だいずせんせいの持続性学入門

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日露戦争100年(その2)

2006-01-09 17:38:51 | Weblog

 2004年、05年は日露戦争から100年の年で、あらためてこの戦争を振り返る本の出版やイベントがあいついだ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』もNHKの大河ドラマとして制作が進んでいるらしい。『坂の上の雲』が戦争を指導する立場の人間達のドラマであるとすれば、その命令を受けて実際に前線で戦った兵士やそれを送り出した家族やその地域の人々など、庶民がこの戦争をどう戦ったか、という点では、大濱徹也『庶民のみた日清・日露戦争』刀水書房2003年が秀作であろう。この2編は必ずセットで読まなければならないと思う。

 戦争というのは異常なできごとであって、特に前線に向かう兵士の気持ちを想像すると「アリエナイ」ことだと思う。戦争指導者の立場から言えば、前線に送った部隊の兵士に犠牲者がでるのは自明のことである。犠牲者がでないような状況では最初から敵は退却しているのであり、戦闘は発生しない。戦闘が発生するということは、戦ってみなければ勝敗の行方はわからないから戦闘になるのである。犠牲の上に勝利を得るのが戦闘だ。後方にいる指導者は前線の部隊に対して犠牲をものともせず勇敢に戦ってほしいと願うし、それを強制的に強いるのであれ、自発的に指導者と同じ気持ちになるのであれ、兵士にそう行動させるしくみが軍隊という制度だ。
 一方、前線に送られる兵士の方は、戦闘が終了した時に再び部隊の全員が揃うことはないということを知っている。犠牲になる人間が誰になるのかは、いわば運の問題である。特に日露戦争の陸軍の戦いは、大きな犠牲を出していた。旅順攻略戦などは、堅固な要塞に工夫のない正面突撃を繰り返して兵士は機関銃の犠牲になっていた。その同じ戦場に同様な作戦に従事するために向かうとしたら、自分の死については想像せず作戦の成功をひたすら願っているか、人間としての感情をいっさい失って命令に服従する機械のようになっているか、一瞬でも先のことは考えないように成り行きにまかせているか、運を信じて自分は弾にあたらないと思うか、それともここで死んでもかまわないと思うか、どれかだろう。おそらく兵士はこれらの感情がないまぜになった心理状態で前線に向かうのではないだろうか。

 『庶民のみた日清・日露戦争』によれば、明治に入って徴兵制がしかれてからしばらくは、徴兵忌避の風潮が強かったらしい。農家の次三男はいやおうなく徴兵されたが、それ以外はいろいろと免除条項があって集まらなかった。それが日清戦争を準備する過程で免除条項が削減されて徴兵が強化される。そうすると、一家の大黒柱も徴兵されることになる。農民の生活はきびしく、招集によって突然男手がなくなるととたんに生活に困る。兵士にとって家族の生活に対する心配を「後顧の憂い」というそうで、それは兵士の士気にかかわるため、主に村落共同体の中での相互扶助によって留守家族の生活を支援する体制がつくられる。

 このようにコミュニティをあげて協力する体制があってはじめて戦争というものは遂行できるのであり、それは一方では、招集される兵士にとって心理的な包囲網ともなる。『庶民のみた日清・日露戦争』はキリスト者の立場から日露戦争への兵役を拒否した矢部喜好を紹介しており、その弟の手記を引用している。これによれば喜好の兵役拒否は家族にとって迷惑以外なにものでもなく、「その頃の記憶は如何に考えても陰惨なものだった。周囲は国賊の一家として白い眼を向ける」中で、喜好が銃殺刑に処されるのを待っていた、というものだった。実際には禁固刑の後に後方部隊に入りほどなく講和を迎える。
 この構図は半世紀たったアメリカでも同様だったらしく、ベトナム戦争でたたかったアメリカの作家ティム・オブライエンの自伝的小説『僕が戦場で死んだら』白水社1994年によれば、作者は徴兵されて前線に送り込まれる前に脱走することを入念に計画し、実行する一歩手前で踏みとどまるのであるが、その心理的に包囲されたような気持ちは同様なものであったと思われる。「僕は兵隊になりたくなかったし、・・・かと言って僕が知っている秩序、僕が知っている人々と僕自身の世界のあいだの個有のバランスをくつがえしたくなかった。僕がその秩序を尊重しているからというだけではない。僕はまたその秩序がなくなった場合のことを怖れていた-避けられない混沌、非難、困惑、僕のこれまでの人生に起こったすべてのことの終わり、一切合切の終わりを。」
 宮本常一の『忘れられた日本人』岩波文庫1984年には愛知県北設楽郡旧名倉村の老人達から聞き取った話の中に、「万歳峠」という話がでてくる。村から日清・日露の戦争に出征する兵士を村はずれの峠まで送って、そこで万歳をして別れる。それで万歳峠という名がついた。日清戦争の時には峠の頂上で万歳をして別れたが、それでは別れてすぐに兵士は藪のかげに隠れて見えなくなってしまう。それで、日露戦争の時には、峠の手前で万歳をして別れ、しばらく峠を越えるまでは後ろ姿を見送りつつ、兵士の方も振り返りつつ別れを惜しんだという。送り出す方も送り出される方も、単純な戦争協力の姿というにはあまりに複雑な胸の内がうかがわれる話だ。

