執事・メイド・従僕・使用人について。あらゆる作品が対象。出版元の詳細は記事中の作品名をクリック。amazonに行けます。
執事たちの足音
画家ホガースが描いた六人の召使たち
まずは、じっくりと、下の絵をご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/0a/26dcd5a6d82ca51dfd64c92a2ebe4c3a.jpg)
Heads of Six of Hogarth's Servants
(ぜひイメージ拡大で!こちらをクリック→イメージを拡大)
題名から分かるとおり、この油彩の肖像画に描かれた六人は、みんな召使です。
作者は18世紀イギリスを代表する画家、
ウィリアム・ホガース(William Hogarth)。
ホガースに長年仕えてきた召使たちを、ホガースみずからが描いた晩年の作品です。
この絵に出合ったのはつい先日、ホガースをテーマにした大学の授業でのこと。
講堂の巨大スクリーンに、この絵がどどーんと大写しされたました。
描かれている人物たちが全員召使だと聞いて、びっくり。
「え、モデルが召使? 貴族とかじゃなくて?」
しかも油絵だ。
絵を商売としながら、高価な油彩絵具を使って、わざわざ召使いをモデルに選んで描くとは。ホガースって、いったい…?
しかもその出来栄えたるや!
見てください。この活き活きした表情。
描かれた六人それぞれの性格まで分かるようです。
そして「生活力に裏付けられた強さ」みたいな力もうかがえます。
わたしは、右下のメイドさんの表情が、とても好きです。
紅潮した頬に、きゅっと上がった口角。
緊張しながらも、誇らしげで、でもちょっと恥ずかしいような。
真ん中の執事も、面白い。
ゆるんだ口元に、赤鼻。身もフタも無いほど、リアルです。
(日本では「焼酎を長年愛飲すると赤鼻になる」といわれますが、この執事はふだんどんなお酒を呑んでいたのかなぁ―なんて、想像が膨らみます)
しかしここまでモデルを写実的に描けたのは、彼らが召使いだったからでしょう。
モデルが貴族であったら、こうはいきません。
展覧会が無かった当時、画家が名を売るには貴族階級にパトロンを見つけ、頼るしかありませんでした。
つまり、貴族が気に入るような絵を描かなくてはならない、ということです。
たとえモデルの公爵が飲んだくれの赤鼻でも、そこは丁寧に塗りつぶし、威厳のある鼻に描かなければいけない。
モデルが召使であれば、そんな縛りはなく、自由にのびのび、見たままを描けます。
わたしは、ホガースが装飾をはぶいて露骨なほどリアルに描いたからといって、ホガースが下層階級であるモデルの召使たちを低くみている、と言っているのではありません。
むしろ、逆です。
主従という関係にありながら、性格を絵に写し出すほど召使たちを観察し、向き合い、召使をひとりの人間・個人として浮かび上がらせようとしたホガースの視点に、驚嘆するのです。
いったい、どんな人物なんだ。ホガースって。
立志伝中の人物、ホガース
The Painter and his Pug (1745)
ホガースの自画像。
愛犬のパグと一緒に。
飼い主に似てる。
かわいい。
ホガースはロンドン生まれのロンドン育ち。
父親は教師、公正係、辞書執筆者といった貧しい知識階級で、当時の下層階級らしくホガースもおよそ教育らしい教育を受けずに育ちました。
ホガースはその生涯を銀細工師の徒弟から始めました。
つぎに版画家になり、そして画家へ、それから国王付き宮廷画家の婿となり、さらに歴史画家を経て、最後はみずから宮廷画家となりました。
ホガース作品で有名なのは、なんといっても連作版画・絵画ですね。
Gin Lane イメージを拡大
『ジン横丁』。ジンに耽溺狂乱するロンドンの下層階級の人々を描いている。酔っ払った母親が赤ん坊を落っことしているのが象徴的。
この版画は、ブログ筆者の経験でいうと、18世紀のロンドンについて調べようとモノの本を開くと、かっなっらっずっ! というほど載っていました。(平凡社『路地裏の大英帝国』
という本の表紙にも使われています)
ホガースは、まさに立志伝中の人物。ゼロからのたたき上げ。
