だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

原発震災(56)川内村

2013-08-31 06:09:29 | Weblog

 

 縁あって福島県川内村に来ている。夕べは地元の方とピザパーティで大いに飲み、楽しい時間を過ごした。川内村は福島第一原発から30km圏内で、全村が避難地域となったものの、意外にも放射線量は低かった。それでいちはやく一部地域を除いて避難解除となった村である。もっともそれで帰ってきたのは、現在のところで半分くらいだろうか。村に一つある小学校では、3.11前は120人ほどの児童数だったのが今は25人ほどだという。

 それでも、田んぼではイネやソバが作付けされて、稲穂がたわわに実り、ソバの白い花のお花畑がいくつもあった。すべての田んぼでというわけにはいかない。これも半分くらいだろうか。村の中を車で走ると、どこにも見られる緑深い山々に人々の暮らしの息吹が感じられる。耕作放棄地がぽつぽつと見られるのもいつもの景色である。
 ただ福島ならではの光景は、除染をしたあとの放射性物質を含んだ土砂をいれたフレコンバックが山とつまれた所がある。仮仮置き場である。除染が終わったあとの家々の周囲は草が刈られて木々が伐られさっぱりとした感じだ。

 集落のおじさんたちに話を聞くと、話がとまらない。お酒の勢いもあるけれども、震災直後から福島の人たちによく見られる現象である。地震の被害はたいしたことなく見た目には何も変わらないふるさとに、一夜にして放射能が降り注ぎ、そこを着の身着のままで後にしなくてはいけなかった。幸いに比較的放射線量は低かったと言っても、地域が、自宅が、自分の田んぼが放射能によって汚染されてしまったことに変わりはない。その悲しみ、悔しさ、苦しさ。それを乗り越えての現在である。

 いくら除染しても、放射能は取りきれるものではない。除染などほとんど意味がない。これが多くの福島の住民に共有されている思いである。取り返しのつかないことが起きてしまった。もうもと通りには戻れない。それに巨額の税金が投入されること。それが自分たちの目の前で進行していくこと。それはゼネコンを利する経済の論理で動いていること。その論理の行き着く先が原発事故だったのに。
 そして日本社会全体としては、原発再稼働や原発輸出の動きが活発で、福島の問題はもう終了し、被害などなかったかのような動きである。自分たちの思いはどこにも届かない、むしろ忘れ去られようとしているということに対する、何とも言えない気持ち。
 この「何とも言えない」気持ちを、私はうまく言葉で表現することができない。もちろん悲しみでもあり悔しさでもあり諦観でもあり・・・でも、どれもぴったりこない。しかしながら、その思いは福島に来て、人々と少しでも話をすれば、すっと共感し理解できることなのである。そして福島の外ではうまく伝えることができない。

 人は語るべき時がある。そしてそれを誰かが聞き取るべき時がある。それが今の福島だろう。私は環境学の専門家としてこの日本の環境史上最大最悪の環境汚染問題に対してどういう貢献ができるだろうかと考えて、何度も福島を訪問してきた。今はそれがはっきり分かる。とにかく来て、話を聞くということである。もちろんそれは環境学の専門家にしかでいないことではない。誰でもその役割を担うことができる。福島県外の人間が聞くことによって、福島の人々は語ることができる。語ることが魂の救いとなり、前向きに暮らしを再建していく底力となる。ぜひ多くの人に今の福島を訪問してほしい。それが福島の人々が今もっとも望んでいることである。

 


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