今月2度目の上海訪問。学生たちを連れての調査旅行である。今回のツアーガイドの除さんは、空港から市内に向かうバスの中で上海の電力事情について話してくれた。石炭火力発電所を中心に、原子力発電。昔は停電がよくあったが、三峡ダムができてからは改善されたという。
食事をしながら詳しく話を聞いてみると、上海から150kmほど離れた杭州湾に秦山原子力発電所があるという。もう20年以上前に建設され、当時は、中国がこのような最先端技術を手に入れたと、大々的に報道されたという。
上海は人口3000万人の大都市で、今や世界経済の一大センターである。その都市に150kmの距離というのは、かなり近い立地だと思う。福島第一原発事故では、かなりの放射能汚染がある距離である。チェルノブイリのような、原子炉内部から爆発するような事故ならば、致命的である。
除さんの意見は、「確かに危険性はあるが、資本主義は世界での競争。それに負けないためには、コストの安い原子力発電は必要、石炭火力はコストが高い。」とのことだった。おそらくこれが中国市民の標準的な意見だろう。
どうも石炭火力よりも原子力の方がコストが安いという話になっているらしい。まともに計算したら、そういうことにはならないはずだが・・・。私は、福島で分かったことは、いったん事故が起これば、そのコストは途方もない額になる、ということを話した。
除さんは、「絶対に安全という技術はないのか」というので、「ない」と答えると、彼は苦笑いをしていた。戦争の時に攻撃されたらたいへんだ、とも。
それでも「競争がなければよいのだが、それがある以上、原子力は必要だ」とのことだった。
社会主義中国で、市民が競争原理を心底内面化しているということは、それはそれで興味深いけれども、彼のこの意見は、原子力の存立基盤について、本質的なことを語っていると思う。グローバル競争の中で、国や企業が勝ち抜いていくことが、自らの幸せにつながると考えるならば、原子力を否定できないのだ。原子力を否定しようとすれば、競争から「降りる」心構えが必要だ、ということである。
私は逆の立場で除さんと同じ意見と言えるだろう。「降りる」ことによってみんなが幸せになると思うから、原子力をやめよう、ということである。
映画『降りていく生き方』にある印象的なせりふは、「山に登って、降りてこなかったら、遭難している」というものである。もう日本は遭難状態だ。降りていくことで、地に足のついた確かな暮らしができるようになると思う。
中国はもちろん、山に登っている真っ最中である。山の頂上から、途中で引き返せと言っても、誰も耳を貸さないだろう。しかし、山道では降りてくる人とすれちがう。その時に、しばし休憩をとりながら、お互いに労をねぎらい、共感のある対話をしてみたいものである。
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