惣十稲荷神社
鎮座地 昭和町4-8
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
解説
富士塚上に浅間神社と稲荷社がある。
天保6年(1835)当地の百姓権八の妻「しま」が大病にかかった折、
神懸りして名主の七郎右衛門に言うことには、
「私は肥後熊本の惣十稲荷だが、
ここに200年も住んでいるのに誰も知らないし宮もない。
住み慣れた仙元山に祠を建ててほしい・・・」
あるいは別の説では、
「以前あった稲荷の祠を再建してほしい」
・・・と言ったため社殿を建てたところ、
しまの病気はたちどころに治ったという。
以来病気治癒に霊験あらたかと、参拝者が後をたたなかったという。
富士塚の方はいつ築かれたのか不明。
以前は富士仙現社などといった。
当地には冨士講があり、
幕末から明治にかけて活動した、柳川直右衛門などの富士講の行者の存在も知られているが、
当社とのかかわりはわからない?
鎮座地 昭和町4-8
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
解説
富士塚上に浅間神社と稲荷社がある。
天保6年(1835)当地の百姓権八の妻「しま」が大病にかかった折、
神懸りして名主の七郎右衛門に言うことには、
「私は肥後熊本の惣十稲荷だが、
ここに200年も住んでいるのに誰も知らないし宮もない。
住み慣れた仙元山に祠を建ててほしい・・・」
あるいは別の説では、
「以前あった稲荷の祠を再建してほしい」
・・・と言ったため社殿を建てたところ、
しまの病気はたちどころに治ったという。
以来病気治癒に霊験あらたかと、参拝者が後をたたなかったという。
富士塚の方はいつ築かれたのか不明。
以前は富士仙現社などといった。
当地には冨士講があり、
幕末から明治にかけて活動した、柳川直右衛門などの富士講の行者の存在も知られているが、
当社とのかかわりはわからない?