『パミラ』つづき―聖女なる小間使いパミラ

さて、やっと小説『パミラ』のつづきです。

『パミラ』がイギリス小説の始祖であり、書簡体で書かれていて、
主人公が小間使いであることは、前回の記事でご紹介しました。
(もっと詳しく知りたい方はこちら↓をどうぞ。)
■過去記事イギリス小説は召使から始まった。

ここでちょっと、補足です。
『パミラ』に対する、18世紀当時の読者の反応について。

David Lodge著The Art of Fictionによると、
『パミラ』を初めて読んだ当時の多くの人々は、この書簡小説を
本物の「書簡」だと思ったそうです。

つまり、実在するひとりの小間使いの娘が、
ご主人さまの誘惑に抗い続ける決意と苦悩を、故郷の父母宛てにつづった
本物の手紙(をまとめた本)だと思ったのです。

ちなみに『パミラ』の作者リチャードソンは
「ただの編集者」と思われていたそうで。あはは。

当時の読者が「これは本物の手紙だ」と思うのは無理もありません。
なんせそれまで“小説(Novel)”が無かったのですから。

『パミラ』の訳者、海老原俊治氏は「英語の小説(ノヴェル)の条件」として、こう述べています。
1. つくりごと(ノン・フィクションに対するフィクション)である。
2. 散文である。
3. 実生活に即している。
(「筑摩世界文学大系21」昭和52年 リチャードソンの解説より)

3番目が重要ですね。《実生活に即している》
『パミラ』を読んではじめて、当時の人々は今までに無い、リアルで、
まったく新しいスタイルの読み物“小説”に初めて出会ったのです。


さて、そのことを念頭に置きつつ、私もさっそく『パミラ』を読みました。

「えー、昔の小説でしょう? さすがに古臭くて退屈なんじゃないのぉ?」
読む前は少し軽く見てました。正直に言って。

ところが、ところが。

パミラをモノにしようと若主人が繰り出す数々の陰謀と、
誘惑に抗うパミラとの攻防が見せ場なのですが、
手紙で実況中継するパミラが情報を小出しに見せるので、
「ええっ、次はどうなるのォ?」とぐんぐんひっぱられてゆく。
まるで昼の連続ドラマのようなハラハラどきどき感。

いや、実際、昼の連続ドラマにしたら、けっこうウケるんじゃないだろうか。

たとえば、
舞台を明治時代の日本に変えて、
華族だが卑俗で女好きな若主人と、その彼に仕える貧しく清純な小間使い。
身分違いのふたりの愛のかけひき。おお、なんかありそうだぞ。

現代において、昼の連続ドラマをノン・フィクションだと思って観る人は、
いないでしょう。

しかし『パミラ』を読んだ当時の読者は、この連続ドラマの原型ともいえる物語を「本当にあった話」だと思って読んでいたのですから、
その興奮たるや、「電車男」をネット上リアルタイムで読んだ人の比では無かったでしょうな。
「このパミラって娘、ついに×××(つまり、その、なにです)されちゃうの!?」

なんせ恋に狂った若主人はパミラに、
現代の言葉で言うところの「拉致、監禁、虐待、強姦未遂」までされてしまうんですから。(品良く描かれていますが、している内容はすごい。)

 三文の値打ちもない小間使いの操
小間使いの職を辞して両親のもとへ帰れるようになったパミラ。
これでやっと若主人とも縁が切れ、平穏な日々を送れる。
…と安心したのもつかの間。
若主人の陰謀により、
パミラは家路の途中で誘拐され、若主人の別邸に監禁されてしまいます。

若主人はパミラに、野卑で乱暴なひとりの女中を監視につけます。
憎まれ役を女中に押し付け、自分は誠実をよそおい言葉たくみに言い寄ります。
さらにある時は下女に扮装して(!)寝室に忍び込み、夜這いをかけようとする。
(が、毎度のとおり、パミラが失神して目的を遂げられない)

他の者との接触を絶たれたパミラ。
館を訪れた見習い牧師に、こっそり秘密の通信文をたくし、
当地の教区牧師や、貴族名士に助けを求めます。

ところが彼らの反応ときたら。

牧師『聖職者の一人や二人がいかんともしがたい当世流行の病弊なのだ』

貴族『御近所のどなたかがおっ母さんの小間使に気があるというだけの話じゃないか。―略―れっきとしたうちの娘に傷がつくわけじゃないんだから』

…こんなもんですよ、みなさん。小間使いの操なんて。二束三文の扱いです。
いくら宗教上で、道徳上で処女性の美徳が叫ばれようとも、
それは「レディ」に限ってのことであって、いち小間使いの処女性喪失の危機など
「よくある話、とるに足らんこと」

作者リチャードソンは、操を固守したパミラとすっかり改心した若主人にハッピーエンドを迎えさせることで「操を守ることの大切さ」を読者に訴えたのでしょうが、わたしなんぞは、あまりに浮世離れしたパミラの聖女ぶりに、
「パミラほど無垢ではない、当時のフツーの小間使いたちは、いっぱい泣かされたんだろうなぁ…」と、そっちのほうに思いをはせてしまいます。

すっかり孤立無援となったパミラは、悶々と閉ざされた日々を過ごします。
ここで私が気になるのが、パミラの監視役をつとめる「野卑で乱暴な」女中の存在です。
女中の名は、ジュークス。
パミラと同じ召使階級でありながら、その容姿と性情において「聖女」パミラと対をなす存在です。

