だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

ネパール断章

2013-08-12 14:51:09 | Weblog

 

 学生の研究指導でネパールを訪問した。首都のカトマンズに3日滞在してとんぼ返りのあわただしい旅だったけれども、はじめて訪問したネパールはとても印象深かった。
 今回の訪問のメインテーマであった農村でマイクロ水力発電が活躍しているようすについては、季刊『地域』(農文協発行)の秋号に記事として書くことにしたので、そちらをお楽しみに。ここではカトマンズ市内での体験について書いてみる。

 滞在最終日はネパールの友人たちがカトマンズ市内の見所を案内してくれた。まずは、かつての王宮。ネパールは250年ほど前に群雄割拠状態が終了して統一された。そこから続いた王朝が2008年に打倒される。抜け殻となった王宮は今では博物館として一般開放されている。
 つい5年前まで実際にネパールの政治の中心として利用されていたもので、それをそのまま一般開放しているようなものなので、臨場感がある。もちろん豪華な調度類や美術品も見応えがあるが、ひときわ目をひくのは、代々の国王の巨大な肖像画である。しかも最後の国王ギャネンドラ王の肖像画がいたるところに飾られている。国王は自分の肖像画に囲まれて執務するのはどういう気分だったのだろうか?

 王宮を出て順路に沿っていくと、建物の基礎だけが残る遺跡のような場所に出た。説明を読むと、王家の生活の場として使われていた建物跡で、2001年に国王と王妃ほか王族が9人射殺される事件が発生し、その後建物は取り壊されたとのことである。この事件のことは日本でも衝撃をもって報道されたので私も覚えている。王子が国王王妃、兄弟を射殺して自分も自殺したといわれる事件の真相は闇の中である。この事件の結果、最後の国王ギャネンドラが即位した。しかしながら、この事件もひとつのきっかけとして王室は求心力を失い、内戦と民主化運動によって退位をよぎなくされることになった。
 「ここが国王が射殺された弾丸が発射された場所」というような看板が立っている。「王妃が殺された場所」、「王子が瀕死の状態で発見された場所」などなど。こういう展示の仕方をするのは、どういう意味があるのだろうか?よい気持ちはしない。私は少しだけ祈って早々に立ち去った。

 カトマンズの町の中をタクシーで移動するのは、ちょっとしたアミューズメントである。道路は無秩序の一言につきる。タクシーはスピードの遅いトラックやバスをどんどん追い越してゆく。車線というものは存在しないかのように反対車線を走る。もちろん正面から対向車がどんどん迫ってくる。それをクラクションを鳴らしながら、すんでのタイミングでやり過ごすのである。おまけに横から人がすっと出てくる。それでスピードを落とすと、その人との間を後ろから二人乗りのバイクがすり抜けていく、というような状態だ。その隙間、ほんの数cm。ネパールの習慣では、タクシーに乗る時はお客さんは助手席に乗るということのようで、スリル満点である。
 ところどころ交差点に信号機があるものの、消えている。最初はカトマンズ名物の停電のせいかと思ったが、停電していない地区でもついていなかったので、そもそも点灯していないということだ。この信号機は日本の援助で設置されたものだそうで、みんな守らないのでそのうち点灯すらしなくなったものと思われる。


 車はバス、トラック、タクシーがほとんどで自家用車はみかけない。今はバイクが爆発的に普及しはじめたところらしい。ちょっとでも隙間があるとつっこんでくるバイクはどこでもヒヤヒヤものである。ひざに子どもを乗せて(もちろんヘルメットなどなし)走っているような様子を見ると肝がつぶれる。

 すでに市内では渋滞がはじまっている。このまま経済発展が離陸していき、市民が自家用車を持ち始めると、あっという間に首都は機能麻痺になってしまうだろう。地下鉄などの鉄道インフラの整備が望まれるところであるが、これには政府の強力な都市計画と交通政策が必要だ。王政打倒以来、各政党がいがみあい、いまだに内戦の危険すらあるような政情不安が続くネパールでは望むべくもない。はやく政治が安定することは、ネパールの友人達が口々に望んでいたことでもある。

