だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

平和のためのエネルギー(1)

2006-10-11 17:24:19 | Weblog

 最近、螺旋(らせん)水車の研究をはじめた。ちょっとした用水路や沢に流れる水のエネルギーを利用して動力をとりだしたり発電したりする小さな水車である。ドリルの刃を大きくしたような羽根を水路にねかせて回転させる。1920年代から40年代まで富山平野を中心に広く普及していた。北アルプスから流れ下る水の恵みを利用して扇状地地帯で農家が持ち運びできる動力源として脱穀や籾すりなどに利用していたという。その後、農業機械の動力としては非力となり、電動モーターや石油発動機が普及して急速にすたれていった。
 自然エネルギーに関心が集まって久しい。第1のブームは1980年代前半、二回のオイルショックによって石油代替エネルギーへの関心が高まった時。このブームは1985年に原油価格が暴落することによって終了した。現在の第2のブームは1990年代後半、地球温暖化が問題視されるようになって、二酸化炭素を排出しないエネルギー源に関心が高まってからだ。
 大規模なダムを建設する水力発電ではなく、小さな砂防ダムや用水路、水道施設で発電する小水力、マイクロ水力、最近ではピコ水力などと呼ばれる技術の研究開発が盛んになりつつある。環境に負荷を与えないということと、水資源に豊富な日本では活用できる可能性のある水流が無数にあるということがその理由だ。自立した持続可能な地域づくりのためにはかっこうの道具といえる。その中で螺旋水車への関心も半世紀以上を経て復活した。

 世界中に第一次自然エネルギーブームの火をつけたのはA.B.ロビンス『ソフトエネルギーパス』時事通信社1979年である。ロビンスはオイルショックの衝撃のさなかポスト石油社会の行方を論じ、将来のエネルギー利用は、原子力それも高速増殖炉によるプルトニウム利用をむねとするハードパスか、自然エネルギー利用をむねとしたソフトパスか、どちらかであり、その折衷や中間はない、とした。
 その後の四半世紀の世界の歩みは、さまざまな修正が必要だとしても、基本的にはロビンスの議論したとおりに進行しつつあると私はみている。つまり、将来の原子力の可能性を否定した北欧やドイツでは自然エネルギー社会が強力に築かれつつある。一方、先進国の中で唯一といっていいほど原子力にこだわっている日本では自然エネルギーの普及は遅々としてすすまない。最近では経済発展のために原子力開発を望む開発途上国が増えてきて、二つのパスのせめぎ合いは南の国々にも現れるようになってきた。

 今、ロビンスの議論に注目する必要があると私が思う理由は、ロビンスのこのエネルギー問題を論じた本には「永続的平和への道」という副題がついている、という点だ。プルトニウムとは天然ウランを原子炉で燃やしたあとにできる副産物で、これ自体が核燃料になる。それで使用済み核燃料からプルトニウムをとりだして(再処理という)また燃料として使うというのが「核燃料リサイクル」である。日本は使用済み核燃料をすべて再処理するという方針をずっと貫いてきた。これまではフランスとイギリスの工場に頼っていたのであるが、昨年、再処理のための大規模な工場を青森県六ヶ所村に建設し試運転がはじまっている。
 プルトニウムは一方で原子爆弾の材料でもある。天然ウランが目の前にあっても原子爆弾を作ることはできない。ウラン濃縮と呼ばれる高度な技術が必要だからだ。一方、プルトニウムは10キログラムもあればそのまま広島・長崎型の威力をもった原爆が1個つくれる。したがって、その生産、移動、保管には非常な危険が伴い、いきおいその運用は国家による排他的な管理のもとにおかれる。市民には情報は提供されず理解もできなければ運用における意思決定に参加する余地もない。ロビンスはそのような体制がエネルギーの分野のみならず社会全体の仕組みになっていかざるをえないと論じた。エネルギーの利用の仕方が社会全体の体制を決めてしまう、ということだ。一方、自然エネルギーはそのような上からの管理が必要なく、誰でも家庭や地域で設置して運用できる。したがって平和で民主的な社会を望むならソフトエネルギーパスをとらなければならない、というのがロビンスの議論である。