「聖女」小間使い VS 「下司」女中

『あたしを敵にまわしたらことですよ。あたしゃ旦那様に忠実なのが自慢なんですからね』

ジュークスは若主人が別邸に来られないあいだ、パミラへの扱いについての命令を記した若主人の手紙にしたがい、監視に目を光らせます。

乱暴なジュークスはときに、命令をこえた虐待をパミラに加えます。
外に出られないように靴を隠したり、所持金を取り上げたり、下卑たシモ方面のジョークを浴びせ、さっさと旦那様と決着をつけろとそそのかします。
(好みによりますが、わたしは彼女のガラッパチの口舌は、好きです)

これらの仕打ちにさすがの「聖女」パミラも、ふだんのソソとした態度をかなぐり捨てて、「この悪魔の手先め」とジュークスに面と向かって罵倒します。
監禁中に忍んで書きつづった手紙の中でも、らしくない言葉でもってウップンを晴らしています。
さて、あの人でなしはこんな風体なのだ―いかつい、蟇蛙(がまがえる)みたいな、デブデブした、肥っちょの―人間離れした、みっともない女なのだ。四十くらいになる。馬鹿でっかい手をしていて、腕はわたしの腰くらい太い。鼻は脂ぎっていて、曲がっている。モシャモシャした眉毛が目の上に垂れ下がり、意地の悪い灰色の目をグリグリ剥き出している。顔は平ったくて、色と来たら、一月も漬物樽につかっていたようだ。(略)で、そういう顔に劣らず、見下げ果てた気性のこの女のことを考えただけでも、わたしはゾッとする。
(カッコ内読み仮名はブログ筆者)

あらまあ、にべもない(笑)。
しかし、悪口のほうが褒め言葉よりも冴えるってのは、本当ですね。
謙遜ばかりするパミラの言葉が、いつもより活き活きしてます。

おそらく作者はパミラの清純さと対比させるために、下司なジュークスをそばに置いたのだと思います。

が、わたしは憎めませんねぇ、この人。

ジュークスの、パミラに対する考えは一貫しています。それは、
“なんて世間知らずで、ものわかりの悪い強情っぱりな子羊なんだろう”

いまの若主人に仕える前は、宿屋の女中頭をしていたというジュークスは、
世情に通じた年増です。

女の操を奪うのはその喉を切る以上の悪事だ、と言い切るパミラに、
男がきれいな女に懸想するのは当たり前、女の喉を切るほどの悪事じゃない、と笑い飛ばします。

乱暴を働くのは度を越えて主人に忠実だからで、けっしてパミラが憎いからではない。パミラの美しい容姿にやっかみもしない。それどころか“なぜせっかくの美しい容姿を利用して、現在より良い暮らしを手に入れないのか”
パミラの初心さ加減に、なかばあきれ返っている。
「あんたってひとは骨の髄まで美人に生まれついてるんだね。でなけりゃ、そうものを食べず、じっとしていず、おまけに、なんでもないことにメソメソワーワーやっていながら、そんなにケロリとしていられるわけがない。」

少々鼻につくパミラの聖女ぶりを、ジュークスが下卑たセリフでこき下ろす。

わたしは、パミラの嘆きの訴えを「正しい」とは思いつつも、
ジュークスの言い分も理にかなってるよなぁ…と。

『パミラ』を初めて読んだ当時の読者は、どちらの召使に共感したのでしょうか。

※記事中の『』内、および引用文はすべて「筑摩世界文学大系21」昭和52年による。(太字はブログ筆者countsheep99)

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コメント
 
 
 
面白いね (くろにゃんこ)
2006-07-08 08:45:33
昼メロ感覚なのか。

大げさでドロドロした昼メロって、けっこうウケる。

そういえば、映画「風とともに去りぬ」を観たとき、これは昼メロだね、と思ってしまいました(笑)



そういえば、カフカ「失踪者」では、主人公カールが年上の小間使いだか召使いに誘惑されて、子どもが出来てしまったことで、両親によってアメリカに流されるのじゃなかったかな。



旦那様って、やること凄いね。

そこまでするか。

ますます、読みたいと思ってしまいましたよ。
 
 
 
ネタ提供ありがとうございます(笑) (countsheep99)
2006-07-09 13:22:52
カフカ! ごぶさたです。

「変身」「流刑地にて」以来だ。

(「流刑地にて」は村上春樹の「海辺のカフカ」の時にあわせて読んだ)



くろにゃんこさん、6月のブログにカフカを書いてますね。よし、「失踪者」読むぞう。ふっふっふ。



「パミラ」では書簡小説の面白さをたっぷり味わいました。

なにせ「清純で初心な娘が敬愛する父母宛てに近況報告する」という設定ですので、ご主人から受けた欲情の仕打ちを、パミラは両親を気づかって刺激を与えないような筆致で描いています。



そのぶん、読者の想像力を刺激するしくみになっているわけで…作者リチャードソンはそれを意図していたんだろうなあ。上手いなぁ。



まだパミラがご主人から直接の手出しされていない初めのころ「こんなご親切を受けました」と無邪気に喜ぶ娘に「それはなにか含みがあってのご親切ではないのか?」と、両親もそれとなく言葉を選んで書いています。(もちろん読者には両親が本当はなにが言いたいのか分かる。)

このひねくりかたが、イギリスっぽいなぁと思います。



「パミラ」の海老原俊治氏の訳は美しく、新鮮でした。

「古い作品だから古臭い訳なのでは」と勝手な思い込みは、いけませんね。



 
 
 
読み終わりました (くろにゃんこ)
2006-08-04 08:34:21
海老原俊治氏の訳が良かったです。

流れるような話し言葉なので、あれよあれよという間に2時間くらい没頭してしまい、気付くとすっかり深夜になっていたということが数日ありました(泣)

なにはともあれ、面白い小説を紹介していただいて、ありがとうございました。
 
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