 次に仏教寺院スワンヤブナート寺院を訪問。カトマンズ盆地が世界遺産に登録されており、その全体を見渡せる小高い山の上にある。仏塔にはなまめかしい目玉が四方の壁に大きく描かれている。ブッダの目だそうだ。すべてをお見通しということらしい。私はお参りをして般若心経でも唱えようと思ったのであるが、祭壇のようなものはなく、手を合わせている人もいない。
 そのかわりに仏塔の周囲に無数のマニ車がついている。参拝者は仏塔を一周しながらこれらのマニ車を回すということのようである。マニ車の中にはお経が入っていて、これを回すとお経を詠んだことになって、その分功徳を積んだことになる、というわけだ。やけに安直だなと思ったが、考えてみれば、日本でも「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるとした浄土宗の信仰と通じるものがある。今もネパールでは字が読めない人が多い。お経が読めなくても功徳を積む方法がなくては民衆は救われない。私も心をこめてマニ車をたくさん回した。

 ネパールは先住民族がいたところに、インドからとチベット・モンゴルから移動してきた民族が集まった国である。仏教はチベット・モンゴル系の民族の宗教だ。一方、インド系の住民はヒンドゥー教を信仰している。ネパールではこの二つ宗教が仲良く共存している。ヒンドゥー教徒でも仏教寺院に参るという。日本の氏神信仰と仏教の関係に似ている。ヒンドゥー教は多くの神を信仰している。日本の氏神信仰と同じだ。仏教も大乗仏教ではたくさんの仏がいてそれぞれに信仰がある。その感覚はよく似ていて親和的なのだと思う。

 最後に連れていってもらったのは、ヒンドゥー教の寺院である。仏教寺院が山の上にあるのに対してヒンドゥー教寺院は川のそばの低い所にある。ちょうどヒンドゥー教のお祭りのシーズンにさしかかったところで、寺院はとてもにぎわっていた。
 友人たちに連れられて、ひとだかりがしている方に行ってみた。橋があって川が流れている。その横からいく条もの煙があがっている。川べりで亡くなった人の遺骸を火葬しているのである。ちょうどこれから火葬がはじまるというところの橋の上に多くの見物客が集まってそのようすを見ていた。私たちも混じって見物である。遠くからしか見えなかったが、遺骸は棺桶には入っておらず、火葬台の上に寝かされた状態で、上から布をかぶせてある。顔が露出している。
 簡単な儀式がはじまり、親族だろうか、男性が二人上半身はだかになり、川の水を手でくんで頭からかぶっていた。それから担当の人がきて、たきぎをセットしたり、ワラを上にかぶせたりしたあと、火をつけた。ちょうどその時、激しいスコールが降り始めて、火はいったん消えてしまった。待つこと15分くらいだろうか。雨が小降りになって、また火をつけはじめた。

 こうして火葬し、燃え尽きれば遺骨もろともそのまま川に流される。友人たちによれば、カトマンズの火葬場はここだけなので、毎日たくさんの火葬が行われるという。また、2001年に亡くなった国王、王妃をはじめ王族も、ここで火葬され、そして川に流されたという。また自分たちも、死ねばここで川に流されるのだという。
 王族であろうが、誰であろうが、死ねばここで火葬され、川に流される。その様子を観光客も含めて見物できる。ここに来れば自分たちが死んだ後の姿を具体的に想像できるという意味で、私はとてもよいあり方だと思った。死の「見える化」と言ってもよい。肉体はこうして滅びるけれども、魂は死とともに肉体から離れて、どこかに移動する。ここで川に流されるのは、その抜け殻だけ。そういうことが実感をもって理解できるような気がした。

 政情不安と、停電と、道路の大混乱と、祈りの国。ネパールはとても魅力的な国である。


 

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