下層階級から這い上がり、ついにには六人の下男を抱える裕福な生活を送れるようにな
ったのです。
商売上手で、野心家で、心根がやさしくて
『ホガース ヨーロッパ美術に占める位置』〔*注1〕に、ホガースの考え方と性格を言い表した文があります。
さまざまな面を持ち合わせている。
複雑な人、というよりは、だからこそ人間そのもの、とても人間らしい人のように感じます。
ホガースの作品群も、性格と同じように一言では言い表せないくらい、絵の対象や作法が多岐にわたっています。
貴族を相手に肖像画で商売するときは、当時貴族のあいだで流行していた荘厳なバロック=ロココ調に仕上げる。
いっぽうで時事的な話題を題材にして、スケッチ風のルポルタージュに似た絵画も描く。
さらに絵の購買層のターゲットを大衆(=下級階層)にしぼった版画では、動きと表情を重視しした「見て分かる」版画を量産する。
観るものの好みに合わせた作法を選ぶところが、商売上手だなぁと思います。
芸術家というよりやり手の実業家のようです。
ですが、金儲けばかりを考えているわけではありません。
それまでほとんど手をつけられていなかった、刑務所や病院の悲惨な現状を描いて人々の窮状を訴え、またロンドンにつくられた「捨て子養育院」の院長 ― 有用でありながら無名の人物 ― の肖像画を描きました。
(ホガースはこの捨て子養護院の熱心な管理委員謙賛助会員であり、みずからふたりの孤児を四年間ひきとった。)
『パミラ』の挿絵を断ったホガース
先の同書に、彼の考え方をよく表わしている面白いエピソードが載っていました。
以前当ブログでも取り上げた、小説の始祖『パミラ』〔*注2〕の作者リチャードソンは、ホガースに『パミラ』挿絵の依頼をしたそうです。
ところが。
「仲の良い二人ではあったが、ホガースはそれを断った」らしい。
長い経験から下層階級から上流階級まですべての階級に通じていたホガースにとって、理想的な家庭生活の美徳(妻の貞淑・夫唱婦随)を謳う『パミラ』は「疑いもなく、感傷的でありすぎ、気取った偽善性すらあり、自然に忠実でないと思われた。」
ここでちょっと実際に、『パミラ』の結婚式シーンの挿絵(ジョゼフ・ハイモア画)のと、ホガースの当時の結婚を題材した絵を見くらべてみましょうか。
ホガースの絵に対する姿勢が分かります。
Pamela is Married
(1743-4頃) イメージを拡大
物語の大団円、B氏との結婚式の場面。おとなしい、まるでお人形のような、生気のないパミラ。
画家のハイモアは当時、肖像画家として中流階級に人気があった。
Marriage A-la-Mode:
1.The Marriage Settlement
(1743頃) イメージを拡大
こちらは同時代に描いたホガースの『当世風結婚』。両家の財産についての取り決めを相談している場面。
夫婦となる当の本人たちは、互いにそっぽ向いてます(笑)。
ホガースはリチャードソンのように、人々の手本となるような“理想的な人物像”を描いて範を垂れるのではなく、ロンドンに生きる人々の現状を、批判・冷笑・風刺的な視点で徹底的に描くことで、人の行うべき正しい道を示したのです。
(このホガースの考え方は、『パミラ』を茶化した二作品『シャミラ』『ジョーゼフ・アンドルース』を書いたフィールディングの考え方と共通しています。)
モデルとなった召使たちは、どう思ったか
さてここで、もう一度ホガースの召使の絵、
Heads of Six of Hogarth's Servants に戻って、想像を膨らませたいと思います。人気画家である主人からモデルを頼まれたこの六人の召使たちは、どんな気持ちだったんでしょうか。
ホガースの召使たちに対する態度は、
「長年彼のために仕えた使用人に対して暖かい気持ちを持っていたが、厳格だったことはよく知られている」(前掲書より引用)
そして、
「主人の作品の熱烈なファンであった下男のひとりもここ(注:召使の絵)に記録されている。」
まあ! 誰でしょう? 右上の男性でしょうか。(真ん中上の男の子はファンと呼ぶには小さすぎるよなぁ)
ここに描かれた召使たちは、おそらく、ホガースのもとに仕えなければ「自分の肖像画」なるものとは無縁のまま生涯を終えたでしょう。