 一方、戦場に行ってみると、そこは兵士にとって恐怖の場であるとともに、「楽しみ」の場ともなりうる。ベトナム戦争の是非を議論するオブライエンに対し、訓練部隊の上官は次のように諭す。「それはよくわかっておる。誰しもみんな怖いのだ。しかしその中に入ってしまえば、心配いらん、怖くなくなるものだ。それどころか、ときには胸がときめくこともある。人間対人間、勝つのは一方だけだ。」「胸がときめく」こともあるからこそ、皆が脱走しないどころか自ら走って弾に向かっていく日常がなりたちうるのだろう。
 『庶民のみた日清・日露戦争』は、日清戦争での旅順攻略に参加した兵士の手記を引用している。「人家に居るも皆殺し大抵の人家二三人より五六人死者のなき家はなし。・・捜索隊を出し或いは討ち或いは切り敵は武器を捨て逃げるのみ。之を討ち或いは切る故実に愉快極まりなし」。旅順では日本兵がさらし首になっているのをみて激昂した日本軍による虐殺が行われた。非戦闘員の市民が多数虐殺されたと思われる。これを「愉快極まりなし」と感じる悪魔の心が人間にはあるということだ。
 悪魔の罠は一見平和そのものの私たちの日常にもふりまかれている。テレビではドラマや映画となれば殺人シーンがフツーにお茶の間に流れる。こどもたちは無邪気なキャラが銃で敵をやっつけるシューティングゲームに夢中だ。テレビのニュースは、連日、殺人事件を微に入り細に入り伝えつづける。これらはそれらのできごとを、眉をひそめながらもどこか受け入れる気持ちが受け取る側にあってはじめて日常としてなりたつのではないだろうか。

 死線をくぐって幸運にも戦場から生還した兵士がうまく社会に復帰できないという状況は、ベトナム戦争どころか日露戦争からすでにみられていた。「無事に生還した兵士は、戦後社会の冷たい仕打ちに怒り、酒におぼれ、女にたわむれ、あるいは白刃を握ってすさぶことで、その鬱屈たる心の思いを晴らす」日々を過ごした。「己は日露の戦役で勲章を貰ったものであるから、今更従来の如に家業に精を出すことが出来ない」(『庶民のみた日清・日露戦争』p230)などとうそぶくものもでる。おそらく帰還を待ちわびた家族は喜びもつかの間、その人柄が変わってしまったことに途方にくれたであろう。一度悪魔の業に手を染めた人間が日常の暮らしにもどるのは困難といえよう。
 もちろんそれでも生きて帰還した者とその家族は幸せである。『忘れられた日本人』にでてくる周防大島の増田伊太郎は、幕末からほうぼうを歩き回り、大工などをしながら無鉄砲な人生を送ったのであるが、日露戦争で長男を亡くした多くの父親の一人となった。「平素ほったらかしにしていた子であったが心の中では限りなく愛していた。伊太郎は息子の死がガックリこたえたようで、まだ働ける年なのに、それからぷっつり旅をやめ火鉢の前にすわったまま一日中きざみ煙草をキセルで吸っていた。その生活を三十年もくずさず八十をすぎて死んだ。そして人が来て相手になってくれれば、すぎ去った日をつきる事もなく話しつづけた」という。これが庶民に対して日露戦争がもたらした普通の光景であっただろう。

 こうしてみてくると、100年前の日露戦争も、現在行われているイラクでの戦争も、命令される側の庶民からみれば、ほとんど同じことが起こっていることがわかる。イラクでは今もアメリカ軍による武装勢力の掃討作戦が行われており、その中で多くの非戦闘員の市民が犠牲になっているという。悪魔の業がおこなわれているのだ。アメリカでは息子を失った母達がほとんど唯一イラクでの作戦の即時中止を訴えるグループである。イラク帰りのアメリカ兵の社会不適応も問題となりはじめた。考えてみれば、外国での帝国主義戦争という面では日本やロシアにとっての日露戦争もアメリカにとってのイラク戦争も同じである。かり出される若者とすれば何の個人的な恨みも利益も感じられないなかで遠くの死地に赴かなければならない。
 そして日本はイラクに自衛隊を派遣し、戦闘に参加しないまでも、海外への派兵の既成事実を積み上げている。さらに憲法9条を改正する、もしくはそれを容認する勢力が国会で多数派になった今、憲法改正案が具体的に議論される段階となった。日清日露から昭和の戦争というはかりしれない内外の犠牲を払って学んだ非戦の誓いを、ここで反古にするわけにはいかないと私は思う。
 もし『坂の上の雲』が原作のテーストを残したままドラマ化されるのであれば、私は見たくない。このタイミングでドラマ化されるとなると政治的な意図を感じる。それは戦争指導者の立場からみた戦争であり、ひとりずつかけがえのないひとつの命をもった人間の集団として軍隊が描かれるわけではなく、数字と戦力としてとらえられるものだからだ。むしろ、旅順攻略戦の最中に、自分のピストルで自分の手を撃ち、前線を離脱した兵士が少なからずいたという『庶民のみた日清・日露戦争』に描かれている姿をリアルに伝えて欲しいものである。
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