「おおかたは学者の知恵は付け焼き刃
生まれの智慧をみがきたまえや」
西村恵信監修『一休さんの般若心経』小学館文庫2007年
一休宗純禅師が600年も前に作った道歌に、平成の世に学者の端くれをしている者としては、ぎくぎくとしてしまうのである。私は西洋近代科学の学者であり、室町時代の学者とは学問の内容はまったくちがうのであるが、結局学者の性というのか、メンタリティというのか、そういうものは古来それほど変化はないようである。
西洋近代科学の歴史はせいぜい400年。長い歴史をもつ仏教の智慧に比べれば付け焼き刃なのはいたしかたない。その付け焼き刃が、250年ほど前に化石燃料の利用を可能にし、巨大な力を人間にもたらしたのが、今私たちが生きている文明である。
その結果、生態系から浮き上がった存在になった人類は、化石燃料の続く限り、生態系を軽んじ破壊しつづける。
持続可能な社会をつくるために科学技術は大切だと私は考える。私もマイクロ水力発電やら有機農法やら地中熱利用やらの技術開発研究をやっている。化石燃料をまったく使わずに再生産できる技術であり、人間社会を生態系の中に埋め戻すための技術である。
この10年でいわゆる環境技術の進展は著しい。しかし、どれほどエアコンのエネルギー効率が上がっても、車の燃費が劇的に改善されても、社会全体の二酸化炭素排出量は増え続けている。私たちは、電力消費が1/3に改善されたエアコンを一軒の家に3機以上とりつけてしまう。車を買い換える時に、燃費が改善されたより大型の車を購入することで、技術の進展の効果を帳消しにしてしまう。
科学技術が大切だ、と言うのならば、それと同時に、付け焼き刃としての自覚と、それを顧みなかったこれまでの行状に対する反省が必要と思う。そして「生まれの智慧をみがく」ことを同時に追求しなければならない。
「心をば墨の衣に染めなして
身をば浮き世のあるにまかせて」
最近は、せっせと研究費の申請書を書いている。環境学に参入して6年、ゼロからのスタートからそれになりに成果がでてきて、申請書を出せる段階に入ってきた。浮き世の業務である。「色即是空」を心に刻みながら精進したい。
人間の知的欲求の法則(脳進化)に従えば、身の危険と隣り合わせである高エネルギー開発は免れず(というより生物の存続にとっても必要で)、開発に関する世界レベルの合意が必要かと思っています。
空気は汚染で吸えなくなり、地球で作られた食物を口に入れられなくなる日が、時間の尺度を調節できる(したい)にせよ、いつかやってくるのは、自然の摂理と言えると思います。
その認識が現地に立つ上で必要不可欠だと思います。
「考え」よ。そして「生き」よ。母より早く逝くこと無かれ。とおっしゃっています。
子供が母離れする日がそろそろやって来るのではないかと思われます。双方にとって辛い事には違いないですが、それは母の願いでもあると思います。
最終的には、母からエナジーだけ頂く事になるかもしれません。
そして「第3」の道もそろそろ見えはじめて来たのではないかと思われます。
今後一層、人間の倫理観が問われる事になると思います。
その為私は“最先端”を推奨しています。
日本という国は教育レベル、治安、金銭面など現在大変恵まれた環境下にあると思います。それを成せる国の一つだと思っています。
金の衣を身に纏って頂ける事を望んでおります。
気づけば、私ばっかりコメントしていました。失礼いたしましました。
これも“非常識の奨め”の一環とご了承下さい。