写真の無かった時代です。
自分の姿を絵に残すなんて、よほどのお金持ちでないと出来ないゼイタクです。
召使たちは、とても自慢に思ったのではないでしょうか。
とくにメイドたちは、若く美しい娘時代を残せるのだから、そうとう嬉しかったに違いありません。
アトリエから、主人の呼び声が聞こえる。
召使たちは仕事を止め、いそいそといっちょうらに着替えて、髪を整える。
召使いたちは、背筋をしゃんと伸ばし、誇らしげにアトリエに立つ。
(ご主人さまの筆で、一介の召使である私たちの姿が、後世に残るのだ)
筆の音が響くなか、主人と召使たちは、
キャンバスをはさんでまっすぐ向かい合う―
そんな主従の静かなひとときの情景を思い浮かべてしまいます。
〔*注1〕参考文献:『ホガース ヨーロッパ美術に占める位置』
フレデリック・アンタル著(英潮社 昭和五十年)
記事中の太字はすべてこの著書からの引用です。
〔*注2〕小説『パミラ』については、過去記事のこちらをご参照ください。
イギリス小説は召使から始まった。
また、掲載した絵画は、Tate Online
および The National Gallery よりお借りしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/0a/26dcd5a6d82ca51dfd64c92a2ebe4c3a.jpg)
Heads of Six of Hogarth's Servants
(ぜひイメージ拡大で!こちらをクリック→イメージを拡大)
題名から分かるとおり、この油彩の肖像画に描かれた六人は、みんな召使です。
作者は18世紀イギリスを代表する画家、
ウィリアム・ホガース(William Hogarth)。
ホガースに長年仕えてきた召使たちを、ホガースみずからが描いた晩年の作品です。
この絵に出合ったのはつい先日、ホガースをテーマにした大学の授業でのこと。
講堂の巨大スクリーンに、この絵がどどーんと大写しされたました。
描かれている人物たちが全員召使だと聞いて、びっくり。
「え、モデルが召使? 貴族とかじゃなくて?」
しかも油絵だ。
絵を商売としながら、高価な油彩絵具を使って、わざわざ召使いをモデルに選んで描くとは。ホガースって、いったい…?
しかもその出来栄えたるや!
見てください。この活き活きした表情。
描かれた六人それぞれの性格まで分かるようです。
そして「生活力に裏付けられた強さ」みたいな力もうかがえます。
わたしは、右下のメイドさんの表情が、とても好きです。
紅潮した頬に、きゅっと上がった口角。
緊張しながらも、誇らしげで、でもちょっと恥ずかしいような。
真ん中の執事も、面白い。
ゆるんだ口元に、赤鼻。身もフタも無いほど、リアルです。
(日本では「焼酎を長年愛飲すると赤鼻になる」といわれますが、この執事はふだんどんなお酒を呑んでいたのかなぁ―なんて、想像が膨らみます)
しかしここまでモデルを写実的に描けたのは、彼らが召使いだったからでしょう。
モデルが貴族であったら、こうはいきません。
展覧会が無かった当時、画家が名を売るには貴族階級にパトロンを見つけ、頼るしかありませんでした。
つまり、貴族が気に入るような絵を描かなくてはならない、ということです。
たとえモデルの公爵が飲んだくれの赤鼻でも、そこは丁寧に塗りつぶし、威厳のある鼻に描かなければいけない。
モデルが召使であれば、そんな縛りはなく、自由にのびのび、見たままを描けます。
わたしは、ホガースが装飾をはぶいて露骨なほどリアルに描いたからといって、ホガースが下層階級であるモデルの召使たちを低くみている、と言っているのではありません。
むしろ、逆です。
主従という関係にありながら、性格を絵に写し出すほど召使たちを観察し、向き合い、召使をひとりの人間・個人として浮かび上がらせようとしたホガースの視点に、驚嘆するのです。
いったい、どんな人物なんだ。ホガースって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e0/d521b5058e0dfbf75897683f2b383cbf.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/70/d4a65c6b971800f09b73249eac948f5a.jpg)
