく。必要な人すべてには行き渡らなくなる。価格は高いところで安定する。また二酸化炭素排出削減の圧力は無視できない政治力となっている。世界中から世界中へモノを運ぶグローバル経済にはブレーキがかからざるを得ないだろう。これまでの日本のような世界中から原材料とエネルギーを輸入し、工業製品を輸出するという加工貿易型、外需依存型の経済構造は行き詰まるだろう。国内にない地下資源を輸入し廃棄物は国内に蓄積するという経済構造はどだい無理というものだ。短期的にも国家破産し円が暴落した日本が膨大な食糧とエネルギーを輸入するというは不可能になる。

 しかしながら筆者の言うとおり、国家財政が破綻しても日本がなくなるわけではない。この土地で私たちは生きていかなければならない。とすれば、衣食住とエネルギーという生活のベーシックニーズは確実に存在する。そしてそれを供給することのできる生態系が日本にはある。筆者が「日本には資源がない」というのはあたらない。水と生態系資源に限って言えば、世界有数の資源保有国である。

 また、人口が減少していく日本では全体の経済が縮小してもよい。松谷明彦・藤正巌『人口減少社会の設計』中公新書2002年は、計画的縮小をやりとげた企業が収益を上げ、労働者はそれほど収入を落とさなくても労働時間を短くすることで、ゆとりのある生活ができるようになる、という可能性を指摘している。

 つまり、ベーシックニーズを地域の生態系資源を活用して満たす、という経済社会を構想することが可能だと思えるのだ。計画的な持続的経済縮小sustained economic shrinkを行いつつ、持続可能な状態sustainable stateへソフトランディングする、というシナリオだ。

 そのためには、ともかく地域経済を国家財政から切り離さなければならない。また同時に、地域経済を回す貨幣を円と切り離す必要があるのではないか。円という紙きれではなく地域の生態系が生み出す価値に裏書された地域通貨が労働とモノを媒介する。

 これは一種の鎖国政策である。「一流国家」とはいえない。しかし「一流」に留まるために世界の中で渡り合って石油資源を奪い合ったり、中国と資源と市場を奪い合って戦争をしたりするよりはよほど賢明な選択ではないか。おちついて誇り高い「二流国家」をめざそうではないか。

 『「国家破産」以後の世界』には日本が国家破産に至ったあとの破産処理をどのように行うかを研究したものとして、アメリカでつくられたネバダ・レポートが紹介されている。徹底したIMF型の経済リストラ策である。これに従えば、地方の経済は崩壊し、都市には職をもとめて田舎からでてきた人間がスラム街をつくる。国家を見捨て、地域経済も見捨てるシナリオである。

 国家は見捨てても地域経済を救うシナリオを早急に研究しなければならない。
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道州制が自立の切り札か (ikigaikannjite)
2006-12-30 22:42:05
国家の破産は既存の経済学上から見れば疑いの余地はない。しかし多くの国民はその危険な実態が差し迫ったことではないと緊急避難的行動をとろうとしないところに国家の破産を回避させている皮肉な結果を生んでいるといってよい。一方、経済の実態は一国の中で終始することなくボーダレスな流れの中で実体経済が運営されることで日常的な物と金が途切れることなくまわす事が可能となっている。
今、日本人が日本人として歴史の中に存続していくために必要なことは、ボーダレス社会の世界に飛び込んで生き残れる無数の人材を育成することにある。
国会で論議されているレベルの教育基本法の枠を超えた教育システムの構築が緊急課題である。
第二として、地方がボーダレス社会に対応できる規模として今の47都道府県単位ではキャパが小さく人口1千万以上で地政学的に考慮した行政単位を独立させるべきである。外交、国防、大規模災害以外はそれらの単位地域行政組織機構が財政を含めたすべてを執行できるいわゆる道州制の制定である。
以上の2点が「自立した持続可能な地域社会をつくるため」ひいては、日本国家が破産から逃れるためにとらなければならない課題であります。(アメリカの属国にならない)
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