北朝鮮が核実験を行った。国民を飢えさせて核兵器開発をする国家は言語道断である。一方日本でも、先日北朝鮮がミサイル発射実験を行ったら、政権党の政治家が「防衛のための」先制攻撃を口にした。このたびの北朝鮮の核実験を受けて「防衛のための」核武装論がでてくるのは確実だろう。日本に住んでいるとまさか唯一の被爆国の日本が核武装なんて、と思うが実は世界から見れば日本が核武装する可能性はフツーにあると見られている(例えば鈴木達治郎氏による解説)。なぜなら日本は30年かけて25トンのプルトニウムを蓄積している(政府資料)。実に原爆2500発分である。一方、プルトニウムの平和利用のための高速増殖炉の開発は「もんじゅ」の事故によってまったく止まった状態だ。普通の軽水炉でプルトニウムを燃やすプルサーマルというやり方は、コスト的にもエネルギー収支からいってもほとんど意味がない。その中で、今日、自前の再処理工場までつくってさらにプルトニウムを生産しようとしている。利用するめどのないプルトニウムをどうして膨大なコストとエネルギーをかけて生産しようとするのか?冷静に考えると核武装しようとしているとしか見えないだろう。おりしももっともタカ派の人物が首相となった。「いよいよか」と固唾をのんでいる海外の識者は多いだろう。インドVSパキスタンのような核武装競争が極東アジアでくりかえされようとしていると。ぼんやりしているのは日本に住んでいる私たちではなかろうか。

 螺旋水車の写真を初めて見たとき、私は「これだ」と直感した。その単純明快で愛らしい姿。大正期という日本がもっとも輝いていた時代に、地方の発明家によって開発され町の鉄工所で生産された技術。誰でも一目見ればその仕組みが理解でき、ちょっと腕に覚えがあれば作ったり修理したり改良したりできる。家の前を流れる水路にぼちゃんとつければ(実際はもう少しやっかいだが・・)動力や電力が得られる。けっして枯渇することのない、奪い合うこともない、危険な廃棄物がでることもない、人を傷つけるために使われることもない、平和なエネルギーである。
 最盛期には全国で1万台以上が働いていたという螺旋水車であるが、もっぱら発明家と職人によるひらめきと経験によって開発されてきて、その物理はよくわかっていないという。ここも地球物理学者の端くれとしてはそそられるところでもある。実験機を製作してよくよく観察・計測を行ってその物理を明らかにしたい。それによって改良の手がかりが得られるし、どのような条件の場所に適するのかがはっきりするだろう。
 このような地道な研究開発とコミュニティビジネスとしての普及が、核武装などというぶっそうなことを考えなくてもすむ世の中をつくることに、遠回りだが近道なのだ。そしてその道のりがロビンスの言うソフトエネルギーパスなのだろうと思う。
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2 コメント

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こんばんは。はじめまして。 (imacoco)
2006-10-11 17:36:47
凄く面白い話ですね。螺旋水車。

ちょっとした小川で使える発電キットは売られていると云うのは昔聞いた事がありましたが。

私は、原子力は平和利用であっても、するべきでは無いと思いますよ。そのツケ、核のゴミを先の何十\世代、何百世代に なるかも知れないのに、押し付けて今だけ良ければイイじゃん、と云う様な心遣いのカケラも無いエゴイズム。



核兵器を作らなければ良いと云う考えは、駄目だと思います。それに、原発から排出される放射能\は 環境に散らされる為に、基準値以下にされるだけで…。 その蓄積は、確実に進んでいます。
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THANKS! (daizusensei)
2006-10-13 15:14:32
imaccoさま>原子力に関してはおっしゃるとおりと思います。前に原子力発電所に見学に行って、煙突があるのに???何がでるの?と聞いたら、建屋内の換気の出口だとのこと。定期検査の時に原子炉の釜のふたを空けると、たまっていた放射性のガスが煙突からでていくのです。高いところからうすめて出せば法律に触れない、ということです。同じことは作業服を洗った水に含まれる放射性元素も水でうすめて排水されています。これらは法律で認められた行為です、ということを知ってびっくりしました。原子力発電所の見学も一度はオススメですね。









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