ホガースの自画像。
愛犬のパグと一緒に。
飼い主に似てる。
かわいい。
ホガースはロンドン生まれのロンドン育ち。
父親は教師、公正係、辞書執筆者といった貧しい知識階級で、当時の下層階級らしくホガースもおよそ教育らしい教育を受けずに育ちました。
ホガースはその生涯を銀細工師の徒弟から始めました。
つぎに版画家になり、そして画家へ、それから国王付き宮廷画家の婿となり、さらに歴史画家を経て、最後はみずから宮廷画家となりました。
ホガース作品で有名なのは、なんといっても連作版画・絵画ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/0c/6a2531087f4dc4ed323058907ffb3ca0.jpg)
『ジン横丁』。ジンに耽溺狂乱するロンドンの下層階級の人々を描いている。酔っ払った母親が赤ん坊を落っことしているのが象徴的。
この版画は、ブログ筆者の経験でいうと、18世紀のロンドンについて調べようとモノの本を開くと、かっなっらっずっ! というほど載っていました。(平凡社『路地裏の大英帝国』
ホガースは、まさに立志伝中の人物。ゼロからのたたき上げ。
下層階級から這い上がり、ついにには六人の下男を抱える裕福な生活を送れるようにな
ったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e0/d521b5058e0dfbf75897683f2b383cbf.png)
『ホガース ヨーロッパ美術に占める位置』〔*注1〕に、ホガースの考え方と性格を言い表した文があります。
この文じつは、「(ホガースの考え方と性格を)一言のうちに言い表わそうとすれば―」と前置きがついているのですが、ちっとも一言じゃない(笑)。
ホガースは正直で、穏健で、勤勉で、野心家で、金儲けに忙しく、実際的で、自信家で、体裁に気をつかい、慰楽を愛し、飲食をたしなみ、創意に富み、抜け目なく、根のやさしい、みえっぱりの、機知にあふれた、そしてけんか早い人間であったということができよう。
さまざまな面を持ち合わせている。
複雑な人、というよりは、だからこそ人間そのもの、とても人間らしい人のように感じます。
ホガースの作品群も、性格と同じように一言では言い表せないくらい、絵の対象や作法が多岐にわたっています。
貴族を相手に肖像画で商売するときは、当時貴族のあいだで流行していた荘厳なバロック=ロココ調に仕上げる。
いっぽうで時事的な話題を題材にして、スケッチ風のルポルタージュに似た絵画も描く。
さらに絵の購買層のターゲットを大衆(=下級階層)にしぼった版画では、動きと表情を重視しした「見て分かる」版画を量産する。
観るものの好みに合わせた作法を選ぶところが、商売上手だなぁと思います。
芸術家というよりやり手の実業家のようです。
ですが、金儲けばかりを考えているわけではありません。
それまでほとんど手をつけられていなかった、刑務所や病院の悲惨な現状を描いて人々の窮状を訴え、またロンドンにつくられた「捨て子養育院」の院長 ― 有用でありながら無名の人物 ― の肖像画を描きました。
(ホガースはこの捨て子養護院の熱心な管理委員謙賛助会員であり、みずからふたりの孤児を四年間ひきとった。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e0/d521b5058e0dfbf75897683f2b383cbf.png)
先の同書に、彼の考え方をよく表わしている面白いエピソードが載っていました。
以前当ブログでも取り上げた、小説の始祖『パミラ』〔*注2〕の作者リチャードソンは、ホガースに『パミラ』挿絵の依頼をしたそうです。
ところが。
「仲の良い二人ではあったが、ホガースはそれを断った」らしい。
長い経験から下層階級から上流階級まですべての階級に通じていたホガースにとって、理想的な家庭生活の美徳(妻の貞淑・夫唱婦随)を謳う『パミラ』は「疑いもなく、感傷的でありすぎ、気取った偽善性すらあり、自然に忠実でないと思われた。」
