中高生を対象に、将来の持続可能な地域と世界をつくるリーダーを育てようという2050年担い手塾の今年度最終回があった。今回のテーマは、「自分なりのテーマを持とう」である。限られた講座の時間の中で学ぶことは限られている。自分で自主的に自立的に学んでいけるよう、自分のこだわり、関心、問題意識の種を持って帰ってもらうのがねらいである。
テーマといっても漠然としてつかみどころがないので、まず、私を含め講師の3人に大学生のファシリテータがインタビューする形で、講師の現在のテーマは何か、その原点はいつごろ、どのようなものだったか、とても上手に引き出してもらった。3人ともだいたい参加者と同じ中高生くらいにテーマの種のようなものを自覚し、あれこれ迷いながらも、そのテーマの周りをうろうろしていたようである。
その後、参加者からの質問を受けた。「生きがいはなんですか?」、「自分とはなんだと思いますか?」、「人の意見にまどわされないようにするにはどうすればよいですか?」というような質問がでた。確かに若い頃にはそのようなことで悩んだ覚えがある。何か胸の奥がきゅんと痛むような感じがした。
そして、現在の境地は、はからずも講師の3人ともほぼ同じ答えだった。つまり、「生きがいというものは特にない。その場その場で充実しているという感じ」、「自分とは何かと問うてもわからないもの。それは他の人とのつながりにおいてわかるもの」、「自分とは何かを問うても意味がなく、むしろ自分という意識を消すといろいろ見えてくる」、「自分の身体はすでに一見自分という意識の外にあるようで、でも意識も身体の一部とすれば、自分は身体という自然とつながっていて境目はよくわからない。さらにそれは生態系など外部の自然ともつながっている」、などなど。まぁ禅問答のようなものである。それでも中高生たちはなにかびくんと感じ取ったらしい。
その後グループワークで、これまでの講座で自分が何を学んだか、どう変わったかふりかえり、自分なりのテーマの種を考えてもらった。そのことはそれぞれカードに書いて、最後にひとりずつ皆の前で発表してもらった。人前で話をすること自体に抵抗がある世代だと思うのだが、そのスピーチの誇りに満ちて堂々としていたこと。聞いていてほれぼれしてきた。
中学3年生の女の子がスピーチの中で、「この講座を受けていろんなことに疑問がわくようになった。疑問の間に自分があるように思う」という話をした。私は思わずうなってしまった。とても深い自己のとらえ方ではないだろうか。疑問が湧くということは世界につながっているということである。そのつながり方において、自己の形が掘り出され、それが自分からも、他の人からも認識できる。疑問が湧くということが、この世界の中で、世界とともに生きている証となる。14,5歳の少女がおじさんたちの禅問答を立派に受けてたっている。
今回も奇跡に立ち会うことができた。私は最後に彼らのひとりひとりと握手をしながら、この場にいて、この場をつくることに貢献できたことの幸福をかみしめた。
それにしても最後のプレゼンテーションは本当に素晴らしかった。誰一人として物怖じすることなく、ちゃんと自分の意見をきちんと表現していました。
それと、自分の考えをまとめて記入したカードをそのまま読み上げてくれてもよかったのですが、ほとんどの子どもたちが書いたカードを見ないで話していたことも印象的でした。
また来期もどんな出会いが生まれるかワクワクしますね。
これからもよろしくお願いします。
人とは何かと考えたとき、自分が生まれてきたことが良かったと感じることができる唯一の生物と言いたいと思います。