文豪の召使い志願 ―谷崎潤一郎の恋文

御主人様、どうぞ/\御願いでございます。御機嫌を御直し遊ばして下さいまし。―(略)―

 先達(せんだって)、泣いてみろと仰っしゃいましたのに泣かなかったのは私が悪うございました。―(略)― 今度からは泣けと仰っしゃいましたら泣きます。その外御なぐさみになりますことならどんな真似でもいたします。むかしは十何人もの腰元衆を使っていらしった御方さま故、これからは私が腰元衆や御茶坊主や執事の代りを一人で勤めまして、御退屈遊ばさせないよう、昔と同じように御暮らし遊ばすようにいたします。―(略)―

ほんとうに我がままを仰っしゃいます程、昔の御育ちがよく分って来て、ますます/\気高く御見えになります。こういう御主人様になら、たとい御手討ちにあいましても本望でございます。―(略)―

決して/\身分不相応な事は申しませぬ故一生私を御側において、御茶坊主のように思し召して御使い遊ばして下さいまし。―(略)―

唯(ただ)「もう用はないから暇を出す」と仰っしゃられるのが恐ろしゅうございます。―(略)―

何卒/\御きげん御直し下さりませ。これ、此のように拝んでおります。
 十月七日

                                  潤一郎
  御主人様
     侍女

―『日本人の手紙』(白馬出版 昭和50年)より引用。尚、原典は『谷崎潤一郎全集』(中央公論社刊)。太字、カッコ内読み仮名、また/\は《繰り返し記号・くの字点》の代用としてブログ筆者が記した。)


谷崎潤一郎がのちに三番目の妻となる根津松子に宛てた、恋文です。

ほんとうは、ここに全文を載せたいくらい。
いいわぁ~この卑屈なまでのへりくだり。
「女性拝跪型」である谷崎文学のエッセンスがぎゅっと凝縮されたような名文です。恋人の名を呼ばず、ひたすら「御主人様」と文字通り“ひざまずき拝む”ようすは、堂に入ってます。

この恋文を読んで、わたしはまっさきに『春琴抄』を思い浮かべました。
お琴の師匠である美女・春琴と、彼女にとことんいたぶられながらも、一途にぬかずく弟子の佐助。
…ふたりのサド・マゾ関係の構図と同じです。

と、思っていたら、『春琴抄』は谷崎と松子夫人の恋愛が最高潮であった頃に書かれているのですね。なるほど、です。

しかし、もし谷崎が執事になったら、かなりうっとうしいネチッこい執事になりそうな。
やはり谷崎のおメガネにかなった松子夫人ほどの「御主人様」でないと、使いこなせないでしょうな、この脂っこい執事は。
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