ここでちょっと実際に、『パミラ』の結婚式シーンの挿絵(ジョゼフ・ハイモア画)のと、ホガースの当時の結婚を題材した絵を見くらべてみましょうか。
ホガースの絵に対する姿勢が分かります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/2e/b43c395d046d553bf24abd27eaf7a6d8.jpg)
(1743-4頃) イメージを拡大
物語の大団円、B氏との結婚式の場面。おとなしい、まるでお人形のような、生気のないパミラ。
画家のハイモアは当時、肖像画家として中流階級に人気があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/85/1e85783d1705ca3b5904820db35f602b.jpg)
1.The Marriage Settlement
(1743頃) イメージを拡大
こちらは同時代に描いたホガースの『当世風結婚』。両家の財産についての取り決めを相談している場面。
夫婦となる当の本人たちは、互いにそっぽ向いてます(笑)。
ホガースはリチャードソンのように、人々の手本となるような“理想的な人物像”を描いて範を垂れるのではなく、ロンドンに生きる人々の現状を、批判・冷笑・風刺的な視点で徹底的に描くことで、人の行うべき正しい道を示したのです。
(このホガースの考え方は、『パミラ』を茶化した二作品『シャミラ』『ジョーゼフ・アンドルース』を書いたフィールディングの考え方と共通しています。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e0/d521b5058e0dfbf75897683f2b383cbf.png)
さてここで、もう一度ホガースの召使の絵、
Heads of Six of Hogarth's Servants に戻って、想像を膨らませたいと思います。人気画家である主人からモデルを頼まれたこの六人の召使たちは、どんな気持ちだったんでしょうか。
ホガースの召使たちに対する態度は、
「長年彼のために仕えた使用人に対して暖かい気持ちを持っていたが、厳格だったことはよく知られている」(前掲書より引用)
そして、
「主人の作品の熱烈なファンであった下男のひとりもここ(注:召使の絵)に記録されている。」
まあ! 誰でしょう? 右上の男性でしょうか。(真ん中上の男の子はファンと呼ぶには小さすぎるよなぁ)
ここに描かれた召使たちは、おそらく、ホガースのもとに仕えなければ「自分の肖像画」なるものとは無縁のまま生涯を終えたでしょう。
写真の無かった時代です。
自分の姿を絵に残すなんて、よほどのお金持ちでないと出来ないゼイタクです。
召使たちは、とても自慢に思ったのではないでしょうか。
とくにメイドたちは、若く美しい娘時代を残せるのだから、そうとう嬉しかったに違いありません。
アトリエから、主人の呼び声が聞こえる。
召使たちは仕事を止め、いそいそといっちょうらに着替えて、髪を整える。
召使いたちは、背筋をしゃんと伸ばし、誇らしげにアトリエに立つ。
(ご主人さまの筆で、一介の召使である私たちの姿が、後世に残るのだ)
筆の音が響くなか、主人と召使たちは、
キャンバスをはさんでまっすぐ向かい合う―
そんな主従の静かなひとときの情景を思い浮かべてしまいます。
〔*注1〕参考文献:『ホガース ヨーロッパ美術に占める位置』
フレデリック・アンタル著(英潮社 昭和五十年)
記事中の太字はすべてこの著書からの引用です。
〔*注2〕小説『パミラ』については、過去記事のこちらをご参照ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/52/c0abda78e5dc59934893adbd7ec23650.gif)
また、掲載した絵画は、Tate Online
および The National Gallery よりお借